佐久間町半場地区は、天竜区役所の北約24kmのところ
かつての佐久間町の中心部の一部に天竜川の南側に当ります
JR飯田線ちゅうぶてんりゅう駅から南の山の上に伸びる林道が有ります
悪路の林道を進むこと15km、神社前の道路脇に
車を止めさせて頂きました

ようやく神妻神社です

神社入口神門です

神門の額には、明治22年2月日 神妻神社 従二位勲一等榎本武揚書とあります
*榎本武揚は、江戸時代末期から明治の武士で、政治家、外交官、最終階級は海軍中将です。
幕臣榎本武規の次男として天保7年(1836)に江戸下谷御徒町に生まれ、長崎海軍伝習所で学んだ後、幕府の開陽丸発注に伴ってオランダへ留学、帰国後は幕府海軍の指揮官となった。戊辰戦争では旧幕府軍を率いて蝦夷地の占領、蝦夷共和国総裁となった。函館戦争で敗北し降伏後は、東京の牢獄に二年半投獄されたが、黒田清隆の尽力により助命され、釈放後は明治政府に仕え、開拓使として北海道の資源調査や駐露特命全権公使として樺太・千島の交換条約締結、外務大臣、海軍卿、駐清特命全権公使を務め、内閣制度開始後は、逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣などを歴任し、正二位で子爵となった。明治41年(1908)年に72歳で没した。
明治22年は53歳のころ(明治20年子爵)でしょうか、なぜ静岡の山の中に文字が残されているのか不明でした。

手水舎です

石碑です
神妻神社
ご祭神 武甕槌神 相殿 大国魂神・伊弉冉神
沿革 宝亀2年(皇紀1430・西紀770)11月に創立され、関野大明神、鹿島大明神、神妻大明神、または、馬主神社とも称えられてきましたが、明治6年3月に神妻神社と改められました。
ご神徳 日本の建国に大功を立てられた神さまで、強い心と身体を願い、運を切り開く神さまとして厚い信仰があります。
祭義 祈年祭 2月17日
例祭 10月16日
新嘗祭11月23日
外に 歳旦祭 大祓 月次祭
*所在地住所は、静岡県浜松市天竜区佐久間町半場746番地です

参道先に鳥居が見えました

参道を登ります

折り返すと社殿が見えて来ました

拝殿です

本殿覆い屋です

本殿右側の境内社です


こちらは八十宮神社です



更に右境内端に注連縄を巻かれて目的のスギが在ります


南側から、すぐとなりには一回り細いケヤキのようです



西側から、目通り幹囲5.3mの巨木です

本殿の裏側の山の斜面にも大木が見えています


社殿西側には石垣が組まれています



社殿前石段脇の杉の大木です

帰り際に参道から大杉を見上げました
では、次へ行きましょう
*帰りに来た道でなく、南の佐久間町浦川への林道を進みましたが、土砂崩れや倒木が酷く苦労しました。
*佐久間町は平成17年(2005年)7月1日に浜松市に編入合併し、平成19年(2007年)4月1日浜松市の政令指定都市への移行で天竜区の一部となりました。
かつての佐久間町の中心部の一部に天竜川の南側に当ります
JR飯田線ちゅうぶてんりゅう駅から南の山の上に伸びる林道が有ります
悪路の林道を進むこと15km、神社前の道路脇に


ようやく神妻神社です


神社入口神門です


神門の額には、明治22年2月日 神妻神社 従二位勲一等榎本武揚書とあります

*榎本武揚は、江戸時代末期から明治の武士で、政治家、外交官、最終階級は海軍中将です。
幕臣榎本武規の次男として天保7年(1836)に江戸下谷御徒町に生まれ、長崎海軍伝習所で学んだ後、幕府の開陽丸発注に伴ってオランダへ留学、帰国後は幕府海軍の指揮官となった。戊辰戦争では旧幕府軍を率いて蝦夷地の占領、蝦夷共和国総裁となった。函館戦争で敗北し降伏後は、東京の牢獄に二年半投獄されたが、黒田清隆の尽力により助命され、釈放後は明治政府に仕え、開拓使として北海道の資源調査や駐露特命全権公使として樺太・千島の交換条約締結、外務大臣、海軍卿、駐清特命全権公使を務め、内閣制度開始後は、逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣などを歴任し、正二位で子爵となった。明治41年(1908)年に72歳で没した。
明治22年は53歳のころ(明治20年子爵)でしょうか、なぜ静岡の山の中に文字が残されているのか不明でした。

手水舎です


石碑です
神妻神社
ご祭神 武甕槌神 相殿 大国魂神・伊弉冉神
沿革 宝亀2年(皇紀1430・西紀770)11月に創立され、関野大明神、鹿島大明神、神妻大明神、または、馬主神社とも称えられてきましたが、明治6年3月に神妻神社と改められました。
ご神徳 日本の建国に大功を立てられた神さまで、強い心と身体を願い、運を切り開く神さまとして厚い信仰があります。
祭義 祈年祭 2月17日
例祭 10月16日
新嘗祭11月23日
外に 歳旦祭 大祓 月次祭
*所在地住所は、静岡県浜松市天竜区佐久間町半場746番地です

参道先に鳥居が見えました


参道を登ります


折り返すと社殿が見えて来ました


拝殿です


本殿覆い屋です


本殿右側の境内社です



こちらは八十宮神社です




更に右境内端に注連縄を巻かれて目的のスギが在ります



南側から、すぐとなりには一回り細いケヤキのようです




西側から、目通り幹囲5.3mの巨木です


本殿の裏側の山の斜面にも大木が見えています



社殿西側には石垣が組まれています




社殿前石段脇の杉の大木です


帰り際に参道から大杉を見上げました

では、次へ行きましょう


*帰りに来た道でなく、南の佐久間町浦川への林道を進みましたが、土砂崩れや倒木が酷く苦労しました。

*佐久間町は平成17年(2005年)7月1日に浜松市に編入合併し、平成19年(2007年)4月1日浜松市の政令指定都市への移行で天竜区の一部となりました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます