おはようございます~♪
先日やっと初詣に出かけました。
前日に出かけていれば
天気もよくて写真もきれいに撮れたのですが
あいにくの曇り空でとても寒かったです。
シャッターを押す手もかじかんで
おっとっと~と、カメラを落っことしそうになりましたよ。
後楽園の駐車場へ車を止めて
岡山神社まで歩きです。
落葉樹の中 高く伸びている葉の細かい竹林。
鶴見橋から見る後楽園の木立
鶴見橋は旭川を跨ぎ出石町と後楽園を結ぶ橋。
かつては木造の板橋でしたが後楽園の玄関口となることから
景観上配慮されて車道と歩道が並んだ形になっています。
橋上からの美しい風景だけでなく
近代の土木遺産として価値が高い橋と言われています。
ゆったりとした川の流れにカモ達が遊んでいました。
ホシハジロの雄で 水面をけって潜水し
藻類、水草等を菜食する潜水ガモの仲間。
黒っぽい1羽は雌のようね。
大きなハッサク
花のない時期の黄色い果実は目を楽しませてくれますね。
岡山市の総鎮守 岡山神社
860年頃の創建と伝えられ
当初は後に岡山城が築かれることになる岡山という丘の上に鎮座していました。
1573年、宇喜多直家が岡山城を築く時に当社を城の側の現在地に遷座し
岡山城の守護神とし社領を寄進したそうです。
宇喜多秀家が本殿を造営し、次いで城主となった小早川秀秋が拝殿以下を造営した。
江戸時代には藩主池田家により城内の鎮守として崇敬され
社領300石が寄進されたそうです。
当時の神社は戦災により、随神門と末社数社だけを残し
焼失してしまい 1958年に本殿が再建され
1975年に拝殿、幣殿が造営されました。
狭い境内は駐車場になっていましたが
車社会の現代事情では、致し方ありませんね。
まじめな私達は
遠方の駐車場へ車を置いて歩いて来たのですが。。。
拝 殿
今年も家内安全、無病息災、福来たれと
しっかりと欲張って神頼みをしました。
ここは息子の七五三の時にお参りをした神社で
当時の事が懐かしく思い出されました。
兎の大きな絵馬
絵馬の謂われは 奈良時代に、神の乗り物としての馬・神馬を奉納していましたが
馬は高価であり、また献納された寺社の側でも馬の世話は大変です。
その為、馬の代わりに次第に木や紙、土で作った馬の像で代用するようになり
平安時代頃から、板に描いた馬の絵で代えられるようになりました。
それが室町時代頃から馬だけではなく、
色々な絵が描かれるようになって来たそうです。
狭い境内には木も少なく
生垣やサルスベリの木にまで御覧のとおり
白いおみくじ花が咲いてました~~
右に見えるのは岡山城
姫路城と対照的な黒い城で、烏城とも言われます。
神頼みをすませて、プラプラとあの月見橋を渡って後楽園へ
曇り空で、写真の色がきれいに出なくて残念です。
岡山城築城に際し犬島の石が使用されていることから
築城400年を記念して
史実に基づき、筏と修羅により犬島より運んだ物です。
私達が歩いていると
かわいい鳩さんが傍に付いてきましたよ~
寒さの中で元気に咲いているストック
岡山城天守閣
岡山城の月見櫓
月見櫓は岡山城本丸跡に現存する唯一の建物
インチキメールは落ち着きましたよ~~
知り合いが送信拒否の仕方を
教えてくれたのですが
パソコンが違ってたのでしょうか
なかなか、出来なくて・・・
駄目もとで弄ってたらあら、出来ちゃった
今のところ大丈夫みたいですよ。
ほんとに心配してくれてありがとね
後楽園は思い出ありますねぇ。
主人が大阪転勤のおり、先に行ってた主人と
仕事の都合で直ぐ行けない私が
岡山駅で落ち合い後楽園が
デートの場所でした
絵馬の謂れは知りませんでした。
それと大きな石を運ぶのが修羅って
丸太を何本も下にして・・
あれの事だったんですね。
ミーシャさんのお蔭で賢くなれます。
又、教えて下さいね
良かったですねぇ~ 心配していました。
スローネットの方も大反響でしたね。
皆さん お優しい方ばかりで嬉しいですね。
絵文字楽しんでますねぇ~
面白くて ついつい使いたくなりますよね~
そうなんだ~ 後楽園でおデート でしたか
楽しい思い出の地だったんですね。
園内の写真をその内掲載するので
懐かしい場所が見られるといいのですが。。。
写真を沢山撮っても、なかなかアップが出来ない のよね。
賢い振りをして、実のところは必死で 調べて書き込んでいるのよ!
疑問に感じた事とか、自分の知識に間違いがあると恥ずかしい ものね。
撮った写真も縮小しなくちゃぁ~行けないし~
・・・で、この頃
頭の回転が鈍くて モタモタしていま~す 。
今日は長道中の息子が帰り
少し寂しく なりました。
でも
代わりが控えていて、電話攻撃がすさましく
寂しいなんて言ってる暇がありません ね。
ではでは またね