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「低調」「展望がもてない」とまとめてしまうことについて

2006年01月26日 16時05分25秒 | 新聞などのニュースから
 北海道新聞1月19日夕刊に、道立三岸好太郎美術館の穂積利明主任学芸員さんによる「美術季評 2004年10-12月」が掲載されていました。
 構造社展を中心に筆を進めた後で、穂積さんは次のようにしめくくります。

 (以下引用)この時期に限ったことではなく、昨年はおおむね個展、グループ展が低調だった。
 今月末には、札幌市内の美術拠点として長年活動してきた伝説的ギャラリー「テンポラリースペース」が閉鎖されることが決まっている。また同様の「プラハ」も昨年七月に拠点を閉鎖し、一定の展示空間をもたない活動へと移行している。個展、グループ展の低調さと、こうした歴史的ギャラリースペースの閉鎖の底には、「現代の美術に展望や自信がもてない」という、同じ心理が横たわっているような気がしてならない。(引用終わり)

 「低調だった」
って、穂積さんはあいかわらずきびしいなあと思います。
 もっとも筆者は札幌にいなかったこともあり、その評言が、そのとおりなのか、それともきびしすぎるものなのかは、なんともいえません。 
 フリースペースPRAHAの拠点や、テンポラリースペースの閉鎖は、建物や土地の所有者の事情が理由であって、直接美術の状況と関聯しているわけではありません。ただし、穂積さんの目には、なにがしか通底するものがあると映るのでしょう。
 ことしは、「水脈の肖像」展が4年ぶりに道立近代美術館でひらかれ、北海道と韓国の中堅アーティストが競作するのをはじめ、札幌芸術の森美術館では「北の創造者たち」展と、「北の創造者たち・その後」と題した連続個展もひらかれると聞いています。見ごたえのある展覧会になれば、と思います(と、安直にまとめてしまった)。

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5 コメント

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雑感 (エゾ三毛猫)
2006-01-26 22:22:16
人100人いれば、意見も100通りですね。

個展やグループ展など、創作活動を果たして

一年というスパン枠に、はめ込んでいいものなのか?



いいものが出来たら発表する、そこには年月とは

別の時間の流れがある様に思います。

低調とか好調とか、アートは昨年対比とか去年比とか

関係ないですよね。

去年の誰かと競っているわけじゃあるまいし。



プラハに限っていれば、ここ数年は開店休業の状態で

今更でしょう。

新しいギャラリーが数多くできて、絶対数は増えて

いると思います。



今月で中森さんがクローズしますが、ここも

楽しかった。
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Unknown (ねむいヤナイ)
2006-01-27 14:24:00
穂積さんは国際展とかもたくさん見ている方なので、その水準とくらべてしまうのかもしれません。

まあ、なあなあになるよりは、いいんじゃないかと。

それより、プラハを開店休業なんて言うと、大橋君がかわいそうです。

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開店休業、、、、 (エゾ三毛猫)
2006-01-27 15:55:12
スケジュールでは確かに開催中なのに、

管理人が来てなくて入れない、、、、。

所用で出かけて入れない、、、、、、。

ガラス越しに作品見てると、なんだか

あやしい人みたいでした(私がね)。

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「低調」かもしれない? (T.nakamura)
2006-01-27 23:32:28
製作者・作家と観察者・批評家の立場の違い・認識の違いは確かにあると思う。見解の相違も生じると思う。



ただし、作品の水準の評価を世界的視野において問題にするとしたなら、しかもそれを問題にすることが可能であるとしたなら、話は別である。やはり、謙虚に、その考察を聞こうではないか。世界的水位での作品の動きについて。



願わくば、この空間において、自由に考えを表明できることを。



「低調」かどうかの主観的印象は実はどうでもいい。それに対抗するような、それに対峙するような作品の強度を発見することこそ、観察者・批評家の大事な役割である。



私は最近は写真展にしか足を運ばないが、若い写真家の作品を見ていて、「低調」とは全然感じないのである。たとえば、足立君の写真作品。たとえば、中川君の写真作品。



彼らの写真表現に通底する「なにものか」に私は惹きつけられるのだ。それは「現在」であり、「現代」であり、「リアルなもの」であり、「先端」である。彼らの肉眼がとらえる光景なり風景なり人物なりに感じる「なにか」を正確な言葉に翻訳できないが、翻訳できたらいいなとも思う。



「表現の現在」をひと括りすることはもはや誰にもできない。無数の個的表現の多様性という現象に誰もがさらされている。その影響関係をひと括りで説明することもできない。



それらしく、それなりに、見得を切って、「表現の現在」と括るだけだ。



現在の表現によってためされているのは、作家ではなく、観察者・批評家の方ではないのか。



ま、そんなことを考えながら、私は足立君の写真展に足を運ぶつもりでいます。
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レス遅れてすいません (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2006-02-01 10:41:58
 >エゾ三毛猫様



 あー、それは、いちばん最後のボイラーギャラリーでしたね。

 でも、その前は、本州のアートスペースとの交流など、けっこう意欲的にやっていたと思いますよ。



>T.nakamauraさま



 ありがとうございます。

 たしかに若い人の写真は、以前から筆者も折に触れ書いていますが、おもしろいですよね。「美術批評」からすっぽり抜け落ちているようで、ゆゆしき問題だと思います。

 
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