こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

実現だー!

2015年07月24日 20時57分02秒 | 文芸
伝説ロマンの舞台化が実現

 今年は遅ればせながら地方の時代の一翼を担う決意でいる。
 これまで市街で情熱を持って打ち込んで来たアマチュア演劇活動。かれこれ25ねんいじょうになるが、その間に培ってきた創造性と指導力にも何となく自信がついてきた。
 そこで、故郷へUターンを決めた。難しのはよく分かっているが、わたしの思いはもう止まらない。
 加西市はその昔、播州歌舞伎発祥の地として栄えた土地柄である。
 ふるさとの活性化に努力する地元JCメンバーとの出会いがあって、故郷の古代ロマンの舞台化が決まり、実現に向けて一歩踏み出したのである。
 呼びかけに集まった20数人の新しい仲間とともに作る舞台は、『根日女(ねひめ)』。今年5月の公園を間座して、追い込みに懸命だ。
(讀賣・1993・1・12掲載)

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主婦は?

2015年07月24日 19時58分27秒 | 文芸
並大抵でない家事との両立

 8年ぶりに働きにでることが決まった時、ちっぽけな期待感とともの不安が募りました。
 長い仕事のブランクと、やっぱり家族が心配。夫がしばらく家事を見てくれるとは言えまだ生後6か月の赤ん坊を含む3人の子どもたちの世話は大変です。まして、夫の場合、子育ては未経験。
「まあ気楽にやるから心配するな」
 夫の笑顔が最終的にわたしを決意させてくれました。夫を信頼してついに働きに出たのです。
 あれからもうすぐ1年。実に色んな難問が次々と襲って来たのをふと思い返します。それらはみんな、主婦の立場で働くに際して避けられない問題ばかりだった気がします。
 たとえ夫が家事分担を引き受けてくれても、周囲がそれをアッサリ認めてくれるほど、日本の社会は甘くないのです。仕事と家事の両立が当然のように求められる雰囲気があります。
 出勤2時間前に起きて、洗たく、食事の用意、。仕事から帰ると、必然的に母親の役割が待っています。
 疲れていようがいよまいが無関係にこなさなければならない主婦の義務なのです。
 働く以上は無責任なことはできないとの思いが、わたしを馬車馬のように駆り立てた1年でした。
「主婦が働くってのは、並大抵じゃないんだよ」
 ―わがことのように感慨深げな夫の言葉です。
(神戸・1990・3・19掲載)

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ワクワクしてるぞ!

2015年07月24日 13時34分29秒 | 文芸
故郷に演劇の灯をともす

 生まれ育った故郷に演劇の灯をともしたいと考えたのは、もう10年前。それをこの平成2年に実現させるつもりでいる。
 アマチュア劇団の活動に関与して既に20数年。単なる趣味が今ではいきがいになった。
 現在、姫路で劇団を主宰して8年目になるが、わたしが歩んだ活動はすべてが故郷から離れたところである。
 生の舞台は作ってみても感動がある。その感動を知る機会が少ない故郷の文化事情を知っているだけに、いつかは必ず故郷での演劇活動を夢見て来たわたし。その時機到来である。
 昨年末に劇団発足準備会を開き、やっと5人ばかりの顔ぶれをそろえているものの、みんな一様に、
「この町は新しいものがなじめないところ。演劇文化が根付くのは難しい」
 と弱音を吐いている。なんとも頼りない限りである。しかし難しければ難しいほどやりがいが出て来る。
「みんなついて来い!」なのだ。旗揚げ公演は8月の予定で、家族揃って楽しめる童話の劇化を考えている。
 平成2年。わが故郷に劇団「おおきな木」がスタートする。
 生の手作り芝居の魅力を郷土のみんなと共有するために。いまわたしはワクワクしながら、記念すべき第一回のけいこ日を待ち構えている。
(神戸・1990・1・1掲載)

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やったぞ!

2015年07月24日 13時07分25秒 | 文芸
念願の同人誌とうとう創刊

 91年も残り少ない。40を過ぎてからやたら日のたつのが早く感じられ、結局何もできずに1年の終わりを迎えるのが普通になってしまっていたが、今年は少し違う。
 本欄の新年特集で“公約”した同人誌「独楽」の創刊が果たせたのだ。出来不出来は別として、しばらく忘れていた充実感を得られたのは確かだった。
 それに何より、この創刊号を通じてたくさんの知己が生まれたのが嬉しい。
 定年を迎えて新しい生きがいをと文章教室で勉強をスタートされている男性。子育てを終えて新しいチャレンジのお母さん…。皆さんそれぞれ素晴らしい方ばかりだ。
 中には同人誌活動を一緒にと望まれる方もあり、わたしの創作意欲は前にも増して強くなっている。年齢、職種を超えて、お互いの作品を批評し合える仲間は最高の刺激になる。   
 年齢とともに気つつあった情熱の灯が再点火され、青春を取り戻す勢いで年が越せそうだ。
(神戸1991・12・25掲載)
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分不相応

