(承前)
ついつい長文になってしまった。
第2回の2000年は、ステージがふたつになった。
筆者が大好きだったTHE YELLOW MONKEYが本番直前に出演キャンセルとなり、残念というか、大物が出ないというさびしさがあった。
SUN STAGEの一番バッターは、沖縄出身で、インディーズ史上初のオリコン1位という快挙をなしとげた「MONGOL800」。まだ大学生で、「北海道、熱いネ」と、MCも初々しい感じ。
当時、忌野清志郎が「君が代」を替え歌で歌って物議をかもしていたが、この年に「ラフィータフィー」名義で出演。「こけのムース、ムース、ポマード、ポマード」などと歌っていた。過去には原発批判の歌で放送禁止になったりしているが、とくに思想的な背景というより、永遠の反逆児なんだなあ、この人。
がんの再発により今年の出演がキャンセルになってしまったが、ぜひまた復活してほしい。
この替え歌に触発されたのだろうか、桃乃未琴が深夜の会場内で、「君が代」をスローバラードふうに歌っていた。
この年の収穫は、一般的に「社会派」と片づけられそうなソウルフラワーユニオンが、音楽的にもなかなか良かったと思ったこと。
トリは奥田民生。「ボクなんかでいいんでしょうか」などと言いつつ、熱唱していた。
2001年。
この年から、北海道美術ネットに記録がある。
アーティストの話なんかは、リンクをはっておくので、そっちを読んでください。
■参照
初の2泊3日開催。
筆者は2日目しか行っていない。
というか、仕事もあるので、たいていの年は1日目は涙をのんでいる。
スピッツの草野マサムネが、ボソっと
「みんな、楽しそうだね」
とMCで言ったのが可笑しかった。
2002年。
北海道美術ネット的に大きい意味があるのが、この年からアート関係のブースができたこと。
そして、現時点で振り返っても、この年がいちばんにぎやかだったような印象がある。
テーマは「ART has no design on ROCK」。現在も活躍中の作家では野上裕之、高幹雄らが参加していた。
■参照。
この年からステージの数が一気に4つになった。昨年はプログラムが2日目だけだったSUN STAGEに、初日のライブが組まれるようになった。
しかし、3時間眠った後、送別会に出てたんだなあ。若かったなあ。
2003年。
この年はステージ数が5つに増加。
めずらしく初日から参加した。
しかも、徹夜明けで、2時間だけ眠ったあと、日勝峠経由で北見まで車を走らせ、その次の日にこんどは家族を乗せて北見から札幌へと戻っている(石北峠経由)。
無謀にもほどがあると思う。
■参照
チャゲアスが記憶にあるかな、やっぱり。
意外さでは9年間の歴史でも上位にくるだろうし。
以下別項。
ついつい長文になってしまった。
第2回の2000年は、ステージがふたつになった。
筆者が大好きだったTHE YELLOW MONKEYが本番直前に出演キャンセルとなり、残念というか、大物が出ないというさびしさがあった。
SUN STAGEの一番バッターは、沖縄出身で、インディーズ史上初のオリコン1位という快挙をなしとげた「MONGOL800」。まだ大学生で、「北海道、熱いネ」と、MCも初々しい感じ。
当時、忌野清志郎が「君が代」を替え歌で歌って物議をかもしていたが、この年に「ラフィータフィー」名義で出演。「こけのムース、ムース、ポマード、ポマード」などと歌っていた。過去には原発批判の歌で放送禁止になったりしているが、とくに思想的な背景というより、永遠の反逆児なんだなあ、この人。
がんの再発により今年の出演がキャンセルになってしまったが、ぜひまた復活してほしい。
この替え歌に触発されたのだろうか、桃乃未琴が深夜の会場内で、「君が代」をスローバラードふうに歌っていた。
この年の収穫は、一般的に「社会派」と片づけられそうなソウルフラワーユニオンが、音楽的にもなかなか良かったと思ったこと。
トリは奥田民生。「ボクなんかでいいんでしょうか」などと言いつつ、熱唱していた。
2001年。
この年から、北海道美術ネットに記録がある。
アーティストの話なんかは、リンクをはっておくので、そっちを読んでください。
■参照
初の2泊3日開催。
筆者は2日目しか行っていない。
というか、仕事もあるので、たいていの年は1日目は涙をのんでいる。
スピッツの草野マサムネが、ボソっと
「みんな、楽しそうだね」
とMCで言ったのが可笑しかった。
2002年。
北海道美術ネット的に大きい意味があるのが、この年からアート関係のブースができたこと。
そして、現時点で振り返っても、この年がいちばんにぎやかだったような印象がある。
テーマは「ART has no design on ROCK」。現在も活躍中の作家では野上裕之、高幹雄らが参加していた。
■参照。
この年からステージの数が一気に4つになった。昨年はプログラムが2日目だけだったSUN STAGEに、初日のライブが組まれるようになった。
しかし、3時間眠った後、送別会に出てたんだなあ。若かったなあ。
2003年。
この年はステージ数が5つに増加。
めずらしく初日から参加した。
しかも、徹夜明けで、2時間だけ眠ったあと、日勝峠経由で北見まで車を走らせ、その次の日にこんどは家族を乗せて北見から札幌へと戻っている(石北峠経由)。
無謀にもほどがあると思う。
■参照
チャゲアスが記憶にあるかな、やっぱり。
意外さでは9年間の歴史でも上位にくるだろうし。
以下別項。
RSRにはちょこちょこ参加しています。
初参加の時の夜は本当に寒かった!
スウェットとウィンドブレーカーを
重ね着していても震えてました~。
この頃はステージ数も少なくて
今以上にマッタリしてましたよね。
マッタリしすぎて観ようと思っていたスピッツを、
トイレの中で聴いてしまったのが思い出です(笑)
あの年は、ライジング史上、一番人が少なかった年だと思います。
あんまりフェスが巨大になるのも善し悪しだなあ、というのが正直なところです。
まあ、それだけいろんなアーティストが来る訳ですけどね。