こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

義母の野菜

2015年07月22日 23時58分53秒 | 文芸
義母の野菜

 仕事帰りでゆとりができ、、早速に畑へ行こうと考えました。
 赤い長靴を履いてると、目ざとい夫の母が、
「畑に行くんかいな」
「はい。キューリとトマト頂きます」
「ほうか、ほうか。いるんなら、何でもちぎらんかいな」
 実にうれしそうな笑顔がまぶしい限りです。
 70近い夫の母は、少し歩くのが不自由なのに、毎日畑でせっせと野菜づくりに励まれています。ただ体が思うように動かないので、収穫にまで手が回らないようです。
 他の家族は仕事に追われ、それどころではありません。もちろん時々は畑に行きますが、、もったいないことに半分以上の野菜が収穫されないまま終わります。
 その腐った野菜を見る夫の母に、寂しい表情を見つけた時から、心に期するものがありました。
「あの、キャベツもらっていいですか」
 と言ってみたのは3日後でした。瞬間、母の顔がほころび、
「ほな行こか」
 と、いそいそ畑へ先導して下さる姿に、ちょっとビックリです。
 畑にはキャベツ、レタス、トマト、キューリ…随分たくさんそろって、しかも新鮮この上ありません。
 思わず手が伸びます。いつになくニコニコと見つめられる夫の母を意識しながら、思う存分、野菜の感触を楽しんで収穫したのです。
「今どきは皆、ゼータクじゃで、せっかく作ったもんでも食べん。もったいないこっちゃが」
 そのつぶやき気味の言葉は、いまだに忘れられません。
 それ以来、よく畑に出ます。あの、何とも素朴な笑顔を確かめながら、親孝行のまね事のつもりです。
 きょうも赤い長靴は元気いっぱいみたい。
(神戸・1988・7・7掲載)

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ぽっちゃりに癒されて…

2015年07月22日 21時52分01秒 | 文芸
初めて恋したのは小学6年生。もちろん、片思いはもっといにしえ(?)のこと。片思いの第一弾は、保育園の短保母先生。ませていたんでしょうね。とにかく先生の顔を見ると、胸がどきどきして、切なかったですね。続いて小学校の担任のS先生。不思議と同じ教室の女の子に胸をときめかせたことは皆無だったなあ。その体験も、初めて恋した相手も、ポッチャリタイプ。そして妻にいたる、わたしが愛した女性たちは、みんなポッチャリタイプばかり。ガリガリタイプは、異性を感じないし、あまりに美人も興味なかった。ちょっとポッチャリでまあまあみられるマスクの女の子は、みんな優しかった。結局、その優しさがボクの心を魅了していたのかもしれない。この間、スーパーで買い物をしていた時、胸がドキン!となった。何年ぶりだったろうか。つらつら観察してみると、レジにいた 女性、まさしくポッチャリタイプ!もうどうしようもなく切なさを感じた。以来、休憩ベンチに座って遠くから彼女の一挙手一投足に心を奪われている。たぶん最後の恋なんだろうな。それに間違いなく片思い。自分の娘ぐらいの相手にアタックは出来なよな。老いらくの恋は、静かに静かに続き、消滅していくしかないよなあ。それでいいんだ、うん!でないとストーカーになっちゃうから。でも、ポッチャリタイプの優しさを命尽きるまで求めていくに違いない。
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ドラフト制度はいらない

2015年07月22日 20時40分08秒 | 文芸
夢と魅力半減廃止は当然だ

 特定糾弾に有望選手が集中するのを避け、契約金の高騰を抑えるために設けられたドラフト制度だが、よく考えてみれば、ファンにとってはどうでもいい理由である。契約金の高騰などは、企業側が解決に努力すべきことである。
 その結果は、プロ野球から夢と魅力を半減させるに至っている。
 プロ野球選手は、もう子どもたちのあこがれの的になり得なくなったし、ドングリの背くらべ的なチームによる試合のどこに面白味があると言うのだろうか。
 確かに日本人が好む真剣勝負の観点からすれば、チームの戦力が拮抗している方がいいだろう。しかし、アマチュアではなくプロなのだ。真剣勝負だけが売り物ではあまりにもさびしい。
 プロ球界を引っ張るのは常勝球団、そこにきらめくスター選手たち。
 そして常勝球団に全力で挑む弱小球団のハングリーな姿勢―これが感動を呼ぶドラマを生む条件だ。
 将来を考えるなら、是非ともドラフト制度を廃止すべきだ。
(讀賣・1991・11・23掲載)

