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小田原のどか ↓(1923ー1951)  あいちトリエンナーレ:2019年秋の旅(66)

2020年01月04日 12時13分33秒 | 道外の国際芸術祭
承前

 この作品を見たのは、ホー・ツーニェンの重量級の作品に圧倒された直後だった。

 つい忘れがちになるけれど、起源からいえば、上に載っている像よりも大事な存在である「台座」そのものをテーマにした作品だ。

 何の台座かというと、前項の最後にカラー写真が小さく写っていた、菊池一雄「平和の群像」。3人の裸婦像だが、その台座部分である。
 これは1951年、皇居堀端の三宅坂小公園に設置されたもので、作者がもうひとつの会場(名鉄豊田市駅)に置いていたパンフレット「Look at the sculpture」によると「わが国では最初の裸婦の街頭進出」であるという。
 以前は、この台座の上には、北村西望の「寺内元帥騎馬像」があったという。
 戦中の金属回収によって騎馬像は姿を消し、台座が再利用されたのだ。

 元帥と平和では正反対なのだが、さして深い考えもなさそうに、上の部分だけそっくりすげ替えるというのが、なんとも日本的な光景であるように思われる。
 しかしこれは、まだマシなほうであって、小田原の編著書によると、清水多嘉示の《出征勇士を送る》(旧題は《千人針記念碑ノ一部(出征兵士ヲ送ル》)は、戦後は《はばたき》や《母子像》と改題されて彼の代表作となったとのことだし、宮崎県に日名子実三が建立した「八紘一宇の塔」は戦後、「平和の塔」と呼ばれるようになっている。

 この台座の上には、鑑賞者が上れるようになっており、言うなれば、上にのぼって完成する参加型の作品ともいえる。

 トリエンナーレ終了後、作者が明らかにしたことには、この台座は宮城きゅうじょう、すなわち皇居の方角に面しているという。

 筆者は、係員に一眼レフカメラを渡して、写真を撮ってもらった。
 「レーニン像」うんぬんの言葉が脳裡にあったわけではないが、こういうシチュエーションだと、なんとなく独裁者っぽいポーズをとってしまう(北海道弁で「とらさる」)のはなぜだろう(笑)。

 もっとも、筆者も台座の上から地面に向かってスマートフォンで撮影していたのだが、もちろん聴衆は誰もいないので、独裁者の気分にはなりようがないのであった。
 革命後にバルコニーから大勢の群衆に向かって語りかける政治指導者とは、全然異なるのだ(笑)。



 ここに誰でも上がることができる、という仕掛けは、軍人だろうと平和の裸婦像だろうとおかまいなしに載せてしまうこの国の彫刻の在り方(そして精神構造)に対する、作者なりの痛烈な皮肉なのかもしれない。



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2018年に読んだ本(1) 『彫刻 SCULPTURE 1 彫刻とは何か』(小田原のどか編著、トポフィル)



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