某所でタダ券が手に入ったのでさっそく行ってきた。
チラシには
とかかれていたが、筆者がおとずれたときは、会場には3、4人ほどしかいなかった。
また、チラシの紹介文の書き出しは
これは、どこまで真実なのか。
美術の歴史の本などをひもとくと、戦後フランスの美術家として、イブ・クラインやデュビュッフェ、フォートリエなんかの名がよく挙げられているけれど、ブラジリエのことについてふれた書物は、管見では目にしたことがない。
ブラジリエ氏は、ワイズバッシュ氏やカトラン氏などと同様、
「三越における巨匠」
「日本の画商における巨匠」
ではないのか。
…なーんて書くと、いかにもいやみか皮肉みたいだが(そして、そういう意味合いをいくらかふくんでいることをかならずしも否定はしないが)、しかし、世の中の美術ファンには、最先端の現代美術ばかりではなく、「ふつうの絵」に興味関心のある人もおおいだろうから、そういう「ふつうの絵」についての情報がまったくと言っていいほど海外から入ってこない現状はいかがなものか、という気持ちも、いくらかはあるのだ。
(こういう現状だから、スギ氏の絵をだれも知らず、結果的に和田某の跋扈をゆるしてしまったのだ)
つまり、フランスにも、現代美術業界とは完全に別に、二科展とか日展みたいな業界があって、そういう業界ではきっとブラジリエ氏は「現代フランス絵画を代表する画家のひとり」なんだろう。
いま、二科展の名が出た。
筆者は、会場に入って、最初のほうにある「パレード」や「カフェ」といった、1950-60年代の作品を見て
「わー、二科みたいだ」
と思った。
しかし、よーく考えると(よく考えなくても)、これは順番が逆だ。
ブラジリエが上野の美術館くんだりまで来て二科の絵に影響されたという可能性はほとんどあるまい。二科に、ブラジリエに影響された画家がいるのだろう。
道内関連で画風がわりと近いのは全道展の長谷川忠男さんとか渡邊真利さんあたりかな。
でも、二科っぽい雰囲気なのは最初だけ。
あとの時代になるとどんどん省筆がすすむ。
悪く言えば「手抜き」で、草原と空を題材にした「タルドゥノアの平原」なんて、数色の帯を配置して、1時間で描きおわりそうだし、「赤いかごを持ったマキシム」など、制作途中でせっかちな画商が持ち去ってしまった絵としか思えない。
だが、後年の梅原龍三郎と同様、これは、少ない要素でも画面をなりたたせている、と見るべきなのだろう。
ちらしや入場券に印刷されている「夕暮れの疾駆」(2002年)なんかも、少ない色数を効果的に配している。ちょっとラフなタッチも、画面に動感をあたえている。
(この絵では、空は藍色というよりすみれ色なのだが、ちらしやチケットの印刷では微妙な色がいまひとつ出ていないようだ)
色もモティーフも少ないのに、画面はゴージャスなのだ。
これに似た配色の絵でいうと、「バラ色の光明」なんて、ほとんど抽象画だ。
また「青い時」は、海沿いで婦人が本を読んでいる縦長の1枚で、これも白、青の濃淡、バラ色だけで成り立つ同様の配色だが、ふしぎな魅力が感じられた。
なにより、婦人の右側にそびえたつ群青の柱がふしぎなのだ。これは糸杉かなにかだろうか。
また、空にバラ色の筋がひかれているのは、飛行機雲なのだろうか。
婦人の右胸にバラのコサージュがついているのが、ニクイ配色の妙だ。
この人はなにをよんでいるのだろうか。やっぱり山口百恵の自伝だろうか(←絶対ちがうって)。
もうひとつ、「真夜中の水浴」も妙に心ひかれる。
暗い中、2人の裸婦が岸に立ち、すでに4人の裸婦は水の中に入っている。
じぶんがアングル-セザンヌとつづく系譜の嫡子であるということを、画家が宣言している作品だと、思えなくもない。
ブラジリエの特徴は、白をそのまま画布に塗ることも、そのひとつ。
一見、キャンバスの塗り残しかと思うぐらい、チューブから出したままをいっぱいに置く。
そして、裸婦の肌も、それに近い白さに輝いている。
ともあれ、ブラジリエといえば、ふだん目にするのは圧倒的に版画が多いので、83点のうち大半が油絵(ほかに水彩、陶器、タピストリー)というのは、単純に、貴重な機会といえるのかもしれない。
07年3月27日(火)-4月1日(日) 10:00-20:00 入場は30分前まで(最終日は-18:00)
三越札幌店(中央区南1西3 地図B)
チラシには
場内混雑の場合はお待ち願うこともございます。
とかかれていたが、筆者がおとずれたときは、会場には3、4人ほどしかいなかった。
また、チラシの紹介文の書き出しは
