こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

こどもの声

2015年07月21日 20時28分16秒 | 文芸
自然保護を求める子どもの声

 北播版に「ちびっこ議員、自然保護訴え」の記事があったので思わず目を留めた。わがふるさとの“加西っ子”というのも興味をひかれた理由賀茂知れない。
 現在、わたしの実家はゴルフ場進出問題に揺れている地区の当事者。もちろん自然破壊につながる開発と、農薬汚染などの問題を前に、反対をしているが、膨大な金を生むゴルフ場建設に躍起となっている大きな力の前に、果たしてどうなるものやら。外野席ながら不安は尽きない。
 そんな矢先に、この記事。子どもたちは、
「ゴルフ場が3か所ある上に、新しく2か所できるというが、本当に必要なのか。自然破壊にならないか」
 いとも見事な指摘を市当局にしている。ほかにも自然環境を心配する質問が相次いだらしいが、こんな心配をさせる大人の責任は一体どうなっているのだろうか。
 将来の展望は一切関係なく、開発によって生じる利益のみに奔走する大人の姿は、やはり子どもたちに不安要素を与えている。
 いま一度、足元を見直し、半生しなければなるまい。
 自然というものは、一度開発の手をつけてしまうともう手遅れなのである。
 子どもたちの素朴な疑問を無駄にしないための、大人の行動が今こそ望まれる時だろう。
(神戸・1989・8・9掲載)

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家事も楽し

2015年07月21日 18時51分53秒 | 文芸
家事も楽し

 喫茶店をやめてから1ヶ月ちょっと。生活の変化に最初こそ戸惑ってばかりだったが、ようやく慣れて来た。わたしが中心になって働いて来た喫茶店時代とは全く逆で、いまは妻が外に働きに出て、わたしといえば“主夫業”とまでいかず“子育て業”。
 40の坂を越えた私の仕事探しは、そう簡単ではない。まだ30にならない妻の方が先んずるのは当然である。
 それに、5ヶ月になったばかりの赤ん坊がいる。周囲のだれにも世話を頼めないとなれば、仕事に炙れた方が“子育て”に回らざるを得ないのは自明の理だ。
 当初は、大の男が赤ん坊を抱え、オムツを替えたり、授乳、離乳食、その上、添い寝という、過去に経験のないものばかりで大困惑。
 他に二人、保育園に通う子供もいるから、そっちの方も気を配る必要がある。朝と夕方には、仕事に出る妻を近くの駅まで送迎である。合間にちょこっと家事なんかもやる。
「ごめんね。1歳になるぐらいまでの辛抱だから、それまでジックリと腰を据えて、あなたの一番やりたい仕事を見つけるのよ」
 甲斐性なし亭主にとことん優しい妻。泣きたいほどの感激をしながら言葉に甘えた。
 最近、赤ん坊が“おとうさん子”担ってきた。私以外の誰か、それが妻でも、いくらあやそうと笑わない。
 みんなをじれったがらせて、実に痛快である。なにか母親気分になる。妻と立場を交換できるいい機会を得て、夫婦お互いに理解しあった二人三脚の出発だ!
(神戸・1989・8・2掲載)

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間違えていのち燃やすな!

2015年07月21日 16時18分05秒 | 文芸
いのち燃やすもの間違えるな若者

 交通事故死者の激増が痛ましい。今年11月末での全国の死亡者数は1万人を超え、ここ3年連続の最悪記録とある。年齢層では20歳前後が29パーセントを占めて、一番多く、最たる原因は制限速度オーバーによる運転ミスと言う。
 スリルを満喫したい若者の心情は分かるが、瞬時に鬼籍に入るほどの冒険は彼らの本意ではないはず。彼らの軽率、粗野、それに“ええかっこしい”が、ついつい悲劇のわなに引っ掛かるのである。
 これを防止する当局の監視と取り締まりも、車ごとに終始張り付いているわけにはいかないから、万全を期し得ないのは当然である。
 ここで訴えたいのは、老人大国到来必至のわが国では若者が人的資源の中枢であり、宝物的存在であること。したがって国の繁栄の担い手であってもらわねばならぬということである。
 目前の小欲を見たし損なって散ってしまうことが惜しく悲しいのである。
 たかが車ごときに命をかけるのではなく、もっと眉(まゆ)を上げて、実りあるものにこそ欲望を燃やしてほしい。
(神戸・1990・12・23掲載)
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見つけたい!