 
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マンガ参考書だってさ

2015年07月22日 19時03分56秒 | 文芸
日本文化の軽薄短小化進む

 漫画世代のはしりを自負するわたしだから、漫画の台頭はおおいに結構だと思うが、一般書への進出は「まさか?」と目を疑うほど驚いたものだ。
 政治経済は言うに及ばず、趣味教養書まで漫画による表現続出の風潮を前に、「日本人にとって喜ぶべき現象なのだろうか?」と悩むしかない。
 それが今度は参考書まで……となると、不安を覚え、漫画の味方を自認しているものの、とてつもない罪悪のように思える。
 これでは漫画による日本文化の侵略ではないか。日本の将来を見据えた時、どう考えても漫画文化では、軽薄短小化をさらに進めるばかりではなかろうか。
 確かに漫画は文章を読解するときの煩雑さはなく、見たままを学び取れる利点がある。ある意味では合理的だとも言える。しかし、人間が合理的を優先したときに、人間本来の姿を失うのは、過去の例から見ても間違いないところだ。
 ハッキリ言って、漫画は思考能力を減退させる。それは20年以上漫画と付き合ってきた経験から得た核心である。
 だから漫画が勉強の補助役である参考書に登場するのは、百害あって一利なしである。
(讀賣・1988・8・6掲載)

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家族のきずな守ろう

2015年07月22日 13時38分30秒 | 文芸
家族のきずな守ろう

 最近、女性の立場を見直すことが活発に行われる中で、結婚すれば夫の姓を名乗ると言う現状に不満の声が上がって来ているようです。
 けれど夫婦別姓が実現すると、家庭の存在を無意味にしてしまうのではないかと思います。もちろん夫婦や親子が形式だけで成り立つものではないのは理解できますが、昨今の社会の乱れを見るにつけ、何らかの歯止めは必要だと思います。そうでないと日本の将来は混乱を極めるばかりです。
 私自身、家庭の事情から二度姓が変わっています。その慣れもあったせいかも知れませんが、結婚した時、あの姓を名乗ることに、いささかの疑問もなく、むしろこれで夫とわたしは一体で、社会を渡るんだと言う責任感が、ふつふつと湧いてきたのを思い出します。
 一概には言えませんが、日本古来より形成されてきた慣習を、自由の名を借りて否定するだけでなくて、何とか生かす道を考えるべきです。
 核家族化によって崩れた家族のきずな。それぞれの自由な生き方ばかりが優先されたことも、弊害のひとつなのです。
 夫婦や家族に一体感を持たせてくれる夫婦同姓の原則。是が非でも守っていくべきでしょう。
(讀賣・1988・11・19掲載)

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親の近くに住める幸せ

2015年07月22日 12時29分32秒 | 文芸
親の近くに住める幸せ

 今まで他人事のように思っていた高齢化問題。それが一挙に現実化しつつあるわが家族。
 考えてみればわたしも43歳、それが当然なのである。父も母も高齢者の域に達しているし、親が頼りにしていた、たった一人の兄の死でわたし自信の意識も変わらざるを得なかったようだ。
 といっても具体的に何をどうこうしようというわけではない。
 父はいまだに現役の職人だし、母もしっかりしている。兄嫁を始め、兄の子どもたちが傍に付いている。
 残ったたった一人の息子の私は自分の家族とともに、実家の近くに住んでいる。核家族化していないのが心強い限りだ。
 私は毎日、父や母の顔を見るだけで、あるいは父や母に顔を見せるだけで、いまのところは充分幸福な気がする。
 現在の社会では、やはり核家族化の風潮が高齢化社会に対する不安と問題を増幅しているに違いない。
 小屋孫がともに暮らす家族関係の維持が、どれほど高齢者の生きがいになることだろう。父や母の姿を見て、心からそう思う。
(神戸・1992・1・8掲載)
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記憶の記事・感無量

