少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

ローマ法王の死去

2005-04-03 22:41:48 | その他
ローマ法王が亡くなった。ポーランドからの生まれた初めての法王だったという。

世界中を飛び回って世界の平和のために尽くされたという。

イタリア人の主流派の中でポーランド生まれの法王の地位は、必ずしも楽なものではなかっただろう。

体が思うように動かなくなっても、最後まで世界にメッセージを送り続けた。

彼はなぜそこまでがんばれたのだろうか。何が彼をしてそのような偉業をなし続けられたのだろうか。

きっと彼の人生は、「やせ我慢といいカッコしい」だったと思う。それは法王に限らず全ての人の人生の本質だ。突き詰めると人生とはそれだけのことなのだ。

ヨハネ・パウロⅡ、超カッコいいと思う。ご冥福をお祈りします。

オートとマニュアル

2005-04-03 21:56:08 | 写真
このブログでいろんな方々からモノクロ写真について教えていただいたことは、勿論大きな要因になっているのだけれど、写真の質が上がった原因の一つにクラッセをなくしたことがあるのではないかと思っている。

クラッセは思い入れのあるカメラだったので、あのカメラが悪かったということでは勿論ない。そうではなくて、クラッセで写真を撮るときはいつもオートモードで写真を撮っていたことに意味があるような気がするのだ。

オートモードのカメラというのは、文字通りオートなのであれこれ考えなくてもいい。多分そこそこの露出で撮れている筈だと言う甘えがある。その甘えが、なんとなくハッセルで撮るときも影響を及ぼしていた気がするのだ。

クラッセがいなくなってから(なくなったのではなく、彼女(僕の中ではクラッセは女性でした)は自らの意思で出て行った気がする)、露出の決定は100%僕の仕事になった。僕が決めなければ話は始まらない。そういう自覚が生まれてから、明らかに写真が変わった。さっき、以前のプリントを見て驚いた。以前と今とでは雲泥の差がある。(と、僕は思うんだけど)

オートにはオートのよさがある。友達とわいわいやっているときにさっとチャンスを捉えてスナップを決める。こんな技はハッセルではちょっと苦しい。大体フラッシュさえ持っていないので、夜はほとんど出番がない。困ったカメラではある。

でも、ハッセルで写真を撮るのは本当に楽しい。ちなみにハッセルも彼女です。かなり気難しい女性だけど、最近ちょっとだけ言うことを聞いてくれるようになってきたかな。

写真の撮り方

2005-04-03 21:41:35 | 写真
シャッターを切る瞬間、フウッと気持ちいい感じがするときがある。必ずとは言わないが、そういうときの写真はいい感じのときが多い。体が被写体と一体になるというか、とにかく気持ちがいい。この快感を求めて写真を撮っているといってもいいくらいだ。

では、いつもカメラを持ち歩いて、そういうタイミングが来るのを待てばいいかというと、そう話は簡単ではない。やっぱり、テーマを決めたり、カメラ操作のテクニカルな部を考えておくことも大切には違いない。

ある映像が僕のカメラに収まること。それは太古の昔から既に決まっていたことのようにも思える。無数にある世界中の景色の中から、その写真に納まった映像をその瞬間に抽出するなんて奇跡としかいいようがない。まさに、運命的な出会いといってもいいだろう。それが傑作であっても愚作であってもだ。カメラマンには自由など全くないかのようだ。神様に操られてそこの場所へいき、いい気持ちになってシャッターを切る。

でも、そこへ行こうと思った自分がいたことも一方では認めざるを得ない。花を撮ろうと思って近所を散歩して、目に入った菜の花をカメラに収める。奇跡でもなんでもなく、日常の一こまがただ通り過ぎて行っただけ。

どっちが、リアリティなんだろう。多分、どっちもリアリティなんだろうな。

運命にもてあそばれていると思っては、自分で向きを変えようとあがく。
自分でどうにかしようとあがいていると、運命の力の前の無力さを痛感する。

そんな行ったりきたりをすることが人生なんだろう。写真も。

ちょっと最近、運命論者っぽい気分になることが多い。それだけで全てが決まるとは決して思わないけど、逆らえない何かがあることも認めざるを得ない。写真も同じ。いい作品が出来る時は出来る。でも、それは偶然だけに支配されているのではない。

The Print

2005-04-03 21:22:52 | 写真
アダムスの標記本を手に入れて斜めに読んでみた。
印画紙にプリントする際の実に細かいノウハウがちりばめられていた。

が、以前の2冊の本と決定的に違うのは、ゾーンシステムにそれほどとらわれていないことだ。
焼きこみや多い焼きのテクニックについても記述がある。

完璧にゾーンシステムを実践するなら、ネガが出来上がった時点で勝負はついている。標準的なプリントを行うことによって、予想通りのプリントができあがるはずだ。

しかし、第3巻の本の中身は、ゾーンシステムを所与のものとして、そこに収まりきらない部分の存在を認めて、真に撮影者のヴィジュアリゼーションにせまることを追求している。あたかもこの部分がなければ、ゾーンシステムはオートメーションの一部になってしまうとでもいいたげだ。

ネガが楽譜で焼付けが演奏といったのは、アダムスだったかどうか忘れたが、まさにその通りだと思う。最後に写真に命を吹き込むのはプリントなのだ。

でも、素人はあまり最初にプリントのいろんなテクニックを身につけるのはどうかと思う。まずは、ゾーンシステムをちゃんと実践できるようになることが大切だ。一寸の空きもないかに見えるところまで写真を追い込むことによって、初めてプリントのテクニックが生きてくる。ということでThe Printはちょっと本棚で眠っていてもらうことにした。楽譜を演奏するに値するだけの技量が身につくまで。