2015年07月21日 12時40分09秒 | 文芸
見つけたい誇りもてる職業

 女にとっての職業とはいったい何なのだろうかと考える最近です。
 確かに、みんな、それぞれの仕事で頑張っています。でも、ひとたび結婚や出産と言う事態に遭遇すると、中断してしまうのが、普通です。
 それも女であると言うための制約なのだから、悔しい限りです。
 実はわたしも、その理由で保母職を棒に振ってしまいました。結婚すれば退職しなければならない採用条件が、あんなに恨めしく思えたことはありません。
 それが男性と鳴れば、本人が望まぬ限り、一度就いた職業を全うできるのはどう考えても不公平に過ぎます。男にできることが女にはできないなんて、理不尽極まる社会です。
 もちろん、それを甘んじて受けて来た女の側にも、問題がないとは言いません。しかし、それを押し付けて当然とした男性優位の社会が改善されることを望まずにはいられないのです。
 わたしだって、老いるまで誇りを持ち続けられる職業を得たいのです。
 現在こそ、夫の商売を手伝いながら主婦をしていますが、決してそれだけでは終わりたくありません。
 旧弊を打ち破って、自分の職業に生きる女性が増えつつある今、わたしも情熱を打ち込める職業を必ず見つけるつもりです。
(神戸・1989・3・14掲載)

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安くて丈夫な…

2015年07月21日 06時26分31秒 | 文芸
安くて丈夫な実用品選ぶ

 ブランド商品なんて、ばかばかしい限りです。身に着けるものはブランドより実用的なものが最高!
 安くて経済的この上ありません。ブランド名なんて、単に価格を上げるために必要なんだなと思っています。
 それにブランド乱立の傾向にある現在。むしろ無印良品の方に、希少価値があるんじゃないですか。それが富める国、日本の矛盾でもあるわけです。
 でもDCブランド売り出しに列を作る若者たちには、いつもウンザリされます。外見ばかりこだわらないで、もう少し中身を充実させるのが、先決だと思うばかりです。
 特にファッションなんて、ブランド品で左右されるものじゃありません。普通の衣装や小物を組み合わせるだけでも、センスの良さが充分表現されるのです。
「これ○○よ!」
 なんて自慢し合う友達をしり目に、(それがなんだってのよ。あんたが作ったオリジナルじゃないでしょ!)
 とひねくれることの多いこの頃です。
 しかし、ブランド名に迷わされることなく、これからも安くて丈夫な実用品を選び、身に着けていきたいと思っています。
(讀賣・1988・12・10掲載)
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男性には務まらぬ

2015年07月21日 02時35分00秒 | 文芸
男性には務まらぬ

 男性の助産師なんて、とんでもない話です。
 いくら男女雇用均等法にのっとりといっても、こればかりは他の仕事と同等に考えられてはたまりません。
 妊娠出産中の苦痛や心労はとうじしゃにか分からないものです。それを体験しようにも絶対に出来っこない。所詮男性の務まる仕事ではありません。 
 最近、出産に立ち会う男性が増えている現状を見て、男性が助産婦さんのテリトリーに進出は大丈夫との意見もありますが、果たしてそうでしょうか。
 ただ立ち会うだけで、女性の“生みの苦しみ”を理解できるなんて、早計にしかすぎません。男中心社会の延長線上にある、身勝手な男性の思い込みによる意見です。
 仮に出産時の傷みが理解できたとしても、長い妊娠期間における女性の複雑極まる精神状態の把握は、不可能でしょう。根本的に生理が異なっているのだから党是の話です。
 助産婦の仕事は、その精神的のも不安定になりがちの妊娠期間を、慎重に見守ることが求められます。
 こうなると、もう男性の出る幕はどこにもありません。手におえる範疇ではなくなるからです。
 どんあしごとも、男女どちらかにしか適さない者はあるのが道理です。
 わたしも最初の出産は産婦人科にかかりましたが、そこの男性医師の事務的な扱いと、突っぱねたような対応が気になりました。
 いまは近くにある助産婦さんのお世話になっています。
 どんあ変化も見逃さず、茶飲み話をしながらでも、適切な助言を与えて下さる助産婦さんの姿に、力強さをを感じ、、万事任せ切っています。
 そこには同性としての信頼関係が大きく存在しているのは確実です。男性助産師の入り込む余地はありません。
(讀賣・1988・9・10掲載)

