![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/19/bebb47a98e068882a77f3056c8ac2c2b.jpg)
帯広の池田緑さんが、名前シールなどに用いるダイモテープを使って自己の存在証明のようなものを展開しようとした昨年の茶廊法邑での個展「I WAS BORN.」。その際は、帯広で同居している母親が100歳を迎えたことから、母にささげる意味をこめて100本の筒を会場に並べたが、今回は父親(故人)をテーマにした。
…と書きだしてから、肝心の茶廊法邑での個展について、当ブログでほとんどなにも記録していないことに気がついて、がっくり落ち込んでいる。
しかし気を取り直して述べれば、「I WAS BORN.」という題の個展であれば、自分の両親にささげるという意味合いをもつのは、ごく自然なことだろうと思う。
会場の、窓に向かって左側にはこのカラフルな作品が展示されている。
池田さんのブログから引用すると…。
「もちろん」といわれると、ちょっとだけこまるのは、池田さんが帯広・真正閣のコンテンポラリーアートなどで発表した「日を編み,言葉を紡ぐ」では、テープの色は居住地によって分けられていたからである。
今度の作品は、2014年、北見市留辺蘂町で開かれた「極東 コンテンポラリーアート」で発表されたもの(ただし、テープのつるし方はかなり異なる)。
ごくおおざっぱに言うと、黄色から赤に変わるにつれて、油絵→現代アート へと表現方法が変わっていっている。もちろん、手法だけではなく、気分も変わっているのだ。
(なお、筆者は「極東」展についても、道内で過去開かれたグループ展でも最大規模であったにもかかわらず、けっきょく書かずじまいである。ほんとうに、われながら、ひどい)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/74/f6439ec6cb327649f367d21aac62609d.jpg)
このテープにも、一日一日の日付が刻印されている。
そして、毎日更新されている。
手法は現代アート的だが、おばあさんが毎日編み物をしたり、庭仕事ですこしずつなにかを積み重ねていくのと、どこかで共通する(そして、そのこと自体は、作品の評価を下げるものではまったくない。むしろ、「日々の営み」という性質で共通するということは、人間の普遍的ななにかに、表現が届こうとしているのだと思う)
あらためて見ると、「こんなに」と感じる人もいるだろうし、「これだけか」と肩を落とす人もいるだろう。
時間というものの不思議さが、提示されている。
一方、向かって右側の窓辺には「60の肖像」。
金色のダイモテープに日付を打ち込んだ作品で、1本の長さは10メートル。2005年に完成しているが、こういうかたちで見せるのは初めてとのこと。
自分の生きてきた時間のことをおもって、一気に刻印したのだろう。
「時間の長さ」という、誰もが知っていながら、いまひとつつかみどころのないものが、膨大な作業とともに視覚化され、物質化している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/22/91cae7335ccbe1c44ee72e243149b8d3.jpg)
ほかに、インスタレーションではなく、「I WAS BORN.」と刻印されたテープを額装した作品も展示されている(冒頭画像は、その一部)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/bb/02902f448f744c8d286dad607e5ec475.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/dc/79258271500b4ce15ed678dcf1d9e1fb.jpg)
展示スペースを、引いた場所から眺める。
手前の卓上には、処分されずに残った亡父の著書や蔵書、ドイツ語辞典が、透明ケースに入れられて並んでいる。
お父さまは、シベリアに抑留され、帰国後は米国の哲学者・教育学者ジョン・デューイを研究する教育哲学者として、道学芸大(現道教大)の教壇にも立った。池田緑さんは「父の授業を受けたことがある」と回想していた。
ところで、池田さんは1943年(昭和18年)、当時は日本の統治下にあり現在は北朝鮮領となっている咸興の生まれである。
戦後引き揚げて、秋田や札幌、釧路で過ごした。
この生い立ちからは「ポストコロニアリズム」という語が自然と念頭に浮かんでくるが、池田さんの作品自体は、意外とそっちの方向には進んでいかない。
したがって、各時代とのかかわりのほうには作品が開いていかず、自分史的な側面が目立つようになっている。
