こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

海が呼んでいる

2015年07月05日 21時08分20秒 | 文芸
 泳ぎの苦手な私には縁遠い海。今も昔も水着姿で海に入った写真は一枚もない。
 山間にあった小学校時代、夏の行事に海水浴があった。ズル休みをしたくても親が怖くて出来ない。イヤイヤ行った海の浅瀬に座りこんで時間が過ぎるのを待った。目の前に友達らが歓声をあげて泳ぎや海遊びに興じているのを指をくわえて見ていた。あの恥ずかしさと孤独感は今だに忘れられない。
 親になってから、子どもにせがまれると、仕方なく海に連れて行ったが、いつも砂浜で監視役。汗を浮かべる父親に、「海に入ったら気持ちいいよ」と子どもら。「ああ、今日は海パン忘れて来たから」「ちょっと体の調子が悪いんだ」…その場しのぎの弁解で切り抜けた。子どもらは海に入れと言わなくなった。
 ただ、海は好きだ。変則的だが、磯の匂いや波打ち際に足を浸す心地よさは格別だ。
 妻との初デートは山陰の白兎海岸。砂浜から望む夕陽の沈む絶景に目も心も奪われた。
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もったいなさに涙が出そう

2015年07月05日 14時07分42秒 | 文芸
もったいなさに涙が出そう

 わが町は校区ごとに半年に一回、粗大ごみを指定の日時に焼却場に運び込むようになっている。これまでの指定日はうっかりして行けなかったので、今回は万全を期していた。
 冷蔵庫、テレビ、オーブンなど家電製品が主な粗大ごみは、たまりにたまって軽四トラックに山積みになった。長く使って、大半がさびたりガタがきたものである。
 ところが、焼却場に着いてあぜんととしてしまった。丸く掘り下げられた穴にてんでに粗大ごみを投げ入れるようになっているのだが、そこに投げ込まれているものに目を丸くしたのだ。見た目にはまだ新しい電気製品や家具の山である。のどから手が出るほど欲しいものばかりが、思い切りよく捨てられていた。
 この粗大ごみの山はそのまま焼かれるらしいが、もったいない話である。その場でリサイクル交換会でもやったらどうなのだろう。ゴミを減らす効果もあって一石二鳥だとは、貧乏性のわたしの考えだが、それにしてももったいない、もったいない。
(神戸・1993・11・14掲載)

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いきいき健康

2015年07月05日 12時25分37秒 | 文芸
いきいき健康

“いきいき健康フェア”の標語公募に佳作入選したとかで、西宮まで表彰式に出向いた。
 会場では健康に関する講座や、健康体操の講習などもあって、かなり盛況な様相だった。健康をテーマにした行事だけに、会場にはやっぱり中高年の姿が多く見られた。
 話に耳を傾ける。その真剣な姿や、健康体操の指導に、通路にまで乗り出して、、手を挙げステップを踏む人たちが続出したのには、驚いたり感心したりと眺めるわたしだった。
 健康は自分にとっても家族にとっても、やはり必要なものだ。平穏で楽しい暮らしは健康あってのことだが、ふだんはあまり健康など気にしない。病気になって初めて健康の必要性に気付くことが多いが、それでは遅すぎる。
「このフェアのおかげで健康がいかに大事かを知ることができますな。ええ催しですわ」
 話し掛けてきた隣席の高齢男性の表情はイキイキとしていた。中年に差しかかったわたしには、いいきっかけになりそうな健康フェアだった。
(神戸・1993・12・16掲載)

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人をどんどん好きになれ

2015年07月05日 08時42分22秒 | 文芸
人をどんどん好きになれ

「逆上がりができるようになったよ!」
 ―小4の娘が学校から帰って来た足で、顔を真っ赤にして飛んでくると報告してくれた。顔をクシャクシャにしている。これまでなかなかできなかった逆上がりだけに、余程嬉しいのだ。
 小3担任の優しい先生との出会いで少し明るくなった娘は、進級した小4担任のちょっぴり厳しい先生の指導でチャレンジ精神を身に着け始めたらしい気配を感じる。いい傾向だ。
 新学期早々に、声が小さいと叱られたそうだ。でも、娘はその先生が好きだと言う。だからがむしゃらに頑張ったのだろう。好きな先生に認めて貰いたくて…!最近、声が大きくなったよと自慢するまでになった。
 それぞれの個性を持った先生と出会うことで、バランスの取れた成長を遂げようとする娘は幸せだ。勉強は苦手でも、何かひとつ頑張って自信をつけてくれれば、それで充分だ。
 好きこそ物の上手なれという。それに例えれば、先生には迷惑この上ないかも知れなくて申し訳ないが、「わが娘よ。どんどん先生を好きになれ。人を好きになることは、自分が成長するための最良の糧になるのだから。
(神戸・1993・7・11掲載)

