こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

記憶の記事・あの日を!

2015年07月18日 21時40分12秒 | Weblog
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便利が過ぎて技術が増える

2015年07月18日 20時57分25秒 | 文芸
便利が過ぎて技術が増える

 仕事に来ている大工さんの一服に付き合っていると、大工さんがしみじみと言った。
「15で大工の見習いに入ったころは、親方の道具と自分のを自転車のしりに乗っけて現場へ行ったもんやけど、いまは使い勝手のいい道具が次々に開発されて軽トラいっぱいにしても足らへん。便利っちゅうのも変なもんやわ」
 なるほど、そう言えば、仕事場には殿堂のノミやノコが所狭しと並んでいる。邪魔なぐらいだ。
「大工の技術も要らん時代は誓いで」
 大工さんは達観したように言う。
 人間の飽くなき利便性の追求が大工さんの言うように職人の淘汰(とうた)につながっていくとしたら、こんな皮肉な話はない。人間は自分で自分の首を絞めていっているようなものだ。
 機械の進歩を頼るのもいいが、そのために人間本来のモノを作り出す手が、ないがしろにされるのであっては、逆効果もいいところだ。
 こんな便利な時代だからこそ、昔からの職人の技術をもっと大切に考えていかねばと、ちょっとした危機感にとらわれてしまった。
(神戸・1992・3・11掲載)

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よーいやせ!

2015年07月18日 20時29分56秒 | 文芸
よーいやせ

 村祭りで屋台を担いだ。初体験だ。次男坊の気安さで、いつも父や兄が村祭りに参加する姿を見物する立場だったのが一転した。
 兄の急逝、父の年齢、いろんな条件が重なり、わたしの出番である。気は重かったが逃げられない。
 日頃、疎遠になりがちだった村の行事に、どんな顔をして参加したものやらとの不安は、屋台が太鼓部屋を出発すると同時に一掃された。
 同じ長じゅばんと色手拭い、祭りの無礼講のムードが、わたしをあっさりと引きずりこんだ。
「えーへんや、どっこしょい。よーほいさ…」
 掛け声は30数年前に乗り子で太鼓をたたいていたときと全く同じ。もう勝手にお祭り気分へと高まっていく。
 かき手仲間の顔が目に入る。同じ村に暮らす面々である。大半が顔も知らぬ若い連中だが、やけに頼もしく見える。
 そして宮入り。
「よーいやせ!」
「それ!」
 を繰り返し、かき手の心をひとつに、グイーッと差し上げる屋台。両手にかかる重量。ふらつくのをグッと踏ん張る。
「よいやさ!よいやさ!」
 と屋台をシーソーよろしく豪快に揺すり合う。パチパチと拍手が起こる。
 感激で目が潤んだ。胸が熱くなった。その瞬間、わたしは父や兄と同じように、この村の一員に迎えられたんだとの実感があった。
(神戸・1991・10・22掲載)
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笑顔であった“福祉まつり”

2015年07月18日 19時22分40秒 | 文芸
笑顔出合った“福祉まつり”

 先日、福祉まつりに足を運んでみた。地域住民のお祭りとタイアップしての、障害者と健常者のふれあいの場であった。
 模擬店も並び、にぎわう中を、少し足の不住な母と2歳の息子の手を引きながら歩いた。
 和気あいあいたる雰囲気の中に、障害のある子どもたちのまぶしいような明るい笑顔と出合う。そして、お母さんやお父さん方のはつらつたる姿が気持ちいい。
 みこしが練られ、子どもたちの歓声が上がる。だれもが心の底から楽しんでいる、いい祭りだ。
 模擬店では福祉センターの人たちが裏方役で大奮闘している。障害者の青年と子どもらがホットケーキを焼いていた。子どもがほしがるのでひとつ貰った。ありがとうとお礼を言うと、言葉の代わりにニッコリ。とろけるような最高の笑顔だ。
「ようけ人が出て、ええ祭りじゃがな」
 母がボソッと口にした感想にわたしは強く頷いた。
 地域の行事に、障害者と健常者のふれあいの場を取り入れ、日常化したいものである。
(神戸・1991・10・31掲載)