日本統治下の朝鮮の生まれ、父親のシベリア抑留といった経歴から、より作品世界が開ける方途もあるのではないか。外野席の人間として、勝手にそんなことを考えている。
2016年5月10日(火)~22日(日)午前10時30分~午後10時(日~午後8時)
ト・オン・カフェ(札幌市中央区南9西3 マジソンハイツ)
□ブログ「緑の風」 http://imgreen.exblog.jp/
□池田さんのサイト http://www.ima.me-h.ne.jp/~ikeda.midori/
過去の関連記事へのリンク
■池田緑展 FOUR WORD STORIES「四つの言葉」の物語 (2015)
防風林アートプロジェクト(2014)
【告知】18人の写真表現-焼きつけられたイメージ(2013、釧路)
■置戸コンテンポラリーアート(2012)
■池田緑「マスク・プロジェクト<最終章>-サホロ1999~ハルカヤマ2011- ハルカヤマ藝術要塞
■真正閣で池田緑作品を見る 帯広コンテンポラリーアート(2011)
北海道新聞の6月29日「ひと 2011」欄は池田緑さんが登場
あおもり国際版画トリエンナーレ2010で池田緑さん、風間雄飛さん入賞
■池田緑展 Silent Breath―沈黙の呼吸(2010)
■池田緑展-六つのこと・444の日- (2010)
■池田緑さんによるマスクイベント アジアプリントアドベンチャー
■池田緑 1993-2008現代美術展(2008年6月)■続き
■深川駅前にマスクの花(同)
■田園都市のコンテンポラリーアート 雪と風の器(2008年3月)
■越後妻有(つまり)アートトリエンナーレ(2006)
■十勝千年の森=水脈の森・万象の微風 自然=人間=大地(2003年10月8日の項)
■十勝の新時代 池田緑展(2002年、道立帯広美術館)
■池田緑展アーティストトーク(同上)
■とかち環境アート(02年)
□「てんぴょう」誌に筆者が寄稿した文章
・地下鉄南北線「中島公園駅」から約220メートル、徒歩3分
・地下鉄東豊線「豊水すすきの駅」から約600メートル、徒歩8分
・中央バス、ジェイアール北海道バス「中島公園入口」から約380メートル、徒歩5分
・市電「山鼻9条」から約610メートル、徒歩8分
※ギャラリー創まで徒歩6、7分です
…と書きだしてから、肝心の茶廊法邑での個展について、当ブログでほとんどなにも記録していないことに気がついて、がっくり落ち込んでいる。
しかし気を取り直して述べれば、「I WAS BORN.」という題の個展であれば、自分の両親にささげるという意味合いをもつのは、ごく自然なことだろうと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/bc/a78d836532e2a8618636fed9433a5eca.jpg)
池田さんのブログから引用すると…。
この作品「My Personal History - 1943年4月3日に生まれて - 」は、2012年に札幌のSTVエントランスアートでの個展『日を編み、言葉を紡ぐ』で発表、その後も毎日日にちを打ち続け、今展では4本(1年1本)テープが増えています。壁には私の年齢分の<73本>のダイモテープが掛かっているのです。
もちろんテープの色は、その折々の時代と心情を反映しています。
「もちろん」といわれると、ちょっとだけこまるのは、池田さんが帯広・真正閣のコンテンポラリーアートなどで発表した「日を編み,言葉を紡ぐ」では、テープの色は居住地によって分けられていたからである。
今度の作品は、2014年、北見市留辺蘂町で開かれた「極東 コンテンポラリーアート」で発表されたもの(ただし、テープのつるし方はかなり異なる)。
ごくおおざっぱに言うと、黄色から赤に変わるにつれて、油絵→現代アート へと表現方法が変わっていっている。もちろん、手法だけではなく、気分も変わっているのだ。
(なお、筆者は「極東」展についても、道内で過去開かれたグループ展でも最大規模であったにもかかわらず、けっきょく書かずじまいである。ほんとうに、われながら、ひどい)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/74/f6439ec6cb327649f367d21aac62609d.jpg)
このテープにも、一日一日の日付が刻印されている。
そして、毎日更新されている。
手法は現代アート的だが、おばあさんが毎日編み物をしたり、庭仕事ですこしずつなにかを積み重ねていくのと、どこかで共通する(そして、そのこと自体は、作品の評価を下げるものではまったくない。むしろ、「日々の営み」という性質で共通するということは、人間の普遍的ななにかに、表現が届こうとしているのだと思う)
