こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

七夕事情

2015年07月01日 20時08分05秒 | 文芸
 二男が小学生の時、PTA地区役員に。夏休みに地区の子どもたちを集めて七夕祭りを実施した。個々の家でやっていた七夕を数年前から一つにまとめたのだ。
 少し大きめの笹竹を伐り出して、子どもたちが願いや夢をしたためた色紙や紙飾りで飾った。親たちが力を合わせて公民館の玄関に立てる。風を受け笹が揺れると風情がある。
 時間が来ると、村中の子どもたちが集まる。 その子どもたちを喜ばすため地区役員が知恵を出し合う。例年、アニメのビデオ上映、歌って踊る時間、そして夜には打ち上げ花火だ。その年は金魚すくいと風船釣りを加えた。
 子どもたちの喜ぶ顔を見たくてレンタルの会社から機材一式を借り受け、おやつや金魚や風船は業者に直談判して安く購入した。
 夜空に浮かぶ天の川に花火が幻想的に花開き子どもたちを感動させた頃、片付けながら(やったー!)。そう!七夕は親と子をつなぐ役目を一年に一度確かに担ってくれている。
 
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恩師(神戸・6月掲載)その3(完結)

2015年07月01日 18時58分17秒 | 文芸
遂に迎えた舞台公演。先生はみんなの顔を見回して、やっぱり底抜けの笑顔で鼓舞した。
「さあ、みんな思い切り楽しもう」
 舞台はハチャメチャに終わった。『寒鴨』では台詞に詰まると、私は大袈裟な身振り手振りで誤魔化そうと懸命に動き回った。それでも観客に白けた雰囲気は生まれなかった。
「よかったよかった。齋藤君、どないや初舞台は?芝居ってええもんやろ。みんなもあない喜んでくれてるんやから」
 先生は実に嬉しそうだった。楽屋見舞いに差し入れられた栗饅頭を頬張り、私にもすすめながら、ひとりごちた。
「やる側も見る側も、あない目を輝かしているのん素晴らしいやろ。だから、僕は芝居が好きや。止められへんねん」
 何の惑いもない先生の言葉だった。私はハッと気付いた。
(これが先生の芝居なんや。舞台は楽しいないとあかんねん…楽しないと!)
 打ち上げで先生は底抜けに明るかった。誰彼となく、「君のおかげで舞台は成功したんや。ありがとう、ありがとう!」と連呼した。その姿は不思議に輝いて見えた。
 先生との芝居作りは八年に渡った。初舞台であれほどボロボロの醜態を見せた私は、いつしか劇団のメインキャストをつとめるまでになった。他グループに客演もこなした。
 先生の芝居はただ楽しいだけではなかった。社会問題をえぐる重厚な脚本を次々と書き上げ舞台に上げた。褒めるだけの演出にしか見えなかったが、先生の意図にこたえれるスタッフキャストは確かに育った。先生の芝居作りは、仲間への信頼感熟成が根底にあってのものだと、ようやく気付いた。
「芝居は、舞台は仲間さえおったら出来るんや。みんなが勝手に作ってくれよる。そないなったらもう出来ひんことはのうなるやろ」
 先生の飄々とした姿芝居に取り組むは、誰をも惹きつける何かがある。やはり先生は只者ではなかった。
「齋藤君、どこに行っても芝居はできるさかいな。君は芝居がホンマに大好きや。だからいつも懸命になれる。それが最大の武器や。それで上手くなれる。そんな君やから、ぜひ続けてほしい、お芝居を。君の存在が、新しい君をどんどん育てる。ボクの好きな芝居の担い手をね」
 転職で姫路に移るとき、先生は私にそれとなく使命を与えた。笑顔で、好物の甘いものを頬張りながら…。私もご相伴に預かった。
「先生。デザートに美味しいものを注文しましょうか?」
「うん。それはいいなあ。サラダけじゃ物足りん。少しくらいならいいよな。じゃあ僕はお汁粉がいい」
 先生は相好を崩した。甘いものに目がないのは年齢に変わりなく、やっぱり健在だった。
 お汁粉をとても美味そうに味わう先生の好々爺ぶりに、思わず幸せを感じた。
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恩師(神戸・6月掲載)