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たまには冷房を止めてみよう

2015年07月18日 17時48分38秒 | 文芸
たまには冷房止めてみよう

 先日、福井へ一泊2日の予定で出かけた。
 最近は家族単位で行動する癖がついており、20年ぶりのひとり旅は何となく戸惑いを覚えた。
 そんな中で、やけに気になったのが、冷房である。JRもバスも旅館も、立ち寄る店やビルも、とにかくこれでもかといわんばかりに冷房を効かせている。半そでのシャツ姿だったわたしには苦痛の冷房攻勢となった。
 大体がふだんクーラーも扇風機もない生活を送っているわたしには、炎天下でもちょっとそよ風があれば涼しさが感じられるのだ。人工的に作られた冷風ではいささかきつい。ここちよい汗がかけないではないか。
 聞けば暑さとともに電力消費がうなぎ登りになるらしい。今回の度のような過剰冷房を体験しては、いかにもさもありなんと思う。
 しかし、いまや冷房抜きには考えられない世の中。だからこそ、たまには直接夏の暑さを受けて人間らしさを実感してみるべきだ。
(神戸・1991・8・14掲載)

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家庭菜園

2015年07月18日 16時44分28秒 | 文芸
妻はパッパッとタネ、私はチョイチョイ

 家庭菜園を始めると、夫婦お互いの性格がハッキリと見えてきて実に愉快だ。
 土起しや種まきにしても、妻は大まかと言うか大胆というか、パッパッとやってのける。対して私は慎重にチョイチョイ。
 一粒一粒の種に(早く芽を出せ、○○の種)と念じてしまう。まさにサルカニ合戦のカニの心境なのに気付いて、すると妻はサルかよ?…と苦笑しきり。
 間引きするのも慎重な私。何かもったいなくて手が迷う。
「もうじれったいわね。間引きなんてパッとやらなきゃ効果ないんでしょう。
 妻の言い分が正解なのだが、まるで鬼みたいに思ってしまうのは、私が優しすぎるせいだろうか。それで、相変わらずセコセコ間引く。
「雑草なんて大きくなるまでほっといて、いっぺんに抜いてしまえば簡単じゃない」
「収穫が早いか遅いか、食べてみれば分かるわよ」
 いちいちごもっともな妻の意見。
 しかし、私はもっと大事にしたい、野菜との付き合いを。
「私は?って何か言いたそうだけど、なによ」
 妻の質問に、一瞬口ごもった。
(神戸・1991・9・20掲載)

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出産の後の充実した日

2015年07月18日 09時59分07秒 | 文芸
出産の後の充電の日々

 7月に出産してから、おとなしく家で主婦をしています。珍しいことです。
 結婚して14年近い日々、専業主婦ができる時間など本当に数えるぐらいでした。でも今回は、3ヶ月は間違いなく育児と家事に専念できそうです。
 どちらかと言えば、パッパッと仕事している方が似合ってると思う私ですが、赤ちゃんの世話をしながらちょこっと自由な時間を過ごせる今はぜいたく過ぎる気がしないでもありません。
 赤ちゃんとの語らい、窓から見渡す緑豊かな田園風景。赤ちゃんが寝入ったことを確かめて裏の畑で野菜や花を作り、洗たくをしながら家族の食事の献立を考える…。
 そのうえ子どもたちとスキンシップを図れる時間もたっぷりあります。
 これまで、そんなゆとりのある時間の送り方は経験したことがありませんでした。
 女34歳。まだまだ働きます。その日のために充電です。身も心もリフレッシュできる今の日々を大切にしたいと思っています。
(神戸・1996・9・3掲載)

