こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

孫のしつけ論争ばあちゃんの逆襲

2015年07月17日 20時53分06秒 | 文芸
孫のしつけ論争ばあちゃん逆襲

「あない小さい頃から、我慢ばっかりさせといて、ひねくれたらどないするんじゃ」
 わたしたち夫婦の子どもへの接し方を見るに見かねたのか、おばあちゃんがちょっと口出しをした。
 おやつは時間を決めて与える。食事は一切残させない。早起き早寝……と、ごく普通のしつけのつもりだが、おばあちゃんから見れば、可愛い孫が、えらく不憫に思えるのかも。
 そこで一計。
「ほら、神戸新聞にも載ってるぜ」
 タイムリーにも、子どもに我慢させれば、頭がよくなる確率が高まるという研究をしている外国人学者の記事が、本紙に掲載されていた。
「へー。ほんまやのう。神戸新聞に載るぐらいやからのう…!」
 さすがのおばあちゃんも納得顔で頷いて一件落着!田舎で暮らすおばあちゃんに、新聞は絶対なのだ。
 ところが夏の暑い時期、保育園に通う子どもらを休ませ、わたしの手元で遊ばせることにした。
 それを知ったおばあちゃんの逆襲を受けた。
「なんで休ませるんじゃ?我慢させて保育園に通わせな、頭がようならんがな」
 これには反論するわけにもいかず、苦笑いするしかない。しつけと教育、いやはやむずかしいものなんだなあ。
(神戸・1989・8・25掲載)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飼い犬と子供たち

2015年07月17日 20時07分49秒 | 文芸
生き物と接し成長した子ども

 わが家の子どもたちは犬を飼うことでいろんな体験をし、随分せいちょうしてくれました。
 朝と夕方の散歩は子どもたちの役目です。毎月交代しあって、もう5年近く続けています。最初のころは忘れたり怠けたりして、私たちに叱られていましたが、もう大丈夫のようです。
「タロは喋れないんだから、僕らが気を使ってやらないと、、かわいそうだもん」
 子どもたちは、むきになってそう言うようになりました。
 そして時々、犬に語りかけています。
「長生きするんだぞ、タロ。家族みんな元気で、いつまでも一緒だぞ。約束したよ」
 生き物を飼うと言うことは、かなり大変な事です。飼い主が彼らの思う通りにになるしかないのです。
それで子どもたちは我慢と寛容の心を自然と身につけられあのでしょう。
人間らしい思いやりで生き物と接すれば、いろいろ学べると証明してくれた子どもたちです。
(神戸・1994・6・11掲載)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノーベル賞と同等に扱えぬ

2015年07月17日 17時22分09秒 | 文芸
ノーベル賞と同等に扱えぬ

 オリンピックへのプロ参加に見られるように、昨今のスポーツ界はアマとプロの垣根が取り払われる傾向にあり、各大会の賞金化は顕著になると思われる。五輪報奨金だって、それらの賞金と同類ではないか。
 五輪報奨金への課税が免除されることになったら、スポーツ界での他の賞金にも波及すると考えられ、安易に認められない。
 オリンピックでのメダル獲得は特別なので、ノーベル賞などと同格に扱ってほしいという声に対しても批判したい。
 文化芸術より恵まれた条件下で育てられた選手への賞金と、多年にわたる業績を評価されてのノーベル賞や文化功労者の価値が大きい賞金や年金とを同格に見ようとするのは根本的に間違っている。
(讀賣・1993・1・30掲載)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神戸にて

2015年07月17日 11時26分21秒 | 文芸
高齢被災者に笑顔戻る日を

 先日の日曜日。神戸の小学校での炊き出しに参加した。
 PTAや婦人グループほかの混成チームは、地元加西市で料理の下ごしらえを済ませたうえで出発し、数時間かけて神戸に着いた。
 現地の雰囲気は、震災後の時間の経過を示すかのように、かなりの落ち着きを見せていた。
 しかし、炊き出しを始めて、その見方が全く間違いだったと知った。炊き出しを利用される被災者の肩の大半が高齢者だった。
 余力のある方々が疎開されたり、自宅での暮らしを始められる中で、取り残されるしかない災害弱者の方たちの姿を垣間見る思いがして胸が痛んだ。
 炊き出しがひと段落ついたところへ顔を覗かせたおばあさん。
「ありがとうございました」
 お婆さんの表情に笑顔は見られなかった。それどころか感情すら、どこかに置き忘れたかに見える。
 震災に遭遇するまでは、豊かな感情に満ちていたに違いない。絶やされることが無かったであろう笑顔は、まだまだ当分戻りそうもない。
 被災地の復興が、あのおばあさんたちが笑顔を取り戻せるような人間味あふれたものになるよう切実に願った、神戸での一日である。
(こうべ・1995・3・12掲載)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暴力を絶対許すな

