「近代日本文学の最大の批評家」とされている小林秀雄が、モネやピカソなどを正面から論じた評論であり、新潮文庫でも長く版を重ねているので、名著だろうと思っている人もいるだろう。しかし、この本は、少なくても美術界では、ほとんど相手にされていないふしがある。
筆者が読んできた美術関連の本(といってもたかだか200冊とか300冊だが)や雑誌で、この本に言及したり、引用していたりしたものは皆無といってよい。美術出版社から出ている「楽しい美術本ガイド」や、月刊誌「美術手帖」のブックガイド特集でも、黙殺されている。ほとんど唯一の例外は、美術界の書物ではなく、雑誌「国文学」の絵画特集だった(ただし、筆者の書棚に現物が見当たらない)。
美術業界の人が文学に無縁だということではないだろう。池袋モンパルナスの画家たちと小熊秀雄の交友は知られているし、漱石による青木繁の批評はあちこちで引かれている。
とはいえ、実際に読んでみないと始まらない。
読み終わっての感想は、小林秀雄が好きな人はおもしろいだろうな、というものだった。
半世紀も前の本だから、引き合いに出される批評家がヴァレリィやヴォリンゲルやリルケなのはやむをえないとはいえ、それにしても、突っ込みどころ満載な本だ。
絵画の二大要素が、かたちと色であることは、大方の読者に賛成していただけると思うが、この批評家は、色ばかりにとらわれて、ほとんどかたちのほうに言及していない。セザンヌの面(プラン)すら、話を色へと収斂(しゅうれん)させてしまっているのは、信じがたい。たしかに印象派を論じるにあたって、色彩が前面に出てくるのはやむをえないが、それにしてもアングルからピカソにいたる画家が、色と形のどちらを重要視していたかぐらいは知っておいてほしいものだ。(
5月8日抹消)
思わず失笑してしまう文もある。
こんなくだりもある。
「言われるが」って、誰がテオドール・ルソーやバルビゾン派やクールベの存在を無視したような寝言を言っているのか知らないが、それ以上に、印象派が「人間を無視した」というのもすごい。印象派で風景ばかり描いていたのはモネとピサロぐらいなものだろう。ドガもルノアールもモリゾもたくさん人間の肖像を描いている。それとも、ドガやルノアールは印象派でないと言いたいのだろうか。
自分の論旨に合わせて事実を曲げるのも平気なのだ。さすが「最大の批評家」だ。
しかし、考えさせられたこともある。
なぜこの本が、文学畑の人に読み継がれ、美術界で黙殺されてきたか。そのいちばんの理由は、この本が、絵画作品そのものよりも、画家の人生に寄り添いすぎているからだと思う。
小林秀雄自身が認めているように、文学でも美術でも19世紀後半以降、「芸術のための芸術」を掲げるモダニスムの純粋志向が強まり、絵画のなかに文学的な要素を読み取ることははやらなくなってしまった。小林秀雄は、その傾向を認めつつも、反撥(はんぱつ)しているのである。
この反撥を、美術界の人は、鼻先で笑ってはいけないと思う。というのは、美術館の経営を根底で支えている、業界以外の「なんとなく、絵が見るのがすき」という人たちは、けっして美術作品をモダニスム的に見ているのではなく、その先に人生を見ているからだ。そういう人たちにとって、たとえば、ルノアールを論じたつぎのような小林節は、共感できるものがあるだろう。
文学や映画は、人生に相渉(あいわた)らなくては成立しにくいだろう。「芸術のための芸術」は、たかだかボードレール、マラルメ以降の風潮にすぎないが、人生は何千年も前からずっと続いているからだ。だから、小林秀雄の問題提起は、死に絶えることはないだろう。
ならば、美術は、人生に相渉らなくてもよいのか。
筆者の目には、モダニスムの芸術の行き詰まり、といって差支えがあれば、おもしろくないのは、明らかに見えるのだが。
