こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

アロー

2015年07月14日 21時56分43秒 | Weblog
深夜なにげなくつけたテレビ。画面いっぱいにフードをかぶった偉丈夫がアーチェリーを構えている。胸がドキンと鳴った。それが「アロー」との出会いだった。
海で遭難・漂流して無人島へ、目の前で自決する父……想像を絶する過酷な運命を乗り越えて元の社会に生還した青年。遊び人でどうしようもなかった道楽息子が驚くべき変身を遂げたのだ。
父の最後の願いを実行するために、彼はアローとなった。久しぶりに胸がスカーッとする男のドラマを見たぞ。昔見た怪傑ゾロを思い起こした。
これから先、どうドラマが展開するのか、もう病みつき状態です。ぜひあなたもご覧ください。関西地域で6チャンネルです。
世の中希望のない社会になりつつある。それを打破する庶民の代理人「アロー」に、混沌たる日本の暗雲を思い切り射抜いて貰えないですかね。
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記憶の記事・激励に燃える

2015年07月14日 21時33分30秒 | 記憶の記事
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優しいからこその生き物は嫌い

2015年07月14日 20時43分35秒 | 文芸
優しいからこそ生き物は嫌い

 3月から犬を飼うことにしたが、3家族13人が同居している関係で、全員が賛成なんてわけにはいかなかった。
 中でも最も強硬に反対したのが、おじいちゃんおばあちゃん。昔飼ったこともあるはずなのに、どうしても首を縦に振らない。
「とにかく飼ってしまえば気も変わるさ」
 と、見切り発車で子犬をもらってきたものの、
「ほら、こんなとこへウンチしたよ!」
「足が弱ってるのに、犬がまとわりついて、命がけで歩かなあかん」
「子どもに病気がうつるで」
 と皮肉のオンパレード。
 ところがある日、おじいちゃん、おばあちゃんの真意を知ってしまった。
「ほらお食べ。お前らはかわいいんじゃがのう、病気やなんやかやで死んだりしたら、あんまりにも悲しいさかいにのう」
 誰もいない日中、おばあちゃんとおじいちゃんは目を細めて犬に語りかけていたのだ。優しいからこその反対だったとは……。
(神戸・1990・4・13掲載)

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新米を食べたいなあ

2015年07月14日 19時18分06秒 | 文芸
今は足を洗ったが、2年前までコメ作りをやっていた。あの当時は6人家族。しかも息子が二人。米の消費は驚く方だった。二人が就職して家を出た後は、私以外は女3人。私も高齢者の仲間入り嘘みたいのコメの消費は減った。米を作る意味がなくなったと思い、コメ作りはやめた。それでもシーズンになると、新米が手に入る。昨年も30キロの袋3っつを安く買った。それが、一年たった今でも3袋そのままが残っている。保冷庫に貯蔵しているが、いつ食べられるかわからない。二年前のコメを毎日1カップづつ炊くのが日課。年頃の娘たちは食べる量が茶わん三分の一の量にも満たない。妻はコメを口にしない。(太目を何とかしたいらしいが、無駄だと思う)ぼそぼそご飯を食うのは私ひとり。それもお年寄り?だから、若いころの半分も食えない。そんなわけで二年以上も出番を待つ古米の扱いにあぐねている。味はと聞かれても、それを真剣に味わったことがない。ただ水加減を少し多めにしないといけないから、たぶんまずくなっているんだろうな。とにかく早く使い切ってしまわないと、古米を何年も何年も食べつづけなければならないんだ。捨てるのもったいないし、もうすぐ新米が獲れても、きっと縁がないよなあ。
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便利さの代償に捨てたもの

