こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

当然のことができない不幸

2015年07月11日 20時32分40秒 | 文芸
当然のことができない不幸

 昨今の米騒動は、日本の社会がいかに秩序をなくしてしまったかを象徴する出来事のように思えて、先行きへの不安が募る。
 異常気象による凶作が大本ではあったが、それ以上にせいさんしゃ、消費者それぞれのエゴのぶつかり合いが生んだ騒ぎと言えるし、米の監督官庁や政府の目先を繕うだけに終始するかのような対応ぶりが、それにいっそう輪をかけたのは明白である。
 秩序を維持すべき役所が混乱してしまっては笑い話にもならない。
 日本人にとってコメは主食なのだ。その安定供給のためには、損得抜きの官民一体となった協力態勢があってしかるべきではないか。
 生産者は国民に安全で量的不安を生じさせぬコメの栽培を図り、消費者は生産者への感謝を忘れぬ消費を心掛け、業者はコメの円滑な流通に徹し、せいふ、監督官庁は大局的な立場から、米の普遍的安定供給のための施策を推し進めるー。しごく簡単なことだと思えるのだが…!
(神戸・1994・4・2掲載) 


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わたしも叱り方反省しました

2015年07月11日 18時46分03秒 | 文芸
わたしも叱り方反省しました

 子育てに自信をなくしつつある25歳のお母さんの発言を読み、思い当たる節のあるわたしです。
 わたしも2児の母ですが、子どもには口うるさい方で、手をあげることもしばしばでした。(自分では普通の母親だと思っていました)
 そんな私が反省したのは、しかる度に子どもが委縮してしまい、顔色をうかがうようになりつつあったからです。
わたしも含めて神経質になり過ぎているのではないでしょうか。親の価値判断が必ずしも子どもにとって良しとするものではないように思います。
わたしの夫も細かいことを子どもに注意する方です。あるとき、毎度のことながら、「テレビをそんな前で見るな!」
と叱りました。
子どもは素直に言うことを聞くどころか、口答えこそしませんが、すねて隣の部屋で泣いています。
大人の間でもそうですが、物も言い方で、どうして「こっちで一緒に見よう」と言ってやれなかったのかと、後で夫婦顔を見合わせて反省しました。
子育てもやはり押したり引いたりが大切で、ストレートにしかるばかりが能じゃないんですね。
ある本に、母親は明るく元気でちょっとぬけている方がいいとありました。わたしたちは子どものためにと思い込みながら、必死に“いい母親”になろうとしているんですね。
(神戸・1988・5・21掲載)

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ステーキと600円定食の差

2015年07月11日 16時23分31秒 | 文芸
ステーキの食事と600円定食の違い

 夫の実家に同居しているわが家族。しかし、同居とは言え、生活水準は雲泥の差です。
「さあ、ごちそうでも食べに行くか」なんて母屋の家族が外食に出れば、言葉通りにステーキとおすし等の高級(?)なごちそうなのに比べ、わが家は近くのドライブインで600円の定食で済ます安上がりのごちそうが精いっぱい。だから、何かと言えば母屋の外食にお供して相伴にあずかるのです。
 わが子どもらもちいさい間はよかったが、物心ついてきた今、この歴然たる差に気付かぬはずがありません。
 その証拠に、わたしが明るく。
「きょうは外食にしようか?」
 と言っても無言でジロリと一べつをくれるだけ。
 なのに義父や義母がやって来て、
「いっしぃにごちそう食べに行くか?」
 と言い出しでもしようものなら、いっぺんにはしゃぎ回る現金な子どもたちなのです。
 その子どもたちをわが家につなぎとめるには、ワンランク上の定食にする必要があるのかも……!?
(神戸・1990・6・8掲載)

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8年目の倦怠期夫婦げんかで防止

2015年07月11日 15時38分01秒 | 文芸
8年目の倦怠期夫婦げんかで防止

「なによ、そのおなかの出っ張りは?」
 わたしの言葉に夫はソーッとおなかをなでて確かめ始めた。そのしぐさが面白く、クスッと笑ったわたしをギロッとにらんだ夫は、
「40になったらこれぐらいの腹が自然なんだ。それにお前だって笑ってられるのか」
 と意味深な言葉をはきニヤリ。
「どういう意味よ、それ。はっきり言ったらどう」
「お前の原だって3段腹っての」
 頭の中が一瞬真っ白になった。まさか夫がそれを言ってのけるとは……あれほど信じていた夫の思いやりはどこへ行ってしまったのか。
「中年太り」
 腹立ち紛れにわたしが反撃。そうなるとお互いに引き下がれない。最悪のののしり合いが始まってしまう。
「中年太り」「三段腹」の連発で見苦しいことおびただしいが、実はこれも恒例行事。
 結婚8年目、理想の相手との恋愛結婚も色あせて、相手の欠点ばかり気になる倦怠期を、乗り切るための刺激剤なのである。
(神戸・1990・3・23掲載)
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不況生かして消費見直せ