なお、ごく最近になって、岡崎乾二郎が小林秀雄を「所詮、鎖国経済下の骨董屋の議論に過ぎない」と評している文章の存在することを知った(上田高弘「モダニストの物言い」242ページから孫引き)。
(追記)こういうblogもあるようです。
筆者が読んできた美術関連の本(といってもたかだか200冊とか300冊だが)や雑誌で、この本に言及したり、引用していたりしたものは皆無といってよい。美術出版社から出ている「楽しい美術本ガイド」や、月刊誌「美術手帖」のブックガイド特集でも、黙殺されている。ほとんど唯一の例外は、美術界の書物ではなく、雑誌「国文学」の絵画特集だった(ただし、筆者の書棚に現物が見当たらない)。
美術業界の人が文学に無縁だということではないだろう。池袋モンパルナスの画家たちと小熊秀雄の交友は知られているし、漱石による青木繁の批評はあちこちで引かれている。
とはいえ、実際に読んでみないと始まらない。
読み終わっての感想は、小林秀雄が好きな人はおもしろいだろうな、というものだった。
半世紀も前の本だから、引き合いに出される批評家がヴァレリィやヴォリンゲルやリルケなのはやむをえないとはいえ、それにしても、突っ込みどころ満載な本だ。
絵画の二大要素が、かたちと色であることは、大方の読者に賛成していただけると思うが、この批評家は、色ばかりにとらわれて、ほとんどかたちのほうに言及していない。セザンヌの面(プラン)すら、話を色へと収斂(しゅうれん)させてしまっているのは、信じがたい。
5月8日抹消)
思わず失笑してしまう文もある。
プーサンは、風景画家ではなかった。(新潮文庫73ページ)
こんなくだりもある。
印象派による風景画の勝利という事が言われるが、彼等は、自分等の手に合うものだけを、取り上げたまでだ。先ず人間を無視してみなければ、新しい道を切り開く事が適(かな)わなかったまでだ。(中略)もし印象派の画家達が、画題として人の顔を選べば、その手法の必然から、生きた顔を不思議な仮面に変えざるを得まい。(61ページ)
「言われるが」って、誰がテオドール・ルソーやバルビゾン派やクールベの存在を無視したような寝言を言っているのか知らないが、それ以上に、印象派が「人間を無視した」というのもすごい。印象派で風景ばかり描いていたのはモネとピサロぐらいなものだろう。ドガもルノアールもモリゾもたくさん人間の肖像を描いている。それとも、ドガやルノアールは印象派でないと言いたいのだろうか。
自分の論旨に合わせて事実を曲げるのも平気なのだ。さすが「最大の批評家」だ。
しかし、考えさせられたこともある。
なぜこの本が、文学畑の人に読み継がれ、美術界で黙殺されてきたか。そのいちばんの理由は、この本が、絵画作品そのものよりも、画家の人生に寄り添いすぎているからだと思う。
小林秀雄自身が認めているように、文学でも美術でも19世紀後半以降、「芸術のための芸術」を掲げるモダニスムの純粋志向が強まり、絵画のなかに文学的な要素を読み取ることははやらなくなってしまった。小林秀雄は、その傾向を認めつつも、反撥(はんぱつ)しているのである。
この反撥を、美術界の人は、鼻先で笑ってはいけないと思う。というのは、美術館の経営を根底で支えている、業界以外の「なんとなく、絵が見るのがすき」という人たちは、けっして美術作品をモダニスム的に見ているのではなく、その先に人生を見ているからだ。そういう人たちにとって、たとえば、ルノアールを論じたつぎのような小林節は、共感できるものがあるだろう。
花は人間の様だし、人間は花の様だ。これらの生き物が分ち合う命が同じなのである。(147ページ)
文学や映画は、人生に相渉(あいわた)らなくては成立しにくいだろう。「芸術のための芸術」は、たかだかボードレール、マラルメ以降の風潮にすぎないが、人生は何千年も前からずっと続いているからだ。だから、小林秀雄の問題提起は、死に絶えることはないだろう。
ならば、美術は、人生に相渉らなくてもよいのか。