2015年07月22日 10時33分23秒 | 文芸
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次代に希望をつなぐ

2015年07月22日 09時22分20秒 | 文芸
次代に希望を託したいから

 田舎に生まれ育ったわたしは、豊かな緑や水と空気の中で、さまざまな動植物とのふれあいに心を弾ませ、感動することを覚えた。
 二年前に再び帰郷定着したが、ふるさとに昔の姿が次々と失われつつある状況をとても寂しく感じた。
 ゴルフ場、耕地整備…。といって、わたしにそれをどうこうする力はなく、傍観しているしかない無力感。
 唯一わたしにできることは、まだ開発の手が入らない自然の中で幼いわが子と遊び、彼らに自然の魅力とか弱さをたっぷりと見聞させておくことだ。
 土くれにまみれ、森のにおいをかぎ、鳥や虫と触れ合わせる。幼いころわたしを育ててくれた自然が、子どもたちの心に、やはり同じ感動と喜びを与えてくれるのである。
 そうやって育った子どもたちが、いつかは荒れた山野の回復のために、自分の手で一本の苗木を植えてくれるであろうことを祈りながら、しょっちゅう子どもと裏山に登っている。
 優しさとか思いやりは、自然とのふれあいによって生まれる。学校教育の中に山野を遊歩する時間をもっと増やせれば…ちょっと無理な希望かな…?
(神戸・1991・1・9掲載)

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100円で…

2015年07月22日 03時13分37秒 | 文芸
 火曜日の早朝。必ず小銭いれを確かめる。そして車を飛ばす。着いた時間は10分前。7時まで我慢の子だ。貧乏とはいつだってガマンを強いられる。年金暮らしはツラい。
 ついにスーパーが開店。並んでいた客がドーッとなだれ込む。目指すは卵売り場。   1パック掴んでレジに。「97円です」「はい」と差し出す100円玉。3円のお釣りを貰ってレジ外へ。くるりーっとまわって、もう一度卵売り場へ。1パックしっかり握ってレジに。「97円です」「はい」と100円玉を出す。また3円のお釣りだ。快調なリズムだ。
 これを5度繰り返す。お一人様1パック限定売り出し。だから、行ったり来たり。つごう5回で5パックゲット!一週間分確保だ。
 この日ばかりは小銭が物を言う。お札でお釣りをもらう時間は勿体ない。10分遅れれば、レジはズラーッと客の列が。苛々して待つのは堪らない。気の短い年寄りは機動性をカバーするために、小銭を最大の武器とする。
 

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国民の良識を

2015年07月22日 01時29分53秒 | 文芸
国民の良識を結集すべき時

 議会制民主主義の危機とも言える衆院税特委での強行採決。泥沼化するリクルート疑惑をおおい隠すためとも言われる暴挙。
 口惜しいかな。大多数の国民は何らなす術もなく間接的に見守るしかない現状。隣国韓国で全国的な全斗煥前大統領疑惑追及の動きに比して、なんと情けない国情だろうか。
 正義の怒りを忘れた国民と形容してもおかしくないほど、わたしたちは権力の前に無抵抗になってしまった、というより、わが身大事の風潮がはびこっている。最も正義感がつよくあるべき若者ほど、それが強いのだから何をかいわんやである。
 日本のカジ取りをする政治家や官僚が、自らの懐を肥やすために不正をなすのが常態化してしまっては、世の中はもはや真っ暗である。いまこそ、その暴走をくい止める義務が国民の肩に負わされる時と考える。
 多数が強いなら、リクルート疑惑解明を願う国民こそ大多数であろう。
 一部の不正で利益を得て、ほおかぶりしようとする連中を見逃しては、日本の将来はない。国民の良識による叫びが、彼らを糾弾できるのだ。リクルートにメスを入れずして消費税はあるまい。
(朝日・1988・11・16掲載)

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