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ハードルひとつ息子が越えた

2015年07月05日 03時11分38秒 | 文芸
ハードルひとつ息子が越えた

 ひとしきり泣きじゃくっていた小3の息子が荒々しく二階に駆け上がると、算数の教科書やらノートやらを小わきに抱えて下りてきた。そしてようやく宿題を仕上げたのは夜の10時過ぎだった。
 土曜、日曜と楽しい遊びに没頭して後回しにしていた宿題を「寝る前にすぐやっちゃう」と豪語していたが、分からなくてピーピーやっていたのだ。本人のためと黙って見ていたわたしと妻。そして、いつもなら熟睡中のはずの長女や4歳の二男までが、心配顔でじーっと見守っていた数時間だった。
「遊んで満足した分、宿題もきちんとやらな男やない。楽あれば苦ありや、頑張れ」
「やるわ。うるさいな、黙っとって!」
 泣きながら言い返す長男。よほど悔しかったのだろう。それが、この行動につながった。
「宿題できた」
 報告する長男の顔は泣いて腫れ上がっていたが、やけに男臭く見えた。父親としてはうれしい泣き虫息子の成長だった。
(神戸・1993・9・17掲載)

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泳げないから仮病?娘の気持ちよくわかる

2015年07月05日 01時37分35秒 | Weblog
泳げないので仮病娘の気持ち分かる

 夏に入ると、やっぱり小学4年の長女、例年通り、学校へ行く前にグズグズし始めた。
「どうしたの?」
 優しく訊ねると、か細い声で答える。
「頭が痛い気がする」「おなかが痛い気がする」
 人の顔色をうかがって言っているのがよく分かる。つまり仮病なのだ。でも「……な気がする」なんて逃げ道を用意しているのは、さすがわが娘。
 そんなふうにグズる日は、プールの授業がある日。臆病なところがある彼女は、いまだに泳げない。だから学校に行くのがイヤなのだ。
 そんな娘の気持ちはよく分かる。なぜって、わたしも泳ぎは子どもの頃から大の苦手。いまだにカナヅチ。その親の血をそっくり受け継いだ娘に、「努力すれば絶対に泳げるようになる」と励ますのも空々しい。
 その昔、「先生、頭が痛い」と言っては、学校行事の海水浴で泳ぐどころか海に入ったことのない前歴の持ち主としては、だまって目をそらすだけ。すると、わが妻がでしゃばってくる。
「もうじれったいわね、早く学校に行きなさい」
 泳げる妻には理解できまい。娘とわたしの苦悩は、これからも続いて行く。
(神戸・1993・8・13掲載)

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感動を共有

2015年07月05日 00時07分07秒 | 文芸
感動を共有

 加西市教育委員会の芸術鑑賞講座に参加して、富山県利賀村国際演劇フェスティバルに大型観光バスで向かった。主婦、会社員、OL、市会議員……と多彩な参加者の市民は、年齢も10代から60代までバラエティーに富んだ23人。
 純粋な演劇愛好者は数えるほどだったが、村おこしを勉強とか、高度な芸術を堪能できるのが楽しみとか、それぞれ前向きな参加主旨だったのがうれしい。わが町加西も捨てたものじゃない。
 利賀村の合掌文化村での野外劇はあいにくの雨に打たれながらの鑑賞となった。大がかりな花火の仕掛けも組み入れられた芝居は、鍛えこまれた肉体と発生と素晴らしい構成で、頭からしたたる雨も忘れて、心を奪われる興奮と感動に酔った。
 帰途のバス内は、同じ感動を共有したあとだけに、和気あいあいと最高のムードが生まれていた。感動は人を解放させてくれる。そこには子ども老人も若者もない。
 私たちは歌い語らい論じ合った。いつか加西にも、あんなすばらしい芸術文化をと心に誓いあい、加西に帰り着いたバスを、みんなは降りた。
(神戸・1993・9・14掲載)

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