こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

夫を変えた娘のひと言

2015年07月08日 20時05分37秒 | Weblog
夫を変えた娘のひと言

 夫の言い分は「自宅だから俺の自由にするぞ!」
家の中ではパンツ姿でウロウロ。暑い日にはそのパンツさえないことも。だから訪問者があると、応対するのはいつもわたしの仕事。
 そんな頑固な行儀の悪さをあっさり変えさせたのが、小学校高学年になった娘。
「お父さん。恥ずかしい恰好やめてよ。家に友達も呼ばれへんやないの」
 その一言でさすがの夫も大変身!
 やっぱり愛娘にはかなわないのか。いえいえ、昔から若い女性に弱かった夫のことです。成長する娘と若い女性がダブって見えたのでしょう。でも、よかったね。
(神戸・1994・9・2掲載)
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生意気な言葉とは裏腹に

2015年07月08日 14時21分31秒 | 文芸
生意気な言葉と裏腹に焦りの色

 小学3年の長男が最近、やけに大人顔負けの口をきくようになった。この間も家族で出かけようと言う時、「イチヌケタ」と言い出した。
「ボク、行かない。やることがあるんだ」
 誰もいない家にひとり残すのが心配な夫は「うまいもんでも皆で食べようや、な」
「食べ物で釣られたりせーへんで、ボク」
 さすがの夫もタジタジである。
「いったい何をやるんや?」
「いちいち言わんでもええやろ。あかんの?」
「いや、そんなことあれへんけど…」
 結局、夫の説得は功を奏せずに終わった。
「しゃーない。ほなちゃんと留守番しときや」
 と、他の家族がそろって玄関を出て、さて車に乗ろうとすると、バタバタと足音が。
「ボク、行ったるわ。しゃーないわな、家族のきずなが最優先やから」
 生意気な長男のセリフだったが、その顔には焦りと不安の色が。
(まだ子どもなんだ!)と内心、「ホーッ!」
 顔を見合わせてニヤリとしたわたしと夫でした。
(神戸・1994・2・4掲載)
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コメつくりの将来不安

2015年07月08日 12時41分02秒 | 文芸
コメ作りの将来不安

 亡兄が精を出していた稲作を今年から引き継ぎ、コメ作りの大変さを身を持って知る事となった。
 コンバインで稲を刈りながら、日本のコメ作りはどうなるのかとふと考える。輸入自由化がとりざたされる中、日本のコメは風前の灯という先入観もあった。
 隣近所の田圃で作業をしているのは、ほとんど高齢者である。このまま安いコメが輸入されると、まず日本のコメは作られなくなるのではと不安になる。
 関税化や自由化になっても、米作農家が希望を失わずに作り続けられるような方策が講じられればいい。だが、政府が見せた関税化反対のかたくなな姿勢では望み薄である。
 実際にコメ作りを体験してみて、日本のコメの将来が、わが事のように気になり始めた年だった。
(讀賣・1991・12・30掲載)

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国際貢献明確な決着を

2015年07月08日 10時04分51秒 | Weblog
国際貢献控え明確な決着を

 本音をオブラートに包んで大同団結した政権は、砂上の楼閣も同然で、いつ崩れてもおかしくない。
妥協だけで体をなしていると思わせる細川内閣の先行きにそんな危惧を覚えるのも、社会党閣僚の右往左往ぶりが余りに露骨だからだ。
 それに、今後の日本が国際的な貢献をしていくためには、自衛隊の憲法問題に明確な決着が必要なのは言うまでもない。
 違憲か合憲かを、もっと積極的な論争で突き詰めた上、国民の合意を引き出さなければ、問題は解決しない。妥協はそれからでも遅くはないのだ。
(讀賣・1993・10・16掲載)

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体験しました「事故は隣」を

2015年07月08日 02時44分42秒 | 文芸
体験しました「事故は隣に」

 事故というものは自分とは無関係なものだと、おおかたの人は楽観的である。わたしもご多聞に漏れず、そのひとりだった。
 ところが、事故はいきなりやってきた。本当にいきなりだった。車の側面へ相手の車の鼻先がぶつかってきた時、一瞬死んだ!と覚悟を決めたほどだった。当たる場所がほんのちょっとずれていたら、無事では済まなかっただろう。
 いつも通り慣れた道で、安全への配慮がまひしていたのだと事後処理にアタフタしながら反省したものの、既に手遅れだった。事故は自分に無関係どころか、いつだって背中合わせでスキをうかがっていると思い知らされるに十分すぎる体験になった。
「安全運転はし過ぎるってことないんだよ」
 ―ふだんなら左の耳から右の耳へ通り過ぎてしまうほど言い古されたお巡りさんの言葉が、今度ばかりは訊き捨てに出来なかった。
 いろいろと心配させた家族のためにも、これからは「し過ぎる」安全運転を心がけよう。
(神戸・1992・5・27掲載)

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息子の新生活

2015年07月08日 01時28分57秒 | 文芸

息子の新生活

 長男からメール。
「センタクした!」
思わず「へー?」
これまで一度だって選択した経験はないはず。とりあえず連絡を取る。「うまいこと出来たん?」
「ああ。風呂に水ためて、汚れもんと洗剤入れて、湯まぜるやつでグルグルかきまわしたんや。手動洗濯機やど」
 得意気な息子の声。こちらは口あんぐり。でも、すぐに吹き出してしまった。息子の懸命な姿が思い浮かぶ。
 この春、大学生になった長男のアパート暮らし。親の心配をしり目に、彼が伝えてくるひとり暮らしの会長佐野ひとコマだ。
「メシたけた!」「フロわいた!」「スーパーで値引品こうた!」とレンジ地メールが届く。
 全く未知な生活に踏み出した彼が、めったやたら発揮する創意工夫。息子の日々は感激感動に満ちているらしい。
 さあ、次はなんや?気になって何度も携帯を引っ張り出す。親ばかの卒業はまだまだだ。
(神戸・2004・5・2掲載)

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最後の田植え

2015年07月08日 00時02分45秒 | 文芸
最後の田植え

 ほ場整備を来年に控え、実家はついに最後?の田植えを迎えた。整備後は共同大型営農化を余儀なくされるとかで、各戸単位の米つくりの姿も消える運命とか。
 時代のすう勢とはいうものの、寂しさを感じながら、田植えの手伝いに向かった。代かきのトラクターも田植え機も、今は亡き兄が愛用したものばかり。
後継者として、米つくりから畑作まで一手に引き受け、頑張っていた兄の魂が乗り移ったように、たくましく役目を果たしてくれた。
 その農機も来年から、出番がなくなるだろう。あの世の兄は、どんな思いでいるだろうか。
 この春、高校を出て、名古屋では自動車整備技術を学ぶ兄の長男も急遽帰郷し、農業高校で園芸を学ぶ二男も、成長した姿を見せた。
 現役を退けないでいる老父や義姉の顔も揃う心強さ。家族で手を携えた農作業は、それぞれの胸に懐かしいものを去来させながら、進んだ。
(神戸・1995・7・22掲載)
 

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