2015年07月01日 12時10分07秒 | 文芸
結局、その日は先生以外に誰も現れなかった。冬並みの寒波が列島を襲っている影響もあったのかも知れない。誰だって寒い中を出歩きたくなくなる。
「ボーッとしててもしょうがないな。うん。ちょっとお芝居の基本をやってみようか」 
 先生は手元にあったガリ刷りのホッチキス止めを手渡した。基本練習の教材である。
「アイウエオ、アオ」に始まり。「せっしゃ、親方の……」の外郎売りの口上で終わった。
「きょうはこれぐらいにしとこうか。お疲れさん」
「ありがとうございました」
「初めてにしては上手いなあ、君は。次も僕はこの時間に必ずいるから」
 先生は終始にこやかな表情に終始した。
 先生以外のメンバーと初めて顔が合ったのは、三度目の稽古日だった。三人のメンバーを紹介された。
 公演が決まった。小山内薫の戯曲『息子』と真船豊作品『寒鴨』の二作品だった。未来社の薄っぺらな戯曲本が用意されていた。
「とっつぁん、まだ生きてるかい?」
『息子』の登場人物のひとり、捕り手の台詞を読まされた。相手役の息子は、初お目見えの郵便局員。彼は劇団のスターと言う。今で言うイケメンのひとりだった。
「うん、いいね。この配役でやりましょう」
 ひととおり読み終わると、先生はあっさりと即決した。
「先生…ボク、初めてだし、出来る自信…ありません…」
 戸惑い、恐る恐る小声で訴えた。
「大丈夫。齋藤くんは芝居をやりたいんやろ?それは芝居が好きってことや。そやろ?」」
「はい。それはそうやけど…」
「なら、それで充分や。やる気がなかったらどないもならんけど、君ぐらい生真面目で、やる気があれば、そら誰にも負けへん」
 それでも躊躇する私を、先生は遮った。
「好きなもんは、それを手にするために何とかしようと頑張る。芝居かて同じや。好きやったら、それを舞台にのせるために努力を惜しまんやろが」
「はい…」
「ボクが指導するから、それに懸命になってくれたら充分や。ここで芝居作るんは芝居が好きや言うんが資格や。他にはあらへん」
 先生の言葉は妙に納得できた。
 芝居作りは始まった。日を追うごとに顔ぶれがどんどん増える。美容師や、会社員、職人……年齢もバラバラの顔ぶれだった。本当に芝居をやるのかと疑問なメンバーもいたが、先生の言葉で思い込みは一蹴された。
「みんな好きなんや、お芝居作りが。ここにいる仲間みんなが好きなんや。そんなみんなが力を合わせる。そらもう怖いものはあらへん。ええお芝居が出来るよ。さあ、本番の日に向けて思い切りみんなで楽しもうやないか」 
「はい!」
 みんなの顔がパッと輝いた。
 芝居作りは順調だった。なんと初めて取り組む私なのに、先生は『息子』の捕り手役の他に、『寒鴨』の猟師役を割り振った。
「二つの役なんて無理です。頭悪いからセリフ覚えられるかどうか…自信が……」
「大丈夫や。君は若いから、すぐ頭に入るよ」
 先生の邪気のない笑顔に、それ以上何も言えなかった。それどころか、なぜかやれるという気にさえなった。
 よーく考えれば、十数人もいて、配役を初体験の新米メンバーにダブルキャストだなんて、おかしな話だった。後で知ったことだが、表舞台にあがるよりも、裏方でいいからアマ劇団の活動に参加したいと望むメンバーが殆どだった。曲がりなりにも役者脂肪の私は、先生には貴重な存在だったのだろう。
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恩師(神戸・2015・6・17掲載)その1

2015年07月01日 10時12分49秒 | 文芸
「ボクはサラダだけでいいよ。最近は食べないんだ。太り過ぎって医者の忠告があってね」

 先生はあっけらかんとした顔だった。どんなものでも実に美味い!といった顔で食べる先生が記憶にある。八十五歳。年齢にさすがの先生も勝てないようだ。ただ、相変わらず人を惹き込む笑顔は健在だ。

 三十数年ぶりの出会いだった。血色のいい顔と饒舌ぶりは全く変わらない。六十五歳、高齢者の仲間入りを余儀なくされた私の方がしょぼくれた老人である。

 恩師だった。小学校の教壇に立たれていたが、そこで教えられた児童だったのではない。アマチュア劇団の活動を通じて人生の何たるかを気付かせてくれた先生なのだ。

 加古川で始まり、姫路、加西と、四十年以上アマチュア演劇に携われたのは、芝居に取り組む先生の一風変わった姿勢が、薫陶を与えてくれたからだった。

 先ごろ急に思い立って、自分が生き抜いた六十五年間の足跡を展示した。舞台写真に、アマ劇団活動と並行した文筆の成果である。新聞や雑誌、書籍に掲載された作品を並べた。その過程で先生を懐かしく思い出した。

