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すみません、もう始まっています。
三原順(1952~95)は札幌生まれの少女漫画家です。高校を出て、そのまま札幌の地でマンガを描き続け、95年に急逝しました。
筆者の高校時代は、代表作の「はみだしっ子」シリーズがちょうど「花とゆめ」誌でクライマックスを迎えるころで、学級内でも男女問わずその話題で持ちきりでした。
「はみだしっ子」は、実の親に捨てられた少年4人が、いっしょに旅を続けるという物語。
読み始めたころは、主人公たちは目が大きい少女マンガの描法で描かれているし、英語圏の架空の国が舞台という少女マンガにはよくあるけれど少年マンガにはまずない設定だし、親類から仕送りを受けているとはいえ10歳前後の子どもたちがアルバイトをしながら放浪するというのは現実離れしていると思えたし、正直言ってすごく取っつきにくかったのですが、じきに夢中になりました。
そこに詰め込まれた精神分析学や法学の知見なども、10代の自分にとっては、とても刺戟的だったのです。
当時、倫理社会(後の倫理)の先生が、三原順と高校の同級生で、「はみだしっ子」の最終編にして最長作品「つれて行って」の法廷シーンでアドバイスをしたなどという話を授業でしたことも記憶しています。
彼女の死は、阪神大震災とオウム真理教事件で大揺れのなか、ひっそりと伝えられました。
一時は自殺説も流れましたが、これは晩年に、自殺コンサルタントを主人公にした「セルフマーダー・シリーズ」などの作品を描いていたことからの、根拠のない憶測だったとのでしょう(このシリーズ、ブラックユーモアに満ちていながら、けっきょくは「生」を肯定していて、それほど救いようのない作品ではないと思います)。
本というものは、作者が亡くなろうと存命であろうと、活字の書籍であろうと漫画であろうと、ほとんどがじきに品切れ、絶版という運命をたどります。
三原順作品も例外ではありませんでした。
しかし、多くの熱心なファンが復刊運動に取り組んで版元を動かし、現在は全作品が白泉社の文庫で読むことができるだけでなく、幻の作品や画集などが出版されるまでになっています。
展覧会の副題に「復活」とあるのは、この流れをさしているのでしょう。
今回は、約150点を展示。
初公開となる小学1年生のときに描いた冬休みの絵日記から、未完の遺作まで、不世出の漫画家の軌跡を振り返ります。グッズや愛用品などの展示もあります。
さらに、展覧会オリジナルのグッズや画集「三原順 All Color Works」(白泉社)などを販売します。
主催側は
「故郷で開かれる展覧会なので、所在不明の作品の発見や証言が得られるかも」
と期待しているようです。
また「多くのマンガ家を輩出している北海道に、マンガ美術館があるべきでは?」というテーマの展示も行います。
ほんとうはこの展覧会は、昨年開催の予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大のため1年延期になりました。
三原順も前述の倫社の先生も1971年春、当時の北海道一の進学高を卒業しています。
その高校(の全日制)は70年夏、全学(全校)無期限ストライキとバリケード封鎖に突入、一時は機動隊も導入されました。
政治活動の自由などを求めた「札南闘争」は敗北に終わり、秋以降は、床のタイルが剝がされてコンクリートがむき出しになった校舎に、虚無感が漂っていたそうです。彼女の学年は、闘争とその敗北の精神的衝撃をいちばんもろに受けた学年だと思います。卒業式も行われていません。
新左翼党派の支部というか全学連の下部組織がいくつも存在した当時の札幌南高で彼女が活動家だったという記録はありませんし、そういう政治的なタイプではないように感じられ、むしろ北極のグレアムペンギンのような冷徹な視線をおくっていたのではないかと勝手に推察するのですが、かといって、自宅で受験勉強に邁進する単純なノンポリだったわけでもなさそうです。
彼女はどんなまなざしでその一部始終を見ていたのだろうと、ふと思うのです。
2021年7月22日(木)~8月15日(日)午前10時~午後7時、7月28日と8月12日休み
札幌文化芸術交流センター SCARTS(中央区北1西1 札幌市民交流プラザ)=onちゃんが挟まってるビルです。地下街オーロラタウンから地下道経由で行けます)
□公式サイト http://moonlighting.jp/sekaiten/
@mihara_sekaiten Twitter
過去の関連記事へのリンク
【告知】三原順カラー原画展~札幌からようこそ~(2019年6月21日~8月26日、東京・神保町)
三原順(1952~95)は札幌生まれの少女漫画家です。高校を出て、そのまま札幌の地でマンガを描き続け、95年に急逝しました。
