ルーマニア観光を奨励するために最近同国で制作されたポスターは、「ルーマニア女性の半分は(イギリス・ウイリアム皇太子妃)キャサリンに似ていて、残りの半分は(キャサリン妃の妹の)ピッパ・ミドルトンに似ている」となっているという。これはルーマニアへの観光客誘致という体裁はとっているものの、実際には英国人に人気のあるキャサリン妃を引き合いに出して、(英国がルーマニアとブルガリアからの滞在ビザ発給を制限している制度は今年いっぱいで撤廃されることになっているが、英国内にはこの撤廃に反対する動きがあり、それを牽制するため)英国への皮肉を込めたポスターを作製したものである。
個人所得の低いルーマニアやブルガリアからの労働力の流入にイギリスが頭を痛めているのは確かだし、また、これはEU全体の問題だが、低所得国から流入する労働者が結局は治安上の問題にもつながっているのは事実。かといって、EUの加盟国である以上、差別を受けるのは到底甘受できないというルーマニアの心情も良くわかるところである。しかし、英王室を引用したこのような対抗手段は必ずしも品の良いものではない。このポスターを制作したルーマニアの担当者は、「英国に英国なりのユーモアがあるように、ルーマニアにもルーマニアなりのユーモアがある」と言っているが・・・
20年ほど前、チャウシェスク政権崩壊後のルーマニア・ブカレストを何度か訪れたことがある。月からも見える建物を、として建設されたいわゆるチャウシェスク宮殿の威容には唖然とした。地下に自動車道路が張り巡らされたこの独裁者の宮殿は革命後、政府機関の事務所になっていたが、ほとんどは空き家状態だった。建物の大きさに加え、建物につながる大通りはパリのをシャンゼリゼ通りを模したもの(シャンゼリゼよりも大きく、というのがチャウシェスクの命令)という事だったが、建設の際に、そこに住んでいた住民多数を強制移転させた結果、その時の恨みがチャウシェスク独裁政権打倒運動の一因になったとも。
その時にブカレスト市内を歩いていたら、物乞いの子供がいつまでも後をつけてくるのに閉口したことを思い出す。ただ、その時に記念にと買った1717年のブカレスト市内の様子を描いたという版画は気に入っていまでも書斎に飾っている。