すっかり書くのがおそくなってしまいましたが、札幌在住の日本画家笹山峻弘、伴百合野、北山寛明、中島涼沙の4氏による、スカイホール企画展が、11月30日から12月5日まで、同ホール(中央区南1西3、大丸藤井セントラル7階)でひらかれました。
毎年のようにインドに取材旅行している笹山さん。
下の作品は3年がかりで完成させたもので、いったん着彩した色を墨で消して、非常に剛直というか、力強い画面を現出させています。
モティーフは、作品によってチベット仏教の寺院だったり、曼荼羅だったり、ヒンドゥー教の寺院だったり、さらにはマニ教の仏だったりするわけですが、信仰の違いを越えて人間存在にせまろうという迫力みたいなものを感じます。
伴さんのこの作品は、古い家を解体するときに出てきたふすまに描かれています。
そこに、この春のシルクロード旅行で得た衣服の文様が描きこまれていたり、イコンがコラージュされていて、見ていて飽きません。いわば、時間と空間を越えた要素が平面的、並列的に表現されているのが伴さんの絵といえます。
こういう描法が、一点からすべてを見渡そうとする西洋的な絵画の思想と根本から異なった発想にあることは、いうまでもないでしょう。
さらに、日本画というものが、江戸時代までの装飾的なスタイルを捨ててタブローになることで成立した歴史を思えば、ふすまに描いたということ自体、現行の日本画に対する批評性を帯びているといえなくもありません。
若手の北山さんのメーン作品は旧作ですが、この滝を描いた作品は何度見ても楽しいです。
近づいてみると、白い飛沫による抽象画のようでいて、離れて見るとちゃんと滝の絵になっている。
しかもこの作品には、中心とか周辺といったものがなく、滝は左右にどこまでも続いているように見えるのです。人間などが描かれていないので、大きさもわかりません。
非常に写実的に見えながら、たんなる再現的ではない作品だといえると思います。
新作の小品は、小さなパネルを支持体に貼り付けたもので、草などの委細な描写はボタニカルアートのようでいて、どこか異質な手触りがあります。
中島さんは教育大を出たばかりの若手です。
水の中のカエルやカバをモティーフにしています。
手前の最新作は、色をほとんどつけず、描線の持つ力を見直してみたとでもいうべき作品になっています。陰影もほとんどついていません。
もともと、陰影をつけず、もっぱら輪郭線によって描写していた日本の絵画を、現代的にとらえなおそうとしているのかもしれません。
毎年のようにインドに取材旅行している笹山さん。
下の作品は3年がかりで完成させたもので、いったん着彩した色を墨で消して、非常に剛直というか、力強い画面を現出させています。
モティーフは、作品によってチベット仏教の寺院だったり、曼荼羅だったり、ヒンドゥー教の寺院だったり、さらにはマニ教の仏だったりするわけですが、信仰の違いを越えて人間存在にせまろうという迫力みたいなものを感じます。
伴さんのこの作品は、古い家を解体するときに出てきたふすまに描かれています。
そこに、この春のシルクロード旅行で得た衣服の文様が描きこまれていたり、イコンがコラージュされていて、見ていて飽きません。いわば、時間と空間を越えた要素が平面的、並列的に表現されているのが伴さんの絵といえます。
こういう描法が、一点からすべてを見渡そうとする西洋的な絵画の思想と根本から異なった発想にあることは、いうまでもないでしょう。
さらに、日本画というものが、江戸時代までの装飾的なスタイルを捨ててタブローになることで成立した歴史を思えば、ふすまに描いたということ自体、現行の日本画に対する批評性を帯びているといえなくもありません。
若手の北山さんのメーン作品は旧作ですが、この滝を描いた作品は何度見ても楽しいです。
近づいてみると、白い飛沫による抽象画のようでいて、離れて見るとちゃんと滝の絵になっている。
しかもこの作品には、中心とか周辺といったものがなく、滝は左右にどこまでも続いているように見えるのです。人間などが描かれていないので、大きさもわかりません。
非常に写実的に見えながら、たんなる再現的ではない作品だといえると思います。
新作の小品は、小さなパネルを支持体に貼り付けたもので、草などの委細な描写はボタニカルアートのようでいて、どこか異質な手触りがあります。
中島さんは教育大を出たばかりの若手です。
水の中のカエルやカバをモティーフにしています。
手前の最新作は、色をほとんどつけず、描線の持つ力を見直してみたとでもいうべき作品になっています。陰影もほとんどついていません。
もともと、陰影をつけず、もっぱら輪郭線によって描写していた日本の絵画を、現代的にとらえなおそうとしているのかもしれません。