筆者の高校時代は、代表作の「はみだしっ子」シリーズがちょうど「花とゆめ」誌でクライマックスを迎えるころで、学級内でも男女問わずその話題で持ちきりでした。
「はみだしっ子」は、実の親に捨てられた少年4人が、いっしょに旅を続けるという物語。
読み始めたころは、主人公たちは目が大きい少女マンガの描法で描かれているし、英語圏の架空の国が舞台という少女マンガにはよくあるけれど少年マンガにはまずない設定だし、親類から仕送りを受けているとはいえ10歳前後の子どもたちがアルバイトをしながら放浪するというのは現実離れしていると思えたし、正直言ってすごく取っつきにくかったのですが、じきに夢中になりました。
そこに詰め込まれた精神分析学や法学の知見なども、10代の自分にとっては、とても刺戟的だったのです。
当時、倫理社会(後の倫理)の先生が、三原順と高校の同級生で、「はみだしっ子」の最終編にして最長作品「つれて行って」の法廷シーンでアドバイスをしたなどという話を授業でしたことも記憶しています。
彼女の死は、阪神大震災とオウム真理教事件で大揺れのなか、ひっそりと伝えられました。
一時は自殺説も流れましたが、これは晩年に、自殺コンサルタントを主人公にした「セルフマーダー・シリーズ」などの作品を描いていたことからの、根拠のない憶測だったとのでしょう(このシリーズ、ブラックユーモアに満ちていながら、けっきょくは「生」を肯定していて、それほど救いようのない作品ではないと思います)。
本というものは、作者が亡くなろうと存命であろうと、活字の書籍であろうと漫画であろうと、ほとんどがじきに品切れ、絶版という運命をたどります。
三原順作品も例外ではありませんでした。
しかし、多くの熱心なファンが復刊運動に取り組んで版元を動かし、現在は全作品が白泉社の文庫で読むことができるだけでなく、幻の作品や画集などが出版されるまでになっています。
展覧会の副題に「復活」とあるのは、この流れをさしているのでしょう。
今回は、約150点を展示。
初公開となる小学1年生のときに描いた冬休みの絵日記から、未完の遺作まで、不世出の漫画家の軌跡を振り返ります。グッズや愛用品などの展示もあります。
さらに、展覧会オリジナルのグッズや画集「三原順 All Color Works」(白泉社)などを販売します。
主催側は
「故郷で開かれる展覧会なので、所在不明の作品の発見や証言が得られるかも」
と期待しているようです。
また「多くのマンガ家を輩出している北海道に、マンガ美術館があるべきでは?」というテーマの展示も行います。
ほんとうはこの展覧会は、昨年開催の予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大のため1年延期になりました。
三原順も前述の倫社の先生も1971年春、当時の北海道一の進学高を卒業しています。
その高校(の全日制)は70年夏、全学(全校)無期限ストライキとバリケード封鎖に突入、一時は機動隊も導入されました。
政治活動の自由などを求めた「札南闘争」は敗北に終わり、秋以降は、床のタイルが剝がされてコンクリートがむき出しになった校舎に、虚無感が漂っていたそうです。彼女の学年は、闘争とその敗北の精神的衝撃をいちばんもろに受けた学年だと思います。卒業式も行われていません。
新左翼党派の支部というか全学連の下部組織がいくつも存在した当時の札幌南高で彼女が活動家だったという記録はありませんし、そういう政治的なタイプではないように感じられ、むしろ北極のグレアムペンギンのような冷徹な視線をおくっていたのではないかと勝手に推察するのですが、かといって、自宅で受験勉強に邁進する単純なノンポリだったわけでもなさそうです。
彼女はどんなまなざしでその一部始終を見ていたのだろうと、ふと思うのです。
2021年7月22日(木)~8月15日(日)午前10時~午後7時、7月28日と8月12日休み
札幌文化芸術交流センター SCARTS(中央区北1西1 札幌市民交流プラザ)=onちゃんが挟まってるビルです。地下街オーロラタウンから地下道経由で行けます)
□公式サイト http://moonlighting.jp/sekaiten/
@mihara_sekaiten Twitter
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【告知】三原順カラー原画展~札幌からようこそ~(2019年6月21日~8月26日、東京・神保町)
明治大学のキャンパスの一角で。もう、なんか、涙が出そう。「はみ出しっ子」完結時、三原順がまだ20代だったことに、あらためて驚嘆。 pic.twitter.com/JwMPcK2Mmy
— 梁 井 朗 @ 北 海 道 美 術 ネ ッ ト 別 館 (いまは距離をとって) (@akira_yanai) May 22, 2015