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何となく独り言

2015年07月18日 09時20分58秒 | 文芸
「あかんたれやのう」「おびんたれや」「ひきょうなやっちゃのう」…わたしの性格らしい。今は亡き母が私の小さいころから何かにつけて、口癖のようにいっていたのを、いまさらながらに思い出した。別に責め立てる 口調ではなかったから、罵倒ではなかったと思う。ちなみに私の性格は、とにかく無口で内向き。他人が見れば何を考えているかわからないに違いない。人と話すのも大の苦手。目上の人や女性は当然、だし、先生、クラスメート、職場の同僚とも、コミニューケーションはそう簡単に取れない性格だったなあ。今でもそうだけど。もう死ぬまで直りっこないでしょうね。話はずれたけど、文頭の意味、なんとなく分かったんじゃないかな。多分もっともわからないと思われる、方言に近い「おびんたれ」とは怖がりの意味です。あとの二つは言葉どおりです。年頃の女性を前にすると、ドキドキワクワクで、その胸の内をごまかすためにモジモジ、顔を赤らめて沈黙…よくまあそんな男が結婚できたのか、いまだに自分でもわからない。子どもも4人社会に送り出しているんだぞ(これは自慢してます)。多分、妻のおかげなだろうな。またまたちなみに、妻は13年下です。そしてAB型。私はB型…バランス関係は…結果的によかったんだと思う。35年、そして今も夫婦生活は堅持。ともに白髪まで…頑張るっきゃない!取り留めもないつぶやきでした。ごめんなさいね。
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お土産で分かった夫婦の愛情の差

2015年07月18日 08時31分40秒 | 文芸
土産で分かった夫婦の愛情の差

 仕事で遅くなる時は何か買って帰ります。お腹を空かせて待ちかねている夫のため、お寿司とか中華の折り詰めがほとんどです。
「こいつはうまい!お前、やっぱり俺のこと、愛してるんだな。ありがとう。オレも愛してるから」
 こんな時でもないと聞けない甘い言葉の連発で、もう嬉しくて堪らない顔をするのです。
 先日、夫は急用で大阪に出向きました。そして夜中に帰って来た夫の手に、なんとお土産がぶら下がっていたのです。これまでお土産なんか買って来たことのない夫なのに。きっとわたしに触発されたのでしょう。
「なによ、これ?」
 期待感いっぱいでお土産が何か聞いたわたしは、思わず叫んでしまいました。
 出て来たのは、ダシと玉がセットでパックされたうどんです。
「うまいぞ、これ。すぐ作ってくれ」 
 なぬ?…なんという言い草。思わずぶちぎれていました。
「わたしが作らないと食べられないような土産なんか買って来るな!」
「何言ってんだ。これ土産じゃねえぞ」「「この愛情なし男!」
 それだけ言ってのけると、キョトンとする夫に構わず、ドタンバタン、キュー!しました。
(神戸・1989・10・13掲載)

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盛夏の主役

2015年07月18日 04時15分48秒 | 文芸
盛夏の主役

 昨年、何気なくヒマワリの種を取って置いた。4月初めごろ、そこかしこに蒔いておいたら、芽が出て来た。生命力のたくましさに感心した。
 間引くのにちゅうちょしていたら、グングン成長し、家の周りはヒマワリだらけになった。そうなると、花が開く日への期待で、胸がワクワクするから、不思議なものだ。
 梅雨が続く中、雨に打たれて倒れたのを見兼ね、一本一本慎重に起こしてやり、竹の支柱を添えて回った。霧雨に濡れながらの作業も、花への愛着からいっこうに苦にならなかった。
「なんとまあ、ヒマワリだらけ。咲いたら絶景じゃろうのう」
 通りがかったおばあさんが、やけに感動してくれた。
 ヒマワリが主役になるうれしい盛夏が、もうすぐやって来る。
(神戸・1996・7・19掲載)

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