筆者の目には、モダニスムの芸術の行き詰まり、といって差支えがあれば、おもしろくないのは、明らかに見えるのだが。
なお、ごく最近になって、岡崎乾二郎が小林秀雄を「所詮、鎖国経済下の骨董屋の議論に過ぎない」と評している文章の存在することを知った(上田高弘「モダニストの物言い」242ページから孫引き)。
(追記)こういうblogもあるようです。
まず、小林秀雄はセザンヌの、この言葉を引用している。
「自然に即して描き直されたプーサンというものを想像して見給え、私のクラシックという意味は、そこにあるのだ。君を制約するクラシックという様なものは、私は許せない。大家の許に出入りすればする程、自分自身に還って来る、そうありたいものだと思う。私は、プーサンのところから出て来ると、いつも自分が何んであるかをいよいよはっきり知るのだ。」
そのセザンヌの言葉につづいて、小林秀雄の文章が続く。
「明らかに、話の重点は、セザンヌが、正しいと信じた古典とか大家とかいうものの意味にある。彼は、絵画の道は一つしかない、それは今も昔も変らない、そう言いたいのである。プーサンは、その代表的な例として引かれたままである。
「プーサンは、風景画家ではなかった。(ここが梁井さんが引用したところ。)
「伝説や歴史は、その好む画題であった。
「しかし、プーサンが十七世紀人として使った思想という言葉に秘めた画家の心は、十九世紀人の画家人としての自分が使う感覚という言葉の真意と異なったものではないとさえ、セザンヌは、言いたかったのではあるまいかと思う。
「プーサンは、忍耐強い頑丈なリアリストであった。彼は色彩派ではなかった。画家が色彩に払う法外な努力を侮蔑していた。
「というのは、彼の考えによれば、そういう努力は、個人的な好みと結び、個人的な技巧を生み、そういうものに係わりのない。物の普遍的な真実性を覆って了うのが普通だからである。
「詩に於ける韻に耳を奪われて了う様に、絵の色の美しさに眼を奪われて了ってはならない。絵を見て眼を楽しますというより寧ろ描かれた物が何を語っているかを『正しく読むべきものだ』とさえ言っている。
「物の本性が見通せる様に眼を使う事、物がその本性を語る様に描き出す事、それがプーサンの思想であった。
「彼もまた、自然は表面より深さの方を沢山持っていると考えた、とセザンヌは考えたかったのであろう。」
では、61ページを見て見よう。
梁井さんが引用されてる文章の、段落の書き出しはこうなっている。
「水のきらめきという、水の表面性は、視覚の表面性に、うまく合致するが、人間の笑顔には、表面性という様なものはない。」である。
そして次の文章はこうなっている。
「人の顔に対するとは、こちらも見られているもう一つの眼を見る事だ。私達は、人を、互に眺め合う様にしか、見る事が出来ないものだ。肖像画家の対象は、ヘーゲルが言った様に、『果しのない主体性』なのである。
その次に、梁井さんが引用した文書が続く。
「印象派による風景画の勝利という事が言われるが、彼等は、自分達の手に合うものだけを取り上げたまでだ。先ず人間を無視してみなければ、新しい道を切り開く事が適わなかったまでだ。
(梁井さんが省略した文。)「(一束の藁が、青くも見え赤くも見えるのは、光の戯れによるが、人間になれば泣き顔を見せようが、笑い顔を見せようが、当人の勝手である。人の顔の表情は、外から来る光の条件などには、お構いなく、内から来る命の動きだけ刻々と変化する。)
「もし印象派の画家たちが、画題としての人の顔を選べば、その手法の必然から、生きた顔を不思議な仮面に変えざるを得まい。
そのあとに、つづく文章はこうである。
「そういうジレンマに比べれば、彼等が、無私な自然の観察を、ひたすら押し進めてみて、つまるところは、各人の気質に結ばれた不安定な印象を得たというジレンマの方が、まだまだ始末がいい。
