ミシェル・オバマがオスカー賞の授与者として、現職の大統領あるいはファーストレディとしては初めて、(軍服姿の青年数人を背景に)ホワイトハウスから中継映像で参加したことに賛否両論がでている。これを企画したやり手プロデュ―サーHarvey Weinsteinが大統領選挙時にオバマ陣営に多額の寄付を目的としたパーテイを主催した人物で、当然その時から今回のミシェルの出演は約束されていたのだろう。ファーストレデイのTV出演が簡単に決まるはずもない。今回の企画を非難する人々は、ミシェルのせいで影が薄くなった参加者の僻みからきているものと思われるが、表面的には、こういった映画文化と政治の距離感、などと屁理屈をこねている。政治がショーであり、また、映画界も政治に寄生する同じ穴のムジナだけに、このような非難は笑止千万。それにしても、映画が反体制的、などとはだれが言ったのだろう。また、映画産業に政治の誤りを正してくれなど、誰も頼んではいない。軍産複合体制の産には映画産業も当然含まれる。ただ、今回はミシェルがファーストレデイだったから声がかかったのも事実。ローラ・ブッシュや、ましてやアン・ロムニーだったら視聴者はTVのスイッチを切っていただろう。
今回オスカーで旋風を巻き起こした最優秀作品賞の「Argo」はイランでの米国大使館人質事件が題材で、映画界そのものも映画の中に登場するが、おりしもイランの核開発をめぐるEUなどとの協議がカザフスタンのアルマトイで開催され、EU側が何らかの妥協策を携えてきたという時期と重なり興味深い。また、イスラエルによる空爆も、EUほか西側諸国との交渉決裂から時間をおかずに実施される可能性もあり、その時の米国による世論対策として、「Argo」の果たす役割は大きいのだろう。