1929年、フランスの中西部アンジュー地方ソーミュールに生まれたアンドレ・ブラジリエ氏は、現代フランス絵画を代表する画家のひとりです。とある。
これは、どこまで真実なのか。
美術の歴史の本などをひもとくと、戦後フランスの美術家として、イブ・クラインやデュビュッフェ、フォートリエなんかの名がよく挙げられているけれど、ブラジリエのことについてふれた書物は、管見では目にしたことがない。
ブラジリエ氏は、ワイズバッシュ氏やカトラン氏などと同様、
「三越における巨匠」
「日本の画商における巨匠」
ではないのか。
…なーんて書くと、いかにもいやみか皮肉みたいだが(そして、そういう意味合いをいくらかふくんでいることをかならずしも否定はしないが)、しかし、世の中の美術ファンには、最先端の現代美術ばかりではなく、「ふつうの絵」に興味関心のある人もおおいだろうから、そういう「ふつうの絵」についての情報がまったくと言っていいほど海外から入ってこない現状はいかがなものか、という気持ちも、いくらかはあるのだ。
(こういう現状だから、スギ氏の絵をだれも知らず、結果的に和田某の跋扈をゆるしてしまったのだ)
つまり、フランスにも、現代美術業界とは完全に別に、二科展とか日展みたいな業界があって、そういう業界ではきっとブラジリエ氏は「現代フランス絵画を代表する画家のひとり」なんだろう。
いま、二科展の名が出た。
筆者は、会場に入って、最初のほうにある「パレード」や「カフェ」といった、1950-60年代の作品を見て
「わー、二科みたいだ」
と思った。
しかし、よーく考えると(よく考えなくても)、これは順番が逆だ。
ブラジリエが上野の美術館くんだりまで来て二科の絵に影響されたという可能性はほとんどあるまい。二科に、ブラジリエに影響された画家がいるのだろう。
道内関連で画風がわりと近いのは全道展の長谷川忠男さんとか渡邊真利さんあたりかな。
でも、二科っぽい雰囲気なのは最初だけ。
あとの時代になるとどんどん省筆がすすむ。
悪く言えば「手抜き」で、草原と空を題材にした「タルドゥノアの平原」なんて、数色の帯を配置して、1時間で描きおわりそうだし、「赤いかごを持ったマキシム」など、制作途中でせっかちな画商が持ち去ってしまった絵としか思えない。
だが、後年の梅原龍三郎と同様、これは、少ない要素でも画面をなりたたせている、と見るべきなのだろう。
ちらしや入場券に印刷されている「夕暮れの疾駆」(2002年)なんかも、少ない色数を効果的に配している。ちょっとラフなタッチも、画面に動感をあたえている。
(この絵では、空は藍色というよりすみれ色なのだが、ちらしやチケットの印刷では微妙な色がいまひとつ出ていないようだ)
色もモティーフも少ないのに、画面はゴージャスなのだ。
これに似た配色の絵でいうと、「バラ色の光明」なんて、ほとんど抽象画だ。
また「青い時」は、海沿いで婦人が本を読んでいる縦長の1枚で、これも白、青の濃淡、バラ色だけで成り立つ同様の配色だが、ふしぎな魅力が感じられた。
なにより、婦人の右側にそびえたつ群青の柱がふしぎなのだ。これは糸杉かなにかだろうか。
また、空にバラ色の筋がひかれているのは、飛行機雲なのだろうか。
婦人の右胸にバラのコサージュがついているのが、ニクイ配色の妙だ。
この人はなにをよんでいるのだろうか。やっぱり山口百恵の自伝だろうか(←絶対ちがうって)。
もうひとつ、「真夜中の水浴」も妙に心ひかれる。
暗い中、2人の裸婦が岸に立ち、すでに4人の裸婦は水の中に入っている。
じぶんがアングル-セザンヌとつづく系譜の嫡子であるということを、画家が宣言している作品だと、思えなくもない。
ブラジリエの特徴は、白をそのまま画布に塗ることも、そのひとつ。
一見、キャンバスの塗り残しかと思うぐらい、チューブから出したままをいっぱいに置く。
そして、裸婦の肌も、それに近い白さに輝いている。
ともあれ、ブラジリエといえば、ふだん目にするのは圧倒的に版画が多いので、83点のうち大半が油絵(ほかに水彩、陶器、タピストリー)というのは、単純に、貴重な機会といえるのかもしれない。
07年3月27日(火)-4月1日(日) 10:00-20:00 入場は30分前まで(最終日は-18:00)
三越札幌店(中央区南1西3 地図B)
デパートの夕方というけだるい雰囲気もあってか、
ゆっくり楽しみました。
色のハッピー感とモチーフの大らかさに気持ちよくなりました。
空に大胆に鮮やかなピンクをいれてしまうあたり、
気に入りました。
人が少ないとゆっくりみれていいですね。