読売書法展の北海道展といえば、毎年3月に札幌市民ギャラリーでおこなわれ、道内からはかなの出品が多くて、あとは道外からの巡回作品が大半というイメージがあったけれど、2年ぶりに見てすっかり様変わりしているのにびっくり。
道内からの入賞が43人、入選が228人と急増している。しかも北海道書道展などではまずお目にかかることのないタイプの調和体作品がじつに多いのだ。道外からは、幹部役員の作品が1人2点ずつ展示されているだけで、会場のほとんどを道内勢が占めていた。
このほか、北海道会場だけの特別コーナーとして「明末清初五家名品展」が催され、軸など40点余りがならんでいた。張瑞図、伝山、王鐸などで、すべて行草書。王羲之の臨書などもあったが、わりと大ざっぱな運筆のものが多い。
ただ、書家や作品の名前を記した説明の紙が、正字・新字ごちゃまぜなのは、いかにも見苦しい。書展の主催者ともあろうものが、漢字に対してこんなに素養を欠いていてよいものか。
幹部役員の作品では、毎年たのしみだった村上三島の遺作があった(昨年11月死去)。
1点は、例年と同様の調和体。もう1点は行書。
思わず、粛然とする。来年から見られないかと思うと、さびしい。
桑田三舟が木下夕爾の句を8点書いている。
派手さはないが、平明で清澄な書だと思う。
松下芝堂は、この会場では珍しい一字書で「虚」。
会場で手渡された「作品ガイド」では
と自作解説しているが、そのとおりの、バランスのとれた佳作だと思った。
一方、榎倉香邨が草野心平のカエルの詩を書いているが、原作にあるはずの句点がひとつもない。こういうのは、どうかと思う。詩人はでたらめに句点を打っているのではないのだ。
同様に、今井凌雪が萩原朔太郎の「竹」を書いているのにも腹が立つ。原文の行替えがまったく無視されているからだ。原作の改行を生かしてこそ余白がひきたつのではないかと思う。
こういう書家は、調和体の祖というべき金子鴎亭がなぜ井上靖を取り上げたのか、考えないのだろうか。
このほか、大友秋音が書いた「来てみればわが故郷は荒れにけり庭もまがきも落葉のみにて」(「まがき」の漢字がパソコンに見当たらない)は、心に沁みた。
菅原京子の柿本人麻呂も、粗密、緩急の振幅がダイナミックで、目を引いた。
村上俄山は良寛を3首。良寛らしく、おおらかさに満ちた運筆である。
榎本樹邨は茂吉の、母の死を詠んだ歌を書いている。
斜めの線が切迫感をかもし出している。
北海道からは、理事として9人が名を連ねている。
一昨年には4人だったと記憶しているから、これが出品者急増の背景にあるのだろう。
田上小華がたおやかな調和体を出品している。阿部和加子のいろは歌は、かなとは思えないほどパワフル。
一般出品者では、片岡好子の佐久間象山がおもしろいと思った。
このほか、帖・巻子・篆刻コーナーもあった。
一方で、漢字の少字数書がほとんどなく(道内は皆無)、墨象や前衛がないのは読売らしい。
展示は、漢字もかなも交ざっており、順番に見てゆくには飽きなくていいけれど、お目当ての作品をさがしに来た人には厄介だろうな。面積のわりにパネルが多すぎて、あまり見やすい会場とはいえないし。
(文中敬称略)
札幌メディアパーク スピカ(中央区北1西8 地図C)
10月26日(木)-29日(日)10:00-17:00(最終日-15:00)
一般500円
□公式サイト
■村上三島さん死去のエントリ
道内からの入賞が43人、入選が228人と急増している。しかも北海道書道展などではまずお目にかかることのないタイプの調和体作品がじつに多いのだ。道外からは、幹部役員の作品が1人2点ずつ展示されているだけで、会場のほとんどを道内勢が占めていた。
このほか、北海道会場だけの特別コーナーとして「明末清初五家名品展」が催され、軸など40点余りがならんでいた。張瑞図、伝山、王鐸などで、すべて行草書。王羲之の臨書などもあったが、わりと大ざっぱな運筆のものが多い。