さっそく招待状を送った。(もう年だから、来て貰えないかな?)と思ったが、自分の歩んだ道をぜひ見て貰いたかった。先生からすぐ連絡があった。

「ぜひ行かせて貰うよ。君の足跡を見逃せないだろう」記憶にある先生の声だった。案ずる必要はなかった。元気な姿が電話を通して見えた。最寄りの駅に降り立った先生は、しゃきっとした姿を保っていた。あの頃とまるっきり変わっていなかった。

「う~ん!このサラダ美味いなあ」

 レタスを頬張る先生の幸せをひとり占めした顔。なのに私も幸せを感じる。初めて顔を合わせた日がいま目の前に再現していた。

 先生と初めて顔を合わせたのは五十六年前の秋口だ。劇研『くさび』の稽古場は、加古川青年会館にあった。おずおずしながら会館に入った。生まれつきひどい内弁慶で、初対面がいつも一番の難関だった。ところが、先生は逡巡躊躇の間を与えなかった。

「君が齋藤くんか?よう来てくれたね。これから一緒にお芝居を作っていこう!」

 迎えた先生はにこにこと、恵比寿大黒顔負けの笑い顔だった。稽古場は閑散としていた。聞けば、公演のスケジュールが決まらないとメンバーは顔を見せないらしい。その間は先生一人が稽古場に通っている。

「どや、これ美味いぞ。ひとつ食べてごらん」

 先生はボタ餅を食っていた。餅を頬張る底抜けの笑顔に引き込まれた。一個頂戴して口に運んだ。「美味い!」「そうやろ。わし、甘いもんに目がないんや」笑顔は笑顔を呼ぶ。

「好きなもんはとことん好きなんがええ。芝居もボタ餅も仲間も、うん、わし好きなんや。

好きだから一人でも楽しめる。楽しむから仲間が集ってくる。そしたら、なんでも出来よるで」先生は目を糸にして餅をまた頬張った。

(続く)
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ダイエット

2015年07月01日 08時31分55秒 | 文芸
「メタボ予備軍ですね。一緒に目標を立てて頑張りましょう」
 保健所が主宰するメタボ教室に参加して、保健婦さんに計測されたお腹まわり九十四センチ。若い保健婦さんの指導で年間目標二センチ減をめざすと誓った。
 カロリーの少ない献立教室や運動など保健婦さんと連絡を取りながら頑張った。半年たって再計測。「ん?」と保健婦さんが首をかしげた。「一センチ増えてますね。どうしてかしら?」「……!」
 思い当たることがあった。最近また甘いものを口にするようになっていた。三ヶ月ぐらいまでは甘いものカットが実行できていたのに。出先で進められたケーキを、断るのも悪いと口にしたのが間違いだった。うまい!ズルズルともとの甘党に戻ってしまった。
「あと半年で二センチは減らしましょう」
「はい」
 元気よく返事したらお腹が笑った。

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カシワ飯が炊けたー!

2015年07月01日 02時30分19秒 | 文芸

「ちょっと薄いわ。醤油もっとぶち込めや」
 したり顔で指示するのは長老格。
 鋳物製の大鉄釜を取り囲んで、ワイワイやっているうちにカシワ(鶏肉)飯は炊き上がる。蓋をずらすと焦げた醤油のいい匂いが辺りに漂う。竃の火を落とすタイミングである。火のついた薪を炊き口から引っ張り出すと、水をかけて消した。
「おお、うまそうに炊けたやないか!」
 一斉にどよめきと歓声が上がる。大鉄釜の中で炊き上がって、湯気が立ちのぼるカシワ飯。薄く醤油色に染まった飯の表面に具材が広がる。デカいしゃもじで中身の天地を思い切りよく返す。具材と醤油めしを程よく混ぜ合わす。
それを茶碗によそって座敷に運べば、てったいはん(お手伝いさん)連中の打ち上げ宴会の用意万端だ。美味い物を口にすれば、みんなの顔がほころぶ。そしてお喋りがはずみ、自然と連帯意識が育まれる。男衆もおなご衆も、炊き上げたカシワ飯を存分に味わうのだ。
 数年前まで続いた、祝い事や非事の際の炊き出しだった。その打ち上げに恒例となっていたのが、カシワ飯のふるまいである。飯を炊くのは男衆、汁物はおなご衆の担当と決まっていた。
 洗米も、具材を刻むのも、当たって砕けろ同然のの味付けも、すべてが豪快そのもの。まさに男の料理、ここにありを示していた。
 数十人分をいっぺんに炊き上げるのだ。味付けが少々乱暴でも炊き上がると、結構まとまった味になる。美味くて当然だった。 米・カシワ(鶏肉)・人参・椎茸は自分の家で間に合う地元産。買って来た蒟蒻と油揚げが加わった、具だくさんのご馳走である。あっさりの醤油味は食材のエキスが混じって、飽きの来ない美味さを生み出している。何杯でもおかわりがいける。お茶をぶっかけると極美味の茶漬けになる。もう何もいうことはない。
 年配層が抜けて世代交代が始まると、待ちかねていたかのようにてったいはん(お手伝いさん)の慣習は簡略化どころか、炊き出しなどの連帯作業は、若い人たちの多数派意見で、廃止のはめに追い込まれた。炊き出しをしようとすれば、食材の買い出し、仕込みに始まる面倒な行程を余儀なくされる。自分の時間を優先する若い人に敬遠されるのが時の流れだった。
 たまに家でカシワ飯を炊いてみるが、記憶にある味にはまだ出会ったことがない。少量を電気釜で炊くのだから、あの味を求めるのは無理な話である。炊き上がった食べていると、あの鉄の大釜で炊き上げたカシワ飯の味が、やたらと恋しくなる。あの醤油の焦げた匂いは、おこげを作らない電気釜の機能では、とても望めない。ああ~、食いたい!あのカシワ飯を、もう一度。
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深夜のかれー便

