北海道美術ネット別館

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アートはどこにあるか(つづき)

2008年05月17日 21時34分10秒 | 情報・おしらせ
承前

 前項で、カルチャーセンターの産物について書いた。
 筆者はこれを、カルチャーセンターの頭文字をとって
「CCアート」
と呼んでいる。

 CCアートは、美術館の所蔵品にならない。
 そういう絵が貸しギャラリーに並んでいれば、筆者だって、足早にざっと見るだけでその場を立ち去ってしまうだろう。

 スキルがそれほど重視されなかったり、あまり必要でない分野の場合はとくに、ひょっとしたら、CCアートからもすぐれた作品が出てくる可能性は排除できない。
 でも、美術館やコレクターが買い集めるのは、そういう偶発的に出てくる無名作家の優品ではなく、創作に心血を注いだアーティストの作品だろう。超有名アーティストともなると、走り書きでも、収集の対象となり、高い金額で取引されるようになるのだ。

 でも、べつに、筆者はCCアートをバカにしているわけではない。誤解しないでほしい。
 たまの休日に絵筆をふるったり、土をこねたりすることが、その人の心をどんなに豊かにすることか。
 そういう人は、とりたてて、アートの歴史に残る名作をこしらえてやろうなどという野心は持っていないのだ。
 だいたい、表現に生涯をかける-というアーティストの生き方のほうが、人生をバクチ化しているというか、異常なんではないだろうか。
 まあ、人生は多かれ少なかれバクチであるという言い方は成り立つし、異常な生き方からこそ見る人を感動させる作品がつくられるというのも、これまた真実だけど。

 さて。

 「ヤナイさんがここ10年、札幌のギャラリーをまわっていて、いちばん変わったことはなんですか」
と、こないだ訊かれた。
 なんといっても、ギャラリーの数が増えたこと。
 そして、もっぱら主婦や若者による、アクセサリーやポストカードなどの「手づくり展」的なグループ展が多くなったことだと答えた。

 後者は、CCアートとかならずしも重なり合うわけではない。
 ただ「わたしは作家だ!」的な気負いからは遠く離れた生き方をしている人たちなんだろうな、と想像はつく。
 目を血走らせて芸術を追究するのではなくて、もうちょい軽いのだ。
 アーティストへの敷居が低くなったといえるかもしれない。
 そして、そのこと自体は、悪いことではない。
 まあ、筆者のように、見て回る人間にとっては、作り手の数が増えすぎると、正直なところ、タイヘンなのだが。

(長くなってきました。しつこいようですが、この項続く


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