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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

山形県山形市、桜田東「桜田熊野神社のケヤキ」(保存樹)です!!

2021-05-17 06:48:45 | 巨樹・大木
桜田東地区は、山形市役所の南南西約4kmのところ
 
 国道122号線を南へ、国道3号線にでる手前でコンビニ前の信号を右(西)へ入ります、広面公園の南側道路です

 公園の次の通りを南へ、次の通りの南右側、住宅地の中に熊野神社が東向きに鎮座します

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました、住所は桜田東1丁目9番です



鳥居から拝殿です

村社 熊野神社です

手水舎です

説明板です
 桜田熊野神社由来
 熊野神社の発祥について、250年程前に神社の南西に住む「甚右エ門」が、紀州の熊野三山から分神して祭ったのが始まりとか、御神体は黒い石と云われているが定かではない。
 昔、神社の前通りは元木に通じる作場道で、神社前を馬が通ると馬が暴れ、また、肥桶を担いで此処を通ると桶が大ゆれして肥がこぼれる。そこで、これは神の怒りであろうと、御神体を菰に包み、熊野堂の下に7尺(2m100mm)の深い穴を掘り、そこに埋めてから異変が起こらなかった。
 境内の面積は、230㎡(70坪)ある、内213㎡(65坪)は小林五郎氏以下50名の共同所有で、他の17㎡(5坪)は、昭和15年、戦時中、出征軍人の壮行会はこの熊野神社の社前で行なっていたが、狭いので社殿を奥の方へ移すため塩野友吉氏から寄附された土地で宗教法人熊野神社の所有になっている。
 奥の院に日露戦争で使ったといわれる砲弾と軍用スコップが保存されている。また奥の院の壁に大正15年3月15日祭典祈念として、遠藤茂次郎氏が松を献木した際の歌が書かれた標札が掲げてある。その歌は「千早振熊野神社の庭の松、千歳かわらぬみどりなるらん」
 明治41年の古書によれば、村民14名が金6円70銭を拠出し、祭典用の三宝と八ツ足机を寄進している。
 従来、阿弥陀堂は村社として崇敬されてきたが、明治元年の神仏判然令の発布により、一村一鎮守と定められたためこの時から熊野神社を村社に格付けされたと云われている。しかしこれまでの習慣から阿弥陀堂に対する愛着の念を拭い去ることができず、阿弥陀堂を熊野神社の拝殿とし、祭礼の際には熊野神社の幟を阿弥陀堂の前に立てることとなりその風習は今も残っている。
 境内の欅の大木は、山形市の保存木に指定されている。古書によれば、50数年前までは、この欅の根元に大きな藤の木が生えており、その蔓は欅の頂上まで延びていたので、子供達はこの蔓に伝わり登ってよく遊んだものである。
・・・・
2001年(平成13年)11月吉日
・・・・



境内北側のケヤキです

参道入口から見ました

石灯篭です

狛犬です

善光寺如来の石塔です

社殿の南側に目的のケヤキです

南側道路(南東側)から

保存樹標識です

本殿です

南西側から

西側から見ました、目通り幹囲5.7mの巨木です

では、次へ行きましょう

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