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義母の笑顔

2015年07月21日 01時27分30秒 | 文芸
義母の笑顔

 雑誌に影響されて、
「無農薬野菜を作る空、畑の一部を貸してください」
 と、生まれついてから、農業と関わり続けてきている義母に頼み込む。
「農薬を使わんやったら、素人には無理じゃで」
 と義母は笑いながら、快く畑を提供してくれた。
「そらわしらかて、農薬など使いたくないけど、使わなきゃ他人様に迷惑かけるし、虫が集まって来て、それこそ何も育てりゃせんで」
 念押しに近い農業従事半世紀以上の義母の言葉に従うどころか、逆に発奮して、
「絶対に農薬は使わへん」
 と、決意も新たに、今までにやったことのない畑仕事に取りかかる。
 途中、見兼ねた義母の手助けもあって、やっと土森下畝に、まず大根の種を蒔いた。水をやり、
「早く育てよ」
 と語りかけてみる。
 そのせいか、数日後、見事なほど、ビッシリと双葉が頭をもたげてきた。嬉しくて堪らなかった。夫の手を引っ張ってきて見せて自慢したりもした。
「これからじゃ、まだまだ安心できんぞ。ええか、目離したらあかんよ」
 義母の助言だったが、忙しさにかまけて、ウッカリと一日畑行きをさぼってしまった。翌日、足を運んでビックリ。双葉の部分が大半欠けている。心配していた虫食いだった。
「まあ、よう食べられたのう」
 ついて来た義母が同情気味に声を上げた。肩をすくめてクスするわたしに、
「農薬使わんかったら、自分が代わりになる気構えでやらな、あかんよ。農業は、そない簡単なものじゃあらへんで」
 言葉はきついが、和やかな表情は、(これにこりんとがんばりや)と励ましてくれているようだった。
(神戸・1988・9・16掲載)
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人情伴ったサービスを

2015年07月21日 00時30分55秒 | 文芸
人情伴ったサービスを

 久しぶりの大阪行きにJRを利用して、まず改札口で驚く。
「おはようございます。JRをご利用頂きありがとうございます。」
 ゾッとしそうなぐらいの丁寧な言葉に、思わず駅員の顔を見直す。なるほど、これが民営化によるサービス改善の表れかと、結構いい気分で車中の人となる。
 ところが、車内では期待に反して国鉄時代とさほどの変化が見られない。相変わらずの車内風景と、事務的に回ってくる車掌の姿。もちろん、改札口と同様に、丁寧な口調で声をかけているが、どうも内容が伴っていない気がする。
 例えば、優先座席にどかっと若者が座り、その前に立っている年配者の姿が見られても、彼らは気にすることもなく通り過ぎていく。
 先日、私鉄を利用して家族で出かけた時だが、あいにく車内が込んでおり、小さな子供二人を手に立っていた妻を見兼ねたのか、やって来た若い車掌が近くに座っていた若い女性のグループに気軽に声を掛け、座席を譲らせた。
「よかったね、ゆっくりするんだよ」
 と、子どもにニッコリ話し掛けた表情が、いまだに忘れられない。と同時に、その私鉄に好意を抱くようになったのも事実である。
 確かに、駅コンサートとか表向きのサービスは増えているのは認めるが、サービスの最前線にいるJR社員一人ひとりの意識変革の歩みは、かなりゆっくりのようである。
 彼らに、事務的でない温かみのある人情を伴ったサービスが普通になり始めた時、必ずJRは、国鉄時代のイメージを脱皮するだろう。期待している。
(讀賣・1988・6・11掲載)

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