こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

まさか…!

2015年07月27日 20時52分55秒 | 文芸
 昨年、交通事故にあった。横腹に相手の車が突っ込んで来て、アウト!向こうはワゴン車、こちらは軽4、とてもじゃないが勝負にならない。はじき飛ばされて引っ繰り返った。フロントガラスのひび割れを、シートベルトにぶら下がった状態で、えらく冷静に見つめていた。逆さま状態、実は体験済みだった。
 実はこれまでにも2度同じような事故に遭遇している。一度目は田圃の中に墜落!天地が引っ繰り返った状態で何とか助け出された。
 二度目は県道のド真ん中で、側道から飛びだしたトラックにひっかけられて、くるくるっとニ回転すると、河原に滑り落ちた。逆さまになったが、水がない季節で救われた。
 世の中、「3度目の正直」とよく言うが、私の場合、その3度をクリアしたことになる。どの場合も再起不能の怪我をしなかったのだから、不思議と言えば不思議。だが、
「4度目の正直はないぞ。次は即死って事だ」
 そう言った友人の顔が死神に見えた。
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なにこれ…!

2015年07月27日 18時43分09秒 | 文芸
 目の前に華々しくそして幻想的に、度肝を抜く劇的な花火絵図が目まぐるしく展開する。池の水面に写しだされた想像を絶する花火の演出が私の心を魅了する。そしてドラマチックな打ち上げの轟音!もう絶頂の極みに我を忘れて立ち尽くした。私の下着は漏らしたように濡れていた。夏の夜の奇跡の一夜である。
 あんな花火を鑑賞したのは初めてだった。全身が興奮のるつぼと化した。手に汗を握り、熱情に駆られたまま、花火劇の終幕を迎えた。世界でも利賀村の野外劇場でしか観られないと言う野外花火劇“世界の果てからこんにちは”は、何物にも代えがたい最高の芸術だった。当時40代。25年近く地方のアマチュア演劇に打ち込んでいたわたしの世界観を、人生観を根底から覆した。花火は凄い!
 富山県利賀村の利賀フェスティバルにおいての体験は、その後の各地の花火大会がなんとも貧相に見えて仕方がないという後遺症を残したまま今日に至っている。
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25年前わたしは若かった

2015年07月27日 16時20分47秒 | 文芸
政界再編をにらみ、浮上している統一会派構想。

  結成した方がこくみんのためになるのか、現状のように各党が連立政権に結集した方がいいのかですが、連立与党と野党自民党が張り合う形の弦政界も、よく見ると双方の政策にどれほどの違いがあるのかわかりません。

 それを構成している各政党がくっついたり離れたりしても、結局は総与党化になるのは避けられないのではないでしょうか。

 連立政権前の社会党のような本来の野党が与党と拮抗(きっこうしている姿こそ、民主議会政治のはずです。

 そんな野党の重責を担っていた社会党が、連立政権に飲み込まれてしまい、さらに、統一会派構想でバラバラにされ、消滅しかねないかと不安です。

 総与党化は、国民の多様な意見を生かす国会討議の場を、セレモニー化してしまう危険性があります。

 少数意見を決しておろそかにしない民主議会政治を守るためにも、連立政権の方が、まだしも健全な機能を果たせるのではないでしょうか。

(讀賣・1994・3・26掲載)、
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楽しいけどさ?

2015年07月27日 09時35分18秒 | 文芸
 最近、絵手紙にはまっている。神戸の震災を機に絵手紙と出会い、その魅力の虜になられたと言う元油絵画家の先生の講座に参加したのがきっかけ。初体験は緊張しっ放し。
「下手でいい。いえ下手がいいんです。あなたの手に握られた筆に込められた優しさがあふれるあなたの絵を描いてくださいね」
 先生の優しさが私の心に届いた。慣れない筆と墨で書き上げた絵と文字。まるでウナギがはったような出来上がりに「う~ん?」
 すると先生が、褒めてくれた。
「素敵ですよ。あなたの思いがとびだしています。美味しさもきっと届きますね」
 掻き上げたのは柿の実。そえた言葉は、「ひとやすみを忘れたらアカンよ」高齢者の仲間入りを果たしてしまった私の正直な気持ちだ。
 先生に褒められて、やる気が!1日1枚を心に誓って書きはじめ、もう100枚以上。
 とは言え、出す相手のいない孤独な人生。自分に届ける絵手紙だと思えばいいかな。
 
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休みたい

2015年07月27日 01時07分30秒 | 文芸
休日を愉しみ仕事も頑張る
 
 学生のころ、5月1日のメーデーが祝日だったらいいのにと、いつも思っていました。
 もともと世界の労働者の団結と連帯を示す祭典として、1889年、パリのインターナショナル大会で、国際的祭日とされたのだから、祝日になって当然なのです。
 でも労働者を大事にしない“働き蜂”を推奨する傾向の日本では、しょせん無理だったのだと思います。
 しかし、いまや日本人の働き過ぎに対する国際的な非難が湧き上がると言う、様変わりを見せている時代を迎えました。
 もう大っぴらにメーデーの祝日化ができるはずです。ここは政・財界が理解を見せてほしいものです。
 思いっきり休暇を愉しみ、効率よく仕事をするという、理想的な労働環境への第1関門として、メーデー祝日化は欠かせないでしょう。
 単なる大型連休構想というだけでなく、労働者の当然あるべき姿の実現で、日本は遅ればせながら、国際的な平均労働水準に近づけるはずです。
(讀賣・1989・2・18掲載)

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橋は誰のもの?

2015年07月27日 00時05分27秒 | 文芸
人あっての橋住民の声聞け

 瀬戸大橋は一体なんだろう?
 首を傾げざるを得ない問題の連発である。そこには人間性を無視し、経済効果の波及を求めるばかりの、目的先行による矛盾が溢れている。
 本四架橋の目的は、地域住民が長きにわたって見て来た夢の実現であったはず。ところが、完成以後、住民たちの抗議の声が次々と起こる。特に橋脚の下に住む人にとっては、メリットよりもデメリットが大きすぎるのである。
 今回問題になっている橋のイルミネーションについても、岡山、香川両県と商工、観光業界は「観光の目玉に」と常時点灯を熱望しているが、住民の暮らしを全く考慮されていないのを心配する。目先の利益を追うのが優先されて、住民の暮らしを忘れている。
 古来より、人が合って箸があるのであって、箸が先で人が後回しになる道理はない。最近はその道理が通用しなくなっているから怖い。
 すべてが経済面重視で進められるため、当然のように人間が後回しにされる状況を生むことになる。なぜなら、住民の生活権優先となると、経済手効果は半減するからだ。
「昔はよかった」なんて言いたくはないが、少なくともいまよりは“にんげんらしさを極力失わぬ”プロジェクト推進がなされていたと思う。
(朝日・1988・9・15掲載)

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