「方丈記私記」は、小説家堀田善衛が1971年に刊行した随筆である。
大空襲で東京が廃墟と化しつつあった大戦末期、「方丈記」を読んで、そこに描かれた末法的な京都のようすに共感し、それと重ね合わせるようにして、鴨長明の人物とその時代に迫った…とでもまとめればよいのだろうか。
鴨長明の伝記でもなければ「方丈記」の解釈書でも歴史書でもなく、さりとて自分のことばかり書いているわけでもない。まさに随筆と称する以外に形容しがたい、自由につづられた書物なのだが、日本人の精神に底流している伝統主義への鋭い批判が随所ににじみ出ており、なかなか考えさせられる。
さて、この本で堀田善衛は私事に即しながら文章を展開しているので、それに倣って、わたしも彼の文章に、個人的に触発され衝撃を受けた部分について記そうと思う。
まず、話の前提として、鴨長明が生きた時代の、貴族による歌壇の主流は、新古今和歌集にみられるように、現実から全く遊離し、現実を拒否した、古語による芸術至上主義が占めていた。歌のどこにも、その時代の飢饉や戦乱は影を落としていない。
「世界の文学史上、おそらく唯一無二の美的世界である。異様無類の「夢の浮橋」である」(204~205頁)
と堀田は驚嘆しているが、決してこれは極端な見方ではなく、大岡信もどこかで似たような文学観を披瀝していたと記憶する。
続いて堀田は次のように論じる。
引き続いて堀田は、創造よりも伝承を重んじる日本文化の権威主義を批判するのであるが、筆者は上の引用部分で、強い衝撃を受けたのだ。
つまり、文学は戦争中に、一見時代に即しているかのように見えながら、じつは現実からおそろしくかけ離れたことばを紡いでいたという堀田の指摘なのだが、これは美術の場合と正反対ではないだろうか。
モダニスムの美術の大前提は、まず形、そして色が大事なのであって、対象が何かは二の次であった。その発展の延長線上に抽象美術が生まれる素地があったわけだ。
しかし、現実世界から遊離していることをとがめられた1930年代の日本美術は、急に写実主義に舞い戻って兵隊たちの活躍を描き始めた。それが「戦争画」だったのではあるまいか。
要するに、文学と美術では、表現と現実の関係が、全く逆なのだ。
だからどうなのだ、と訊かれると、継ぐ言葉が見当たらない。
美術における主題主義がニヒリズムの元凶になった、という意味のことを、河北倫明が「日本の近代美術」で書いていた。美術では、現実世界に接しようとするとき、安直な仕方で近づくと、作品を堕落させてしまう。
つまり、言葉や概念の絵解きになってしまうということは、いうまでもないだろう。
これまた、筆者ごときがいうまでもなく、モダニスムは抽象表現主義とミニマルアートに行きついて袋小路に陥り、現代美術は、再び現実の方へと橋を架けつつある。
現実とどう向き合うのか。それは、美術にとって永遠の課題のように思われる。
(この項未完)
大空襲で東京が廃墟と化しつつあった大戦末期、「方丈記」を読んで、そこに描かれた末法的な京都のようすに共感し、それと重ね合わせるようにして、鴨長明の人物とその時代に迫った…とでもまとめればよいのだろうか。
鴨長明の伝記でもなければ「方丈記」の解釈書でも歴史書でもなく、さりとて自分のことばかり書いているわけでもない。まさに随筆と称する以外に形容しがたい、自由につづられた書物なのだが、日本人の精神に底流している伝統主義への鋭い批判が随所ににじみ出ており、なかなか考えさせられる。
さて、この本で堀田善衛は私事に即しながら文章を展開しているので、それに倣って、わたしも彼の文章に、個人的に触発され衝撃を受けた部分について記そうと思う。
まず、話の前提として、鴨長明が生きた時代の、貴族による歌壇の主流は、新古今和歌集にみられるように、現実から全く遊離し、現実を拒否した、古語による芸術至上主義が占めていた。歌のどこにも、その時代の飢饉や戦乱は影を落としていない。
「世界の文学史上、おそらく唯一無二の美的世界である。異様無類の「夢の浮橋」である」(204~205頁)
と堀田は驚嘆しているが、決してこれは極端な見方ではなく、大岡信もどこかで似たような文学観を披瀝していたと記憶する。
続いて堀田は次のように論じる。
本歌取り、すなわち伝統憧憬がかくまでに極端なことになり、生者の現実を拒否するという思考の仕方は、しかし、七百年のむかしのことだけではないのである。一九四五年のあの空襲と飢餓にみちて、死体がそこらにごろごろしていた頃ほどにも、神州不滅だとか、皇国ナントヤラとかという、真剣であると同時に莫迦莫迦しい話ばかりが印刷されていた時期は、他になかった。戦時中ほどにも、生者の現実は無視され、日本文化のみやびやかな伝統ばかりが本歌取り式に、ヒステリックに憧憬されていた時期は、他に類例がなかった。(207頁)
引き続いて堀田は、創造よりも伝承を重んじる日本文化の権威主義を批判するのであるが、筆者は上の引用部分で、強い衝撃を受けたのだ。
つまり、文学は戦争中に、一見時代に即しているかのように見えながら、じつは現実からおそろしくかけ離れたことばを紡いでいたという堀田の指摘なのだが、これは美術の場合と正反対ではないだろうか。
モダニスムの美術の大前提は、まず形、そして色が大事なのであって、対象が何かは二の次であった。その発展の延長線上に抽象美術が生まれる素地があったわけだ。
しかし、現実世界から遊離していることをとがめられた1930年代の日本美術は、急に写実主義に舞い戻って兵隊たちの活躍を描き始めた。それが「戦争画」だったのではあるまいか。
要するに、文学と美術では、表現と現実の関係が、全く逆なのだ。
だからどうなのだ、と訊かれると、継ぐ言葉が見当たらない。
美術における主題主義がニヒリズムの元凶になった、という意味のことを、河北倫明が「日本の近代美術」で書いていた。美術では、現実世界に接しようとするとき、安直な仕方で近づくと、作品を堕落させてしまう。
つまり、言葉や概念の絵解きになってしまうということは、いうまでもないだろう。
これまた、筆者ごときがいうまでもなく、モダニスムは抽象表現主義とミニマルアートに行きついて袋小路に陥り、現代美術は、再び現実の方へと橋を架けつつある。
現実とどう向き合うのか。それは、美術にとって永遠の課題のように思われる。
(この項未完)