「彼等は、この始末のいいジレンマで我慢したわけだが、画家の誕生とともの古い、肖像画という問題、其処にポッカリと穴が開いたのを、放って置くわけにはいかなかった。マネやドガやルノアールが、印象派の影響下にあって、印象派の手法に強い反撥を感じながら仕事をしたというのも、彼等は、皆、人間に強い興味を持って、これを描きつづけたが為だ、と簡単に考えるのが、一番正しいかも知れない。
数年前が小林秀雄の生誕百周年だったので、美術界でも読み直しの時期だったのでしょうか、小林秀雄のコレクションをテーマにした展覧会も数年前に美術館で開催されていました。
http://www.dnp.co.jp/artscape/news/0301/nikkei030115.html
日本における美術批評史を概観できるようないいブックガイドがないなあ、とは感じます。小林秀雄だけではなく、美術批評史を扱った良書がほしいものです。
岡崎乾二郎は小林秀雄を高く(?)評価していたはず・・C・グリーンバーグより十年前に「絵画は絵画であれば足りる」と指摘した人物として。(岡崎乾二郎・松浦寿夫著『絵画の準備を!』p323参照)
だが同時に、その限界も指摘している、という程度の理解でよかったのかな・・?確認のために早速、本をお取り寄せしました。
コメント内、
>>引用部分を長くしたところで、「プッサンが風景画家ではなかった」だの、「マネやドガやルノアールが印象派の影響下にあって」だのといった文のおかしさは変わりません
「プーサン(原文ママ)は、風景画家ではなかった」、「マネやドガやルノアールが印象派の影響下にあって」という文章のどこに問題があるのでしょうか。誰もが常識的に考えて、プッサンは風景画家ではないし、マネ、ドガ、ルノアールに印象派の影響が見られるは明らかと思うのですが。
なお、本文中の
>>アングルからピカソにいたる画家が、色と形のどちらを重要視していたかぐらいは知っておいてほしいものだ
における「アングルからピカソにいたる画家」というのは、アングルとピカソの間には、どのような画家の事を想定して書かれているのでしょうか。
「黙殺」というと、悪意を感じますが、そういうことではないと思います。ただし、知名度のわりにはほとんど論じられていないという印象が強いです。
岡崎乾二郎氏の発言はもう15年も前のことですから、その間に小林秀雄観も変わったのかもしれません。
はじめまして。
でも、偶然、わたしは夕べ、池田さんのブログを読んでいました。
わたしは、プッサンというと思い出すのが「オルフェウスとエウリディケのいる風景」「パトモス島の聖ヨハネ」などでしたから、プッサンを風景画家でないと言い切られると、抵抗を感じます。
もちろん「エレエゼルとリベカ」「アルカディアの牧人たち」の画家ですから、歴史画家というほうが正しいという見方も当然あるでしょうから、「失笑する」ほどではなかったかもしれませんが。
印象派の先輩にあたるマネはともかく、ドガやルノワールは印象派のメンバーです。
印象派のメンバーが印象派の影響を受けた、というのは、日本語としておかしいとわたしは思います。
「アングルからピカソにいたる」という言い回しは、このふたりの画家の間に、おなじようにかたちを重視する画家がいっぱいいるように受け止められますね。誤解をまねく書き方でどうもすいません。このセンテンスは撤回します。
ただ、小林秀雄がどうして色の話ばかりするのか(ベラスケスなどのくだりでも)は、やはり謎です。
「黙殺」というフレーズは梁井さんの言葉ですが
(「なぜこの本が、文学畑の人に読み継がれ、美術界で黙殺されてきたか。」)意図的なものでないということですね。了解しました。ありがとうございます。
『モダニストの物言い』が手に入ったので、ただいま、勉強中です。
>池田孔介さま
はじめまして。塚崎美歩と申します。
