少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

外交と意識の関係

2005-04-07 21:58:21 | 哲学
また例によって突拍子もないお話である。でも、この話もちょっと前から考えていたことだ。

外交というのは、表面的には小泉首相や外務大臣のメッセージとして表にでる。でも、それが全て首相や大臣個人の考えであると思っている人はほとんどいないだろう。裏では外交ルートなるものを通じて、様々な思惑が駆け巡り水面下の駆け引きが行われる。そして、それらの活動の結果首相のメッセージとなって相手国に伝えられるのである。多分最終的に用意されたメッセージを発言するかどうかという判断は首相が自らするのだろうけれど、彼が出来るのはその最終判断だけだ。もっと言えばそのメッセージに対して拒否権を持っているに過ぎない。

この話は以前紹介したユーザーイリュージョンという本の中で紹介されていた意識と無意識の関係と全く同じ構造をしている。つまり、人の心は意識の外に無意識があり、そこでは外界から入ってくるものすごい量の情報処理をしている。そして、意識はそれらの大量の情報からつじつまあわせで作られるわずか20ビット毎秒の情報に過ぎないという話だ。

つまり、外交における水面下の交渉は人間で言えば無意識にあたり、つじつまあわせで作られた意識が首相のメッセージということになる。意識は、無意識が作ったお話に対してNOということだけが許されているところも、首相の決断の話そっくりだろう。

人間の脳情報処理の問題あるいは心の問題は、よく人類最後の探求課題などといわれる。でも、もしかするとそれは人間やサルの頭の中をわざわざあけて見なくても、日朝国交正常化交渉を詳しく見れば分かることなのかもしれない。

ただ、外交問題もそれを分析に捉えていくと最後には個人がどう考えているかという問題に行き着くはずだ。その問題こそ、最初に解明しようとした問題そのものである。お話は、一周してもとに戻ってしまうのだ。

多分、そんなもんだろう。どこまで行っても心はなぞに包まれている。どこまで行っても究極の答えは見つからない。それは、自己矛盾をきたさない系は存在しないといったゲーデルの定理の一つの例なのだろう。人間は、自らの心を矛盾無く説明することは出来ないのだ。

でも、だからといって上の議論は心を理解しようとする取り組み自体を否定するものではない。完全に理解することはできなくても、どこまでも真実に近づくことはできるのだから。

だめと分かっていても、それをどこまでも追い続ける姿勢。やせ我慢のいいカッコしいは宇宙の根本原理なのだ。