ただ、書家や作品の名前を記した説明の紙が、正字・新字ごちゃまぜなのは、いかにも見苦しい。書展の主催者ともあろうものが、漢字に対してこんなに素養を欠いていてよいものか。
幹部役員の作品では、毎年たのしみだった村上三島の遺作があった(昨年11月死去)。
1点は、例年と同様の調和体。もう1点は行書。
人間の運命はわれ等が生くべき條件の備はる間の一瞬ほんの偶然の命と評した方が當つてゐるかも知れない
思わず、粛然とする。来年から見られないかと思うと、さびしい。
桑田三舟が木下夕爾の句を8点書いている。
かたつむり日月遠くねむりたる
派手さはないが、平明で清澄な書だと思う。
松下芝堂は、この会場では珍しい一字書で「虚」。
会場で手渡された「作品ガイド」では
頭を空っぽにして、余分なことを考えず、心で書いた。筆の毛、全部がさばけ気持ちよく書けた。
と自作解説しているが、そのとおりの、バランスのとれた佳作だと思った。
一方、榎倉香邨が草野心平のカエルの詩を書いているが、原作にあるはずの句点がひとつもない。こういうのは、どうかと思う。詩人はでたらめに句点を打っているのではないのだ。
同様に、今井凌雪が萩原朔太郎の「竹」を書いているのにも腹が立つ。原文の行替えがまったく無視されているからだ。原作の改行を生かしてこそ余白がひきたつのではないかと思う。
こういう書家は、調和体の祖というべき金子鴎亭がなぜ井上靖を取り上げたのか、考えないのだろうか。
このほか、大友秋音が書いた「来てみればわが故郷は荒れにけり庭もまがきも落葉のみにて」(「まがき」の漢字がパソコンに見当たらない)は、心に沁みた。
菅原京子の柿本人麻呂も、粗密、緩急の振幅がダイナミックで、目を引いた。
村上俄山は良寛を3首。良寛らしく、おおらかさに満ちた運筆である。
榎本樹邨は茂吉の、母の死を詠んだ歌を書いている。
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる
斜めの線が切迫感をかもし出している。
北海道からは、理事として9人が名を連ねている。
一昨年には4人だったと記憶しているから、これが出品者急増の背景にあるのだろう。
田上小華がたおやかな調和体を出品している。阿部和加子のいろは歌は、かなとは思えないほどパワフル。
一般出品者では、片岡好子の佐久間象山がおもしろいと思った。
このほか、帖・巻子・篆刻コーナーもあった。
一方で、漢字の少字数書がほとんどなく(道内は皆無)、墨象や前衛がないのは読売らしい。
展示は、漢字もかなも交ざっており、順番に見てゆくには飽きなくていいけれど、お目当ての作品をさがしに来た人には厄介だろうな。面積のわりにパネルが多すぎて、あまり見やすい会場とはいえないし。
(文中敬称略)
札幌メディアパーク スピカ(中央区北1西8 地図C)
10月26日(木)-29日(日)10:00-17:00(最終日-15:00)
一般500円
□公式サイト
■村上三島さん死去のエントリ
書道人口が増えることはいいことです。
(時には弊害もあるかもしれませんが。)
残念ながら見に行けなかったので、
このように細部までレポートしていただけると、
大変勉強になります。
ほんとうにありがたい。
感謝です。
純粋に書道人口が増えているのならいいのですが、北海道書道展に出品するぶんが単に読売書法展にまわっているだけであれば、筆者的にはあまり歓迎できないのです。
きのう書道連盟展を見ましたが、読売書法展よりずっとおもしろかったです。近いうちに報告します。
でも狭くて2Fは異様に暑くて今年スピカになりました。
作品点数は増加の方向ですがかなはやはり他に比べると多いと思います。
私は帖だったのですが、パネルにはってある額が多くて迷路のようになっていましたね。30分くらいしか見ることができなかったのですが、特別展みたいなのはほとんど見れなかったなあ。
たしかに読売書法展はタイトルも変更になっているんですね。
帖があるのは、読売書法展らしさなんでしょうかね。