鉛筆画家・木村さんから丁寧なお手紙をいただいたので、ライブドローイングの終盤に、見に行きました。
藤谷さんは石狩在住の若手で、昨年から爆発的な勢いで発表をつづけています。
ことし「毎月ライブドローイングをやる」というのが目標だったはずで、じっさい、9月までは個展かライブのいずれか(あるいは両方)を敢行してきましたが、とうとう10月は会場が見つからなかったのでしょうか。
(もちろん責めているのではないです)
何度もおこなっていると、さすがにスタイルも変化してきます。
たとえば、壁に紙などの支持体を貼らず、直接かくようになったのは、前回のPRAHA2 + deep sapporo「いろへや」でのライブからではないかと思います。
今回は「いろへや」よりもかなり面積の広い壁が相手なので、霧吹きなど、広い面積に色を塗る手段を採用していました。また、朱色を大々的に用いていたのも珍しく感じましたし、とちゅうで、壁と柱の間に白いロープを張り渡したときは
「これも線の表現なのか」
と新鮮なおどろきを覚えました。
しかし、筆者が「いちばん変わったなあ」と思ったのは、まさにドローイングのスタイル、なのです。
以前見た藤谷さんのドローイングとは、とにかく途中で手を休めることがなく、ひたすらかき続けるというものでした。
ところが今回は、1、2分すると中断して、引いた位置から絵を眺め渡そうとすることが、しょっちゅうでした。前に歩いたり、後ろに戻ったり-というのも、リズムのひとつといえるでしょうし、遠くからながめて構図を確認するというのはふつうの画家ならよくやることでしょう。ただ、これまでの藤谷さんとは、だいぶちがうやりかたであることは間違いありません。すこしかいて、離れてながめ、こんどはまったくちがう場所の壁に取り掛かる-ということのくりかえしだったので、そのたびに10人ほどの観客はぞろぞろと移動を余儀なくされていました。
ジャズのアドリブであれば、音がとぎれるのは、奏者の調子がいまひとつの証拠-と、ジャズに詳しい人から聞いたことがあります。
藤谷さんの調子はどうだったのでしょうか。
なお、これらの作品は翌朝、作者たちの手によって、元通りの壁に復元されたため、いまは見ることはできません。
木村さんもことしに入ってかなりのペースで制作と発表を手がけています。
今回はすべて横位置の12点の絵(すべて新作)を発表。
アティックにこんなスペースがあったのか、と思えるほど、せまい部屋(藤谷さんのライブをおこなったのとは別室)です。
春先は「沈黙の惨劇」とでも形容できそうな絵の多かった木村さんですが、しだいに優しさや愛があふれるような絵にかわってきているように感じました。精緻な絵柄自体は、かわっていないのですが。
女性の長い髪や長い首は、作者の横溢する思いの、率直な反映なのかもしれません。
12月30日、北区のtemporary spaceで、「木村環の画に藤谷康晴がドローイングする企画展」がおこなわれます。
1年間にわたってくりひろげてきた怒涛の活動のしめくくりです。
藤谷さんとしては初めて、終了の時刻をあらかじめ決めないで取り組むそうです。はたして、どんな「勝負」になるのでしょうか。
●藤谷康晴ライブドローイング“無言の警告”=11月10日(土)15:00-19:00
●木村環鉛筆画展“愛の挨拶”=11月10日-18日(日)11:00-20:00(最終日-18:00)
ATTIC(中央区南3西6 長栄ビル4階=旧シアターキノのビル)
なお、ATTIC(アティック)は、札幌のマンガ評論家阿部幸弘さんらがことし4月に開設したフリースペースで、美術展のほかにダンス公演やライブなどにもつかわれています。いいかげんなことを書いている人がいますが、写真か何かのスタジオなどではありません。
また、勘違いされている方がおられるようですが、シアターキノはかつてこのビルの2階に入っていたのであって、ATTICの空間がキノだったわけではありません。
□木村さんのサイト“Smiling Hour” http://www006.upp.so-net.ne.jp/kim-igor/
■木村環作品展“Little Fury Things”(07年秋)
■木村環 a.k.a.kim-igor "METAL BOWL STRIKES AGAIN"(07年5月)
■9月のライブドローイング「黒くぬれ!」
■8月のライブドローイング
■7月のライブドローイング・個展
■4月のライブドローイング
■藤谷康晴ライブドローイング-呼吸する部屋-(3月)
■藤谷康晴個展 CONCRETE FICTION (2-3月)
■個展「路上でお茶を」(1-2月)
藤谷さんは石狩在住の若手で、昨年から爆発的な勢いで発表をつづけています。
ことし「毎月ライブドローイングをやる」というのが目標だったはずで、じっさい、9月までは個展かライブのいずれか(あるいは両方)を敢行してきましたが、とうとう10月は会場が見つからなかったのでしょうか。
(もちろん責めているのではないです)
何度もおこなっていると、さすがにスタイルも変化してきます。