以前、『アンチノミー』展での展示を拝見いたしました。赤い光の作品、かっこよくて勉強になったので印象に残っております。このスペースでお見かけできて大変嬉しいです。
いつか北海道でも作品を鑑賞できる機会があればと思います。
>>「アングルからピカソにいたる」という言い回しは、このふたりの画家の間に、おなじようにかたちを重視する画家がいっぱいいるように受け止められますね。誤解をまねく書き方でどうもすいません。このセンテンスは撤回します。ただ、小林秀雄がどうして色の話ばかりするのか(ベラスケスなどのくだりでも)は、やはり謎です。
ーー
私が読む限り、小林は形の問題を無視している訳ではありません。むしろ、本書のうちの三分の一という分量を与えられて書かれた最終章「ピカソ」において、形態の問題に焦点を絞って論旨が展開されています。確かにそれより前の諸章において色彩、線の問題に重点が置かれているのは確かですが、その訳は第一章「ボードレール」において明言されています。
「近代絵画の運動とは(…)いかにして絵画の自主性或は独自性を造り出そうかという烈しい工夫の歴史を言うのである。」(p10)「絵は外にある主題の価値を指さない、額縁の中にある色の魅惑の組織自体を指す。」(p15)
ボードレールに代表される近代芸術の運動、絵画の純粋化の過程における色彩の重視というのはグリーンバーグのある時期の議論とも重なっており、なぜそこに疑問を感じられるのか分かりません。「絵画の二大要素」として形と色を挙げられていますが、単純に言って、形は、例えば彫刻においても扱える、それゆえ、絵画というメディウムの特性として色彩が全景化する、ここには何の問題もないでしょう。
寧ろ,ポイントは、なぜ小林が比較的大きな割合をもってピカソの章を、しかもそれまで色彩や線を中心に論じてきたのにもかかわらず、最後に形態の問題を扱わなければならなかったのか、という事にあると思います。
「言葉と離別して、近代絵画の道が、どんなに純粋な色や線の魅力を現すに到ろうとも、全く沈黙した色や線が現れるということはない」(p182)と、これまで積み上げてきた諸章での視点を問いなおし、「画家のヴィジョンは、対象から来る力と、画家の内部から来る力とが均衡する一点を中心として定着される」(p252)「何故、わからぬ絵の展覧会が満員になるのか(…)人々はピカソの提示する形象の不安と謎とに、我れ知らず、誘われている」(p256)というように、色彩、線の問題から形態の問題へと展開を見せています。
確かに、その語り口には分かりにくい箇所も多く、「形象の不安と謎」とが何に由来するのか、明確に理論化できている訳ではありません。しかし、それをあえてこの章の中から探すとすれば、「ディフォルマシオン」という言葉で小林が説明しようとしている、形の変形の効果にあると思います。「対象から来る力」を「画家の内部から来る力」が変形させてゆく、そこに小林が近代絵画の臨界点を見た事は驚くに値します。なぜなら、そのような議論は寧ろ、グリーンバーグ的な近代絵画の原理を批判したロザリンド・クラウスの議論などと重ねて考える事ができるからです。
手前味噌で申し訳ないですが、ある作家の作品紹介としてこの点は指摘した事があります。よろしければこちらをご参照ください。http://correlative.org/exhibition/spiritual/okada.html
先に述べたように、小林の言い回しには理解し難い「文学的」な言い回しも非常に多く、そのことが本書の理解を妨げていることは事実だと思いますが、であるからこそ、それに足を取られる事なく、そこにある思考の軌跡をより丁寧に見てゆく必要があるのではないかと考えます。
長くなりましたが、さしあたり。
>>塚崎さま、
作品を観ていただいたようで、ありがとうございます。ぜひ、そのうちに北海道でも展示の機会があれば、と思います。