あらためて見ると、「こんなに」と感じる人もいるだろうし、「これだけか」と肩を落とす人もいるだろう。
時間というものの不思議さが、提示されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/2a/474cd02a9fefce7c84f1294014a215f6.jpg)
金色のダイモテープに日付を打ち込んだ作品で、1本の長さは10メートル。2005年に完成しているが、こういうかたちで見せるのは初めてとのこと。
自分の生きてきた時間のことをおもって、一気に刻印したのだろう。
「時間の長さ」という、誰もが知っていながら、いまひとつつかみどころのないものが、膨大な作業とともに視覚化され、物質化している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/22/91cae7335ccbe1c44ee72e243149b8d3.jpg)
ほかに、インスタレーションではなく、「I WAS BORN.」と刻印されたテープを額装した作品も展示されている(冒頭画像は、その一部)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/bb/02902f448f744c8d286dad607e5ec475.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/dc/79258271500b4ce15ed678dcf1d9e1fb.jpg)
展示スペースを、引いた場所から眺める。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/75/8805a10fcdfe97f04f088a720677c83b.jpg)
お父さまは、シベリアに抑留され、帰国後は米国の哲学者・教育学者ジョン・デューイを研究する教育哲学者として、道学芸大(現道教大)の教壇にも立った。池田緑さんは「父の授業を受けたことがある」と回想していた。
ところで、池田さんは1943年(昭和18年)、当時は日本の統治下にあり現在は北朝鮮領となっている咸興の生まれである。
戦後引き揚げて、秋田や札幌、釧路で過ごした。
この生い立ちからは「ポストコロニアリズム」という語が自然と念頭に浮かんでくるが、池田さんの作品自体は、意外とそっちの方向には進んでいかない。
したがって、各時代とのかかわりのほうには作品が開いていかず、自分史的な側面が目立つようになっている。
日本統治下の朝鮮の生まれ、父親のシベリア抑留といった経歴から、より作品世界が開ける方途もあるのではないか。外野席の人間として、勝手にそんなことを考えている。
2016年5月10日(火)~22日(日)午前10時30分~午後10時(日~午後8時)
ト・オン・カフェ(札幌市中央区南9西3 マジソンハイツ)
□ブログ「緑の風」 http://imgreen.exblog.jp/
□池田さんのサイト http://www.ima.me-h.ne.jp/~ikeda.midori/
過去の関連記事へのリンク
■池田緑展 FOUR WORD STORIES「四つの言葉」の物語 (2015)
防風林アートプロジェクト(2014)
【告知】18人の写真表現-焼きつけられたイメージ(2013、釧路)
■置戸コンテンポラリーアート(2012)
■池田緑「マスク・プロジェクト<最終章>-サホロ1999~ハルカヤマ2011- ハルカヤマ藝術要塞
■真正閣で池田緑作品を見る 帯広コンテンポラリーアート(2011)
北海道新聞の6月29日「ひと 2011」欄は池田緑さんが登場
あおもり国際版画トリエンナーレ2010で池田緑さん、風間雄飛さん入賞
■池田緑展 Silent Breath―沈黙の呼吸(2010)
■池田緑展-六つのこと・444の日- (2010)
■池田緑さんによるマスクイベント アジアプリントアドベンチャー
■池田緑 1993-2008現代美術展(2008年6月)■続き
■深川駅前にマスクの花(同)
■田園都市のコンテンポラリーアート 雪と風の器(2008年3月)
■越後妻有(つまり)アートトリエンナーレ(2006)
■十勝千年の森=水脈の森・万象の微風 自然=人間=大地(2003年10月8日の項)
■十勝の新時代 池田緑展(2002年、道立帯広美術館)
■池田緑展アーティストトーク(同上)
■とかち環境アート(02年)
□「てんぴょう」誌に筆者が寄稿した文章
・地下鉄南北線「中島公園駅」から約220メートル、徒歩3分
・地下鉄東豊線「豊水すすきの駅」から約600メートル、徒歩8分
・中央バス、ジェイアール北海道バス「中島公園入口」から約380メートル、徒歩5分
・市電「山鼻9条」から約610メートル、徒歩8分
※ギャラリー創まで徒歩6、7分です