2015年07月11日 13時37分35秒 | 文芸
不況生かして消費を見直せ

 最近、不況に対応するように郊外型レストランで単価を低く抑えての返信ぶりが目立つ。サービスメニューの見直しで、480円のランチまで登場している。
 利用者にとっては何とも喜ばしい傾向である。しかし考えてみれば、これまでは余計なサービスと余分なメニュー構成のおかげで高い勘定を払わされていたということになる。そうだとすると実に腹立たしい限りだ。
 消費者が要求しているからと言われて納得させられていた。至れり尽くせりのメニュー過剰気味だったサービスは、何のことはない店の利益を上積みするための方策だったのだ。ほかの商売でも同様だったように思える。
 今回の不況は消費者が利口になるいい機会のようだ。消費者が利口になれば売る側もこれまでのような安易な金もうけはできなくなり、正味の商売をせざるを得なくなる。
 現在の不況を、消費者と売り手の関係を昔のような質重視への転換に利用すべきだろう。
(神戸・1994・3・6掲載)

 

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若返り夢見る妻に中年夫は不安

2015年07月11日 11時43分45秒 | 文芸
若返り夢見る妻に中年夫は不安

 実に12年ぶりに仕事に復帰しました。それまでは夫婦ふたりで商売してたため、正反対の生活環境となりました。
 最初は面喰ったり、戸惑ったりと、なかなか慣れませんでしたが、まだ20代の若さ。
「やるっきゃない!」
 って頑張ったおかげで、3ヶ月たって、やっとリズムがつかめました。
 不思議なんだけど、外に出て以来、ドンドン若返っていく気がします。そうなると、商売してた頃のファッションが、なんか年寄り臭く感じられ、若い感性の服がほしくなりました。
「ねえ、ピンクの上下買っていい?」
 と夫にねだると、妙にブスッとしています。
「どうしたのよ?」
「お前さんだけ若返って不公平じゃないか」
 と、またブスッ!
 考えてみれば夫は40代突入!まだ20代の妻がこれ以上若返ったら?…なんて考えると、きっと、ものすごく不安になるのかも。
 夫のことを考えれば躊躇するけれど、彼のジェラシーだけでおんなの希望を捨てたくない!あなた分かってよ。
(神戸・1989・8・11掲載)

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やり通すこと覚えてほしい

2015年07月11日 09時00分45秒 | 文芸
やり通すこと覚えてほしい

 愛犬タローの世話役は6歳の長男。自分から買って出たこともあり、とにかく懸命に務めている。
 怠けたい日もあるはずだが、「ショーちゃん、タローが呼んでるよ」
 とひと声かけると、無言で立ち上がる。今日はやりたくないよーって気持ちが背中に表れていて、何ともいじらしくなる。
 ところで、長男が世話役を申し出た時のタローはまだ子犬でとてもかわいかったが、いまでは長男とどっこいどっこいの大きさになっている。
 おかげで長男は毎日悪戦苦闘だ。散歩なんかでは、ひきずられ、
「かまれた!」
「転んだ!」
 としょっちゅう泣いているが、わたしは知らぬ顔を決め込んでいる。男なら引き受けたことの責任をとるべきだと知ってほしいのである。
「アラ?あの子あんな用意しちゃって」―。
 妻の声で長男に目をやると、なんと彼は手に頃合いの棒切れを持って、散歩のお供である。
「おいおい、そんな棒でたたいたら、かわいそうだぞ」
「だってタローはキバを持ってるもん」
 長男のほおを膨らませての抗議に、わたしと妻は思わず顔を見合わせて噴き出した。
 タローには悪いが、長男は彼なりに頭を使って頑張っている。これも成長だ。いつかタローへの愛情も生まれてくるに違いないのだ。
(神戸・1990・11・13掲載)

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自分の足で歩ける娘に

2015年07月11日 00時03分11秒 | 文芸
自分の足で歩ける娘に

 外出先から帰ると、小学1年生の娘がホッとしたような顔で走り寄って来た。
 何かあったらしいのでよく聞いてみると、学校からの帰り道で変なおじさんから追いかけられたというから驚いた。
 集団下校なので、みんなそろって走って逃げたらしい。
「家についたら布団の中に隠れていたの」
 初めての体験で余程怖かったに違いない。
「ごめんな、お父さん、用事があって出かけていたんだ。でも本当に無事でよかったな」
 わたしはしっかりと娘を抱きしめてやった。学校に連絡を入れとかなくては戸思いながら、変なおじさんだと判断して逃げて来た娘の成長も嬉しかった。
 学校まで30分ほどかかる道を毎日歩いて通う娘たち。確かに保護者が車で送迎してやるのが最も安全だと思うが、、子どもたちが自分の足で歩き、いろんな危険や事故を見分して、自分の判断力や決断力を養わせるのも大事である。いつまでお親がついててやるわけにはいかないのだ。
 危険だらけの世の中。自分で自分を守る最低限の方法を身を持って知ってほしい。勿論、何とか危険に巻き込まれないで成長してほしいと願う親心だ。
(神戸・1990・10・18掲載)

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