ミーシャのひとりごと

数あるブログの中 訪問してくれてありがとう。
蒜山高原や大山などの風景写真を撮りながら
田舎暮らしを楽しんでいます。

古いアルバム

2020-01-24 12:30:59 | 断捨離
     
               こんにちは~♪

今朝は1月とは思えないような生暖かで 久しぶりにストーブを点けない朝でした。
でも 外はどんよりとした曇り空。
出かける当てもなく,また一日家で過ごすことに。。。

さて今日のブログだけれど,私のブログは
今住んでいる近場の風景写真やドライブ先の写真などが中心の
備忘録と言うより 記録アルバムみたいなもの。 
なので 出かけることの少ない冬枯れのこの季節になると 
アップする写真がなく,ネタ枯れに。。。

そこで 今日は両親の古いアルバムの中から
亡き親の許しを得たことにして,ここに一部をアップしてみました。

階段の上がり降りが心配になり,
90歳の頃から階下の部屋で生活していた両親。
以前寝起きしていた二階部屋の押し入れを整理していて出て来た古いリンゴ箱。
中に入っていたのは両親の若かりし頃のアルバムの数々でした。
 
明かりを浴びるのは 何十年ぶりだろう。 
こんな物があったなんて・・・ 初めて見ました。

断捨離のためとはいえ
亡き両親が思い出として残していたアルバムを
サッサと処分する気にはとてもなれなくて
これも写真に撮り,SDメモリーカードに残しておくことにしました。
数あるアルバムの全ページとまでは 作業に手間がかかるので
数ページをピックアップして残しました。





昔のアルバムは布張りのしっかりとした装丁ですが
戦火を逃れ,何度の引っ越しにも耐えて来たもの。




このアルバムは結婚前の恋愛の頃らしく
手描きの河原撫子が物語っているようです。




手紙に同封されていた学生時代の父の写真に四葉のクローバーを添え
ロマンチストな乙女心が窺われ 微笑ましい。。。

父を養子に迎えた義母と母の実母が従妹同士であり
私の両親は幼少の頃から結婚が約束されていた間柄だったようです。
私は今住んでいる県北の田舎育ちですから,高校に入ると親元を離れ
中学を卒業するまでしか 両親と一緒に生活していません。
子供の頃は,両親のこんな若かりし頃の話など 何一つ聞くこともなく
私が結婚するまでの一時期 
一人暮らしをしていた母方の祖母の世話をしていた時に祖母から聞きました。




当時父は東京に住んでいて,帰郷の途中で母の所へ立ち寄り
鷲羽山や渋川などに一緒に出かけたようです。

母の生前にこんなアルバムの存在を知っていたなら
この話題ででも
一緒の時間をもっともっと過ごせただろうに・・・残念です。 




こちらは父の学生時代最後のアルバム
色褪せてはいますが
こちらも布張りのしっかりとした装丁。

アルバムには同期の学友 一人ひとりの写真が びっしりと貼ってありましたが
まさかね。カメラが趣味だった父が撮った訳ではないとは思いますが
当時の状況は,アルバム印刷も困難な時代だったのかも知れません。




学生時代 富士の裾野での戦時訓練風景

当時 学友の多くが特攻隊として零戦に乗り
帰らぬ人となった同県や近県出身の人には
家まで遺品を届けに行ったそうです。
父は以前 結核に罹ったことがあって 検疫に引っ掛かり
当時は男として肩身の狭い思いをしたそうですが,
母にとっては幸いだったでしょうね。












今は令和2年 このアルバムは77年前の写真





こうして眺めていて改めて思うことは
両親ともに達筆で ,娘の私にはとても足元にも及びません。
キーボードばかり叩き,手書きする事が少なくなってから猶更!
田舎に住んでいれば 付き合いで書く機会が多々あり
あの手を貰えればよかったのにと,つくづく思ってしまうこの頃です。


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