たとえば、壁に紙などの支持体を貼らず、直接かくようになったのは、前回のPRAHA2 + deep sapporo「いろへや」でのライブからではないかと思います。
今回は「いろへや」よりもかなり面積の広い壁が相手なので、霧吹きなど、広い面積に色を塗る手段を採用していました。また、朱色を大々的に用いていたのも珍しく感じましたし、とちゅうで、壁と柱の間に白いロープを張り渡したときは
「これも線の表現なのか」
と新鮮なおどろきを覚えました。
しかし、筆者が「いちばん変わったなあ」と思ったのは、まさにドローイングのスタイル、なのです。
以前見た藤谷さんのドローイングとは、とにかく途中で手を休めることがなく、ひたすらかき続けるというものでした。
ところが今回は、1、2分すると中断して、引いた位置から絵を眺め渡そうとすることが、しょっちゅうでした。前に歩いたり、後ろに戻ったり-というのも、リズムのひとつといえるでしょうし、遠くからながめて構図を確認するというのはふつうの画家ならよくやることでしょう。ただ、これまでの藤谷さんとは、だいぶちがうやりかたであることは間違いありません。すこしかいて、離れてながめ、こんどはまったくちがう場所の壁に取り掛かる-ということのくりかえしだったので、そのたびに10人ほどの観客はぞろぞろと移動を余儀なくされていました。
ジャズのアドリブであれば、音がとぎれるのは、奏者の調子がいまひとつの証拠-と、ジャズに詳しい人から聞いたことがあります。
藤谷さんの調子はどうだったのでしょうか。
なお、これらの作品は翌朝、作者たちの手によって、元通りの壁に復元されたため、いまは見ることはできません。
木村さんもことしに入ってかなりのペースで制作と発表を手がけています。
今回はすべて横位置の12点の絵(すべて新作)を発表。
アティックにこんなスペースがあったのか、と思えるほど、せまい部屋(藤谷さんのライブをおこなったのとは別室)です。
春先は「沈黙の惨劇」とでも形容できそうな絵の多かった木村さんですが、しだいに優しさや愛があふれるような絵にかわってきているように感じました。精緻な絵柄自体は、かわっていないのですが。
女性の長い髪や長い首は、作者の横溢する思いの、率直な反映なのかもしれません。
12月30日、北区のtemporary spaceで、「木村環の画に藤谷康晴がドローイングする企画展」がおこなわれます。
1年間にわたってくりひろげてきた怒涛の活動のしめくくりです。
藤谷さんとしては初めて、終了の時刻をあらかじめ決めないで取り組むそうです。はたして、どんな「勝負」になるのでしょうか。
●藤谷康晴ライブドローイング“無言の警告”=11月10日(土)15:00-19:00
●木村環鉛筆画展“愛の挨拶”=11月10日-18日(日)11:00-20:00(最終日-18:00)
ATTIC(中央区南3西6 長栄ビル4階=旧シアターキノのビル)
なお、ATTIC(アティック)は、札幌のマンガ評論家阿部幸弘さんらがことし4月に開設したフリースペースで、美術展のほかにダンス公演やライブなどにもつかわれています。いいかげんなことを書いている人がいますが、写真か何かのスタジオなどではありません。
また、勘違いされている方がおられるようですが、シアターキノはかつてこのビルの2階に入っていたのであって、ATTICの空間がキノだったわけではありません。
□木村さんのサイト“Smiling Hour” http://www006.upp.so-net.ne.jp/kim-igor/
■木村環作品展“Little Fury Things”(07年秋)
■木村環 a.k.a.kim-igor "METAL BOWL STRIKES AGAIN"(07年5月)
■9月のライブドローイング「黒くぬれ!」
■8月のライブドローイング
■7月のライブドローイング・個展
■4月のライブドローイング
■藤谷康晴ライブドローイング-呼吸する部屋-(3月)
■藤谷康晴個展 CONCRETE FICTION (2-3月)
■個展「路上でお茶を」(1-2月)
メイン会場はむしろライブでした。
時間が早くて、見られませんでしたが
こんなカンジだったんですね。
あのビル、キノは2階、3階は居酒屋の
エルフィンランド、ATTICのある4階は
両方の事務所でしたね。
いまでもATTICまでの階段を登ってくと
映画を観たり、飲みにあがった記憶が
よみがえってきます。ああっ青春?
わたしは20代はほとんど札幌にいなかったので、そのへんの感じがいまいちよくわからないのですが、むかしのキノがあった場所だと、なつかしがる方は多いようですね。
わたしは、むかしの東映の裏手にあったエルフィンランドの印象が強烈なんですけど、ちょっと古すぎですかね?
地上げ放火が、一週間に
3回ほどありまして、
あの頃は、コゲ臭かったのを
いまでも強烈に憶えています。
今、なんか地味なホテル建ってますね。
もっとも、東映仲町のあったのは、アリマックスの手前(東隣)の駐車場になっているところではないかと思うのですが。