2015年07月01日 00時11分58秒 | 文芸
「おい、おきれるか?」
 囁き声とともに、そーっと肩を揺すられる。ハッと目を開けると、優しさのあふれた笑顔が覗き込んでいた。夫だった。
「さっき作ったばっかりや。温かいうちに食べたらええ。ナツミは、ボクが見てるさかい」
 夫はそそくさとベッドに上がった。スヤスヤと眠る赤ん坊をおこさないよう慎重に添い寝の態勢で寝転ぶ。
 時間はもう深夜十二時を十五分ほど過ぎている。きっとお店は忙しかったのだろう。きのうより一時間は遅いお見舞いだった。
 娘のナツミが入院したのは先週である。高熱が続いて病院を駆け巡った末に『川崎病』と診断された。生後半年に満たない赤ん坊だった。常時つき添う必要がある。そして母と娘は病院の住人(?)となった。
 当時、新婚生活にあった私と夫。パパママ店の喫茶店を営んでいた。それが一人抜ける。大変だった。片方が病院に詰めて、残る一人が喫茶店を切り盛りする。キツイが他に方法はない。やるしかなかった。
 連日、検査、検査が続き、夜になるともうグッタリ。食べ物だってそう簡単に買いにいけない。ストレスが溜まりにたまりかけた三日目の夜、店を終えた夫が病室を覗いた。
「お疲れさん。ほら、これ持って来たぞ」
 静まり返った病室で夫が耳元に囁いた。彼が差し出した包みを、開くと、タッパーがふたつ。なんと中身は私の好物であるカレーとご飯だった。ベッドの傍に置かれた長椅子に腰かけて、タッパ―を開いた。プーンとカレーの匂いがこぼれる。おなかがグーと鳴った。
「お店のカレー、詰めてきたん?」
「そんな手抜きするかいな。お前が好きなゴロゴロ野菜をいっぱい入れといた」
「ワァー、ほんとだ!さすがマスター」
 夫の心遣いが嬉しかった。夜の十時ぐらいまでマスター業に励む夫。カレーを温めてタッパ―に詰めるだけでも面倒くさいはずだ。それが、私用にアレンジしてある。人参、玉ねぎ、ポテト、ナスを一口大にして炒め、じっくりと煮込む。カレー粉を少し多めに加えた辛さと、私の好みに少しでも近づけようとした夫の試行錯誤が凝縮したカレーだった。
「美味しいよ!けど無理しなくていいよ。仕事で疲れてんだから」
「僕なんかより、お前の方が大変な目にあってるんだ。それを想ったら、カレー作りぐらい苦になるかよ。これから毎晩うまいもん作って差し入れすっからな」
夫婦水入らずの愛の囁き…そんな甘さは叶わないけど、私の疲れは見事に消えた。ベッドには父鳥が雛を大きな胸に包み込んでいる。そんな夫と見つめ合いながら、カチャカチャとスプーンを使ってカレーライスを平らげた。美味しいものを食べると元気が出る。さあ母鳥の役目に戻ろう。夫と娘と私、幸せな家庭を取り戻すために!もうひと頑張りだ。
カレーを作ると、時々あの頃を思い出す。

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