2015年07月17日 09時41分49秒 | 文芸
暴力を絶対許すな

 暴力の横行が、市民生活を脅かした恐怖の年だったのではないか。
 長崎市長銃撃事件に始まり、過激派も暴力団も陰から一挙に表舞台へ出て来た感じである。
 市民は見て見ぬふりをしていいはずがない。生活を守るために立ち上がるべきだろう。
 民主主義は、言論には言論をもってという原則が徹底してこそ機能する。
 言論を銃や暴力で封圧されたのでは、もはや民主主義は成り立たなくなる。
 市民は警察と強調して暴力の横行を許さない社会づくりに全力を注ぐべきだろう。
 新聞をはじめとするマスコミの支援は欠かせない。無力な市民を守ってくれる最前線は、新聞であり、警察なのだから。
 あの沖縄で、暴力団に対する市民の反対運動が始まったという記事を見ながら、新しい年には、暴力を絶対に許さないという市民の強い自覚が生まれることを願う。
(讀賣・1990・12・29掲載)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タバコに注意

2015年07月17日 06時03分40秒 | 文芸
山火事の季節タバコに注意

 仕事から帰って来ると、近所の人たちが何かせっぱ詰まった表情で立っている。
 彼らが見詰める方向を見ると、山すそがボーッと明るく見える。「山火事だ!」とびっくり。
 駆け付ける消防車やパトカーの音も聞こえて来る。地区の消防団も出動して行った。
 結局は大きく広がらずに消火されたが、原因はタバコだと言う。よくあることだが、わたしはいつも不思議に思っている。
 山と言えば落ち葉にしろ、雑木にしろ、とにかく燃えやすいものばかり。それを目の前にしながら煙草を口にするとは。これでは「さあ、家事を起こしますよ」と言ってるのも同じこと。
 タバコが習慣化しているあまり、その凶器性が忘れられているといえよう。
 喫った後のタバコの扱いに気を最後まで配るのが、喫煙者の義務であり、最低のマナーでもある。
(毎日・1988・11・2掲載)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浪費

2015年07月17日 02時34分01秒 | 文芸
妻が家計簿つけ子どもは小遣い帳

 妻が家計簿をつけるのを見ていた子どもらが、
「ボクらも小遣い帳をつけていい?」
 と言い出した。
 ちょうどお年玉をもらった後だったから、つけさせることにした。
 それぞれ好みの小遣い帳を買わせて、早速、どう記帳するのか懇切丁寧に教えてやった。そして、スタートした。
「きょうはSD買ったから、600円っとー」
「あたしは、漫画の本とチョコレートでー」
 夜、指を折りながら記帳する二人の姿に、わが子もえらく成長したなあとニンマリしたわたし。
 ところが2日目。どうも様子がおかしい。
「えーっと、漫画とお菓子と玩具…それからー」
「たしだって、人形でしょ。ケーキにジュース、それからキャラメルと。うん、それに…」
 おいおい、いい加減にしろよ。ちょっと使い過ぎじゃないか。あわてて訊いてみると、
「だって、買い物しないと、つけられないでしょ」
「お小遣い、使い切るのん大変なんだから」
 これは、子どもらの方が正論を言っている。
 しかし待てよ。この浪費(?)、親を見習っているとしたら……?
(神戸・1993・1・22掲載)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腹は立っても女房が好きだ

2015年07月17日 01時36分20秒 | 文芸
腹が立つが俺は女房が好きだ

「あたし、同情結婚してあげたのよ。感謝して当然よね」
 これが女房の口癖で、喧嘩の度にチクリという。悔しいが何も言い返せないのがつらい。
 それもそのはず、13も年下の蚊のjyが、この甲斐性のない30男を選んだのだ。われながら、これはもう同情されたとしか思えないではないか。
 あの当時、「もう結婚には縁がない。諦めた」と決意した直後だったから、なおさらだ。まして、いまだに家も持てぬ身では、亭主関白になるには程遠い。
 ところが、時折、思いついたように、
「あんたと一緒になれて、ものすごく幸せよ」
 などと言って、うっとりした目を向けて来る。ちょっぴり嬉しいものの、
「一体全体、どっちがお前の本音だ!」
 と、その言葉を聞くたびに複雑な心境になる。
 しかし、それはなんてことなかった。それは私が女房の言いなりに動いている時の、単なるお世辞に過ぎなかったのだ。
 くそったれめ!オレだって男。いつまでも、お前の思惑にはまりっぱなしじゃないぞ。いまに見てろ!
 と思うのだが、その矢先に、だけどお前がいなきゃ寂しいもんなと思ってしまうのはなぜだろう。
(神戸・1987・9・18掲載)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

候補者の応援に駆り出されて

2015年07月17日 00時08分18秒 | 文芸
候補者の応援に駆り出されて

 地区の役員は2年任期の輪番制。葬式と言った特別な出来事がない限り、さほど負担ではない。
 ところが10年前、大変な時期の役員になったことがある。
 市長選と市議会議員選挙だ。それも、市長選に地区の有力者が立候補した。地元から候補者が出ない場合でも、選挙となると役員はなにやかやと駆り出される。それが地元から候補者が出るとなると、もはや覚悟を決めるしかない。
 数回の臨時役員会、候補者の事務所開き、選挙ポスター貼り、決起集会や候補者の地区回り。立会運動会への動員と、仕事は尽きない。
 ちょうど7月で、半端じゃない暑さの中を動き回ることになる。
「仕事があるので、わたしはちょっと……」
 と言い出せるような雰囲気ではない。
 告示の前日、早朝から第一声の舞台づくりをしていると、なんと「一騎打ちの対立候補が辞退」の知らせが入った。
 歓喜のどよめきの中、しらけながらホッとしている自分がいた。
(讀賣・2005・6・26掲載)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする