3年前に103歳で亡くなった小樽在住の書家、宇野静山さんの遺作展。
北海道文化賞まで得ている、道内書壇の最長老として重きをなした書家だったが、北海道新聞では地方版扱いであった。
なにせ、日本の近代書道史の最重要人物とされる比田井天来の愛弟子である。上田桑鳩にはおよそ四半世紀にわたって師事し、毎日書道展、北海道書道展には創設時からかかわっている。そういう人物が北海道で活動していたというだけでも、「書道王国・北海道」に住む者としては感慨が深い。
毎日新聞道内版から。
http://mainichi.jp/feature/news/20131116ddlk01040327000c.html
この記事を読んでから、会場に行けば良かったと思った。
というのは、会場で手にしたしおり(簡便な図録)には51点が記されていたのである。
しかし、見ていると、しおりに掲載されていない作品が「独上江楼」「壽與山斉」(ほとんど絵文字のようだ)など、いくつもあるのだ。76点もあったとは…。
残念だったのは、ほぼすべての作品の制作年次が記されていなかったこと。回顧展であるならなおさら、編年で、書風の推移を知りたかったのだが。
展示作でやはり多かったのは、あの見なれた、やわらかい筆で自由闊達かったつに線を走らせた行草書であった。
以下、素人のまったく個人的な感想になるが、それらの書を見ていると、作為というものをまるで感じない。書家本人には「こうやって仕上げてやろう」という野心や気負い、意図などはみじんもなく、ただ筆のおもむくままに書き上げているという感じが強くしてくるのだ。
言うなれば、筆がするすると勝手に動くのを、右腕が追認しているかのような、力みの抜けた線なのだ。たとえば「煙淡門外青山迎 露重窓前線緑竹低」という漢詩の部分など、竹の字が上下にやたらとのびているが、わざとらしさはまるでないのだ。
しかし、筆がルンバのように電気仕掛けで自動で動くはずもないから、これは、何十年もの稽古の積み重ねが、ついに書家をして、そのような自在の境地にいたらしめたというのが正解なのだろう。臨書など、「型」の習得に大きな労力と長い年月を割いた後に、ようやく自我というものがにじみ出てくるというのは、いかにも日本的なあり方ではあるとはいえ、確かにあるのだと思わされるのだった。
2013年11月12日(火)~17日(日)
スカイホール 全室(札幌市中央区南1西3 大丸藤井セントラル7階)
■書家の宇野静山さん死去 (2010年)
■臥龍社書展(2008年)
■北玄社書展 (2006年)
■第21回臥龍社書展(2003年、11月11日の項)
■第20回臥龍社書展
=いずれも画像なし
北海道文化賞まで得ている、道内書壇の最長老として重きをなした書家だったが、北海道新聞では地方版扱いであった。
なにせ、日本の近代書道史の最重要人物とされる比田井天来の愛弟子である。上田桑鳩にはおよそ四半世紀にわたって師事し、毎日書道展、北海道書道展には創設時からかかわっている。そういう人物が北海道で活動していたというだけでも、「書道王国・北海道」に住む者としては感慨が深い。
毎日新聞道内版から。
http://mainichi.jp/feature/news/20131116ddlk01040327000c.html
(冒頭略)
静山さんは、札幌師範学校(現北海道教育大)を卒業。小樽市内で高校教諭を務める一方、「現代書道の父」と呼ばれる比田井天来氏をはじめ、松本芳翠、高塚竹堂、上田桑鳩の各氏に師事し、書家として研さんを重ねた。
戦前の1937年第1回大日本書道院展で銅賞、52年日展入選、77年北海道文化賞を受賞するなど輝かしい書歴があり、毎日書道展や創玄書道会、北海道書道連盟の創設に尽くした。
臥龍社は静山さんが1940年に設立した書道団体で、三回忌を終えた節目を記念し、今回の遺作展を企画した。静山さんの20代から晩年の100歳までに書き残した76点を展示。骨太の力強い線で知られた静山さんの代表的な創作漢字をはじめ、詩文書、かな、臨書なども含まれている。社主を引き継いだ長男の宇野溪雪さんは「古典に立脚した正統派の作品制作を続けていた書業を見ていただきたい」と話している。
この記事を読んでから、会場に行けば良かったと思った。
というのは、会場で手にしたしおり(簡便な図録)には51点が記されていたのである。
しかし、見ていると、しおりに掲載されていない作品が「独上江楼」「壽與山斉」(ほとんど絵文字のようだ)など、いくつもあるのだ。76点もあったとは…。
残念だったのは、ほぼすべての作品の制作年次が記されていなかったこと。回顧展であるならなおさら、編年で、書風の推移を知りたかったのだが。
展示作でやはり多かったのは、あの見なれた、やわらかい筆で自由闊達かったつに線を走らせた行草書であった。
以下、素人のまったく個人的な感想になるが、それらの書を見ていると、作為というものをまるで感じない。書家本人には「こうやって仕上げてやろう」という野心や気負い、意図などはみじんもなく、ただ筆のおもむくままに書き上げているという感じが強くしてくるのだ。
言うなれば、筆がするすると勝手に動くのを、右腕が追認しているかのような、力みの抜けた線なのだ。たとえば「煙淡門外青山迎 露重窓前線緑竹低」という漢詩の部分など、竹の字が上下にやたらとのびているが、わざとらしさはまるでないのだ。
しかし、筆がルンバのように電気仕掛けで自動で動くはずもないから、これは、何十年もの稽古の積み重ねが、ついに書家をして、そのような自在の境地にいたらしめたというのが正解なのだろう。臨書など、「型」の習得に大きな労力と長い年月を割いた後に、ようやく自我というものがにじみ出てくるというのは、いかにも日本的なあり方ではあるとはいえ、確かにあるのだと思わされるのだった。
2013年11月12日(火)~17日(日)
スカイホール 全室(札幌市中央区南1西3 大丸藤井セントラル7階)
■書家の宇野静山さん死去 (2010年)
■臥龍社書展(2008年)
■北玄社書展 (2006年)
■第21回臥龍社書展(2003年、11月11日の項)
■第20回臥龍社書展
=いずれも画像なし