2015年07月24日 11時33分56秒 | 文芸
文学賞入選めざし

 新聞投稿を始めて3年になる。
 調子に乗ってエッセー、小説と掻き出したわたしの目標は、文芸誌の新人賞と大きいが、こればかりは所詮片思いである。
 というよりも、片思いのまま終わる気配は濃厚だ。
 大体まだ20枚以上の原稿を書き上げたことが無い。我慢と集中力がどうにも続かないのだから、何ともはやというしかない。
 そんなわたしが、読売新聞紙上に掲載された自由都市文学賞の入選作品を目にして以来、新たな目標はこれだと思った。
 日本一の発行部数を誇る新聞のページを占めるなんて、文学誌以上の魅力ではないか。
 しかも読んだ受賞作品がなんとも身近に感じられ、これぐらいなら!とフラチな考えに及んだのだから、いやはや……!
 とまれ早速原稿用紙に向かったのだが、いまのところ一進一退。それでもその気は充分。
 はたして成就するか、片思いのままで終わるか……とにかく、書き上げなきゃ話にならないぞ。
(讀賣・1991・9・22掲載)
 

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魅力ある選挙へ

2015年07月24日 09時39分14秒 | 文芸
死票が増えて民主政治阻害

 参議院選挙の全国区にドント方式がさいようされてから、どうも投票するのにシラけてしまうのはわたしだけだろうか。
 自分が支持する候補者を直接選べないのだから当然である。旧全国区時代の、ワクワクした気持ちで臨んだ投票がなつか鋤く思い出される。
 誠治の世界は個人の力、まして庶民の思いでどうなるものでもないから、政党本位の選挙方式にならざるを得ないのかも知れないが、最近の政党間の、馴れ合い的な国会運営を見せつけられているだけに、有権者のひとりとしてはなはだ不満が募るばかりである。
 ひとりの候補者の魅力が即、政党の魅力ではないのだから、選ぶ側としては二の足を踏むのが当然だ。
 それに名簿登載順位が下位になった場合、(選ばれる可能性がない)との判断が容易につき棄権に走る恐れが無きにしも非ずである。
 そうなれば、おのずと死票が増え、民主政治の健全な発達を阻害することにつながるのは道理だ。
 有権者の意識を高めるためには、政党選びと言う現方式は間違っていると思う。やはり人間を選ぶべきである。
 もう一度、あの熱気が感じられた旧全国区参院選に、復活しうるのは無理なのだろうか。
 確か改正案がまとめられた時、ミニ政党排除と、金のかからない選挙のためとの理由が上げられていたと記憶する。
 しかし、改正後の現状は、やはり金権オンパレードの感が強い。快晴は大政党の優位性を高めたに過ぎない。
 アメリカ大統領選挙を見るにつけ、日本の選挙においても、故人を選ぶ方式こそが、有権者を選挙の場へ積極的に引っ張る唯一の方法ではないのだろうか。
(讀賣・1988・11・12掲載)

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やりぬくぞ!

2015年07月24日 01時09分36秒 | 文芸
禁煙喫茶店やり抜くぞ!

 一昨年に踏み切った“禁煙喫茶店”がまる一年を経過し、ことしこそ店の運命が定まるはずだ。
 わたし自身、30歳になるまでヘビースモーカーだったが、タバコの害を自覚するようになって禁煙した。
 もちろん結婚して子どもの父親になったのが、強い動機である。
 ところが禁煙すると、意外に体調がよくなり、食欲が進む。それまでシーズンごとに風邪をひいていたのが、うそみたいに快調なのである。
「これは絶対にタバコのない環境を作る必要がある!」
 と思い、禁煙店を決行した。
 お客さんにも紫煙が影響しない“健康な
飲食を味わってもらいたいと一生懸命にやっているが、現在はまだ反響が少ない。
 しかし、今年こそ、あの手この手で試行錯誤、勝負の年になるぞ。
(毎日・1989・1・5掲載)
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野菜の出来に文句ある?

2015年07月24日 00時04分02秒 | 文芸
野菜の出来に文句言わせない

「お母さん、これ何や?食べられるんかい」
 と、わが家の食卓でまずそう聞くのは夫。そして長女、長男、二男の準になる。外食の機会が多い順番のようだ。
 食卓に並ぶのはほとんど、自家製の野菜を使った料理。いずれも貧弱な出来で、干し物顔負けのニンジンやダイコン、石ころ大のタマネギやjyガイモ、雑草に近いネギやホウレンソウなど。それを調理するから、もう正体不明だ。
 いずれも、わたしが裏の畑で丹精込めて作っている。町育ちの素人が忙しい日々をやりくりして栽培しているのだから、デ木が悪くてもとことん使い切る。
 家族の冷たい目は無視、無視。
 それに自家野菜を使い始めてからは、家族の体調がそろっていいみたい。風邪も滅多にひかないし、病院も用無しだ。
 もちろん農作業に汗を流しているせいか、わたしもダントツの“健康優良児”だ。食費の節約にもひと役かっているし、何も文句はないはずだ。
(讀賣・2005・4・17掲載)

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