2015年07月14日 18時51分57秒 | 文芸
便利さの代償に捨てたもの

 所用で渡った家島で、島の人の運転する軽4に同乗させて貰って驚いたのが、車1台が通るのにやっとの狭い道。そこを警戒に走り抜けられるのは、さすが島の住人である。
 そしてさらにびっくりさせられたのが、その狭い道を車同士で鉢合わせしたときの、ごく自然な譲り合い。何とも温かい人と人の関わり合いを、久しぶりに見た思いだった。
 わたしの住む町ではそうはいかない。ちゃんと2車線ある道路でさえ不法駐車の車でふさがれ、残った1車線を双方から突っ込みあい、あわや事故寸前になったりする。とにかく先に突っ込んだ方が勝ちとばかりに、ゆるめなければならないはずのスピードは逆に加速される始末。歩行者や自転車なんか警笛で脅され押しのけられる。もう命がけである。
 不便な道路事情の島に思いやりが見られ、便利この上ない街には、母屋りのカケラすらないなんて、全くやりきれない思いがしてしまう。
 どうやら、人間が豊かさや便利さを得るということは、人間的な優しさや思いやりを捨てることにつながっているのかも知れない。だとすれば、こんな悲しいことはないではないか。
 世界を代表する豊かな国に住むわたしたちは今、人間性の復活を真剣に考える必要があるのでは。
(神戸・1990・8・12掲載)

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ひとりぐらし

2015年07月14日 17時55分57秒 | 文芸
 43年前、職住接近に踏み切る。毎朝6時起き通勤に寝坊の私は遂に悲鳴を上げた。
 さてアパートが見つかるといの一番に買ったのは洗濯機。それも中古を安く譲って貰った。仕事はコック、食事は職場か外食でまかなうので、調理器具は必要なかったし、掃除はほうきとチリ取りの時代だった。
 届いた一槽の洗濯機は輝いていた。自分が手にした初めての電化製品である。設置した日は興奮して眠れなかった。何度も洗濯機を見に行った。消えてしまわないか心配だった。
 初洗濯は一週間後。ためといた洗濯物をいっぺんに放り込んで、水を注ぎ入れ、洗剤をパラパラと散らした。適量が分からないのでかなりいい加減だった。
 ダイヤルスイッチをひねると、「グァーッ!」と水がうねった。洗剤の泡が洗濯槽をあふれんばかりいっぱいになった。「グァー、グァー」とモーター音。泡だらけの水の渦巻きに見入った。いつ止めたらいいのか分からなかった。
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何を犠牲にし働きに出るか

2015年07月14日 08時36分21秒 | 文芸
何を犠牲にし働きに出るか

 商売をやめたため、働きに出はじめた妻。わたしも実家の家業を手伝いながら家事育児を引き受ける形になって、なんとか1年過ぎた。
 その体験から言えることだが、主婦が外に働きに出るのは相当な覚悟が必要だろう。
 家庭と職場を両立させるうえでの困難はあまりにも多い。何かが犠牲になるのは避けられない。
 職場での人間関係を重視すれば、当然家庭の方がおろそかになるのは自明の理だし、もし
 残業でもあれば、まず家事をこなすのは無理。家族の理解と協力を得られない限り、こんな状態が長く続けば、」家庭崩壊は目に見えている。
 妻の場合も、朝6時半には出勤。帰りは早くても夕方7時前後になる。その上、仕事疲れもあって、とても無理を言える状態ではない。
 それでも朝4時頃には起きて洗濯や子どもの弁当の用意と頑張る姿には頭が下がった。
「主婦やもん。やるっきゃないよ」
 これが妻の口癖だが、いやはや主婦ってのは過酷極まる立場にあるんだなというのがわたしの実感。
 最近、少しずつ家事の手抜き、洗濯を何日かまとめてやるとかを実行し始めたので、妻の負担は軽くなったが、その分ストレスは急上昇!私に毒づくことで、何とか処理しているが……!?
 働く主婦には、家族の信頼と理解がなければ、とつくずく考えさせられた。
(神戸・1990・3・20掲載)

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オイにエール

2015年07月14日 04時23分16秒 | 文芸
オイにエールを

 ふれあいの祭典・兵庫演劇祭に、わたしが指導する加西市民劇団『おおきな木』の出演が決まり、11月の本番目指して猛練習に入っている。
 先日、出来上がったパンフを見て驚いた。播磨農高の播州歌舞伎公演のプログラムにオイの名前を発見したからである。
 2年前のおおきな木の旗揚げ公演に参加して舞台に上がるまでは、芝居など見向きもしない若者だったのに、と思うと、ちょっぴり感慨深いものがあった。
 亡き兄はスポーツ派だったが、、わたしのアマ劇団活動を家族の中で最も理解し、暖かく見守っていてくれたのを懐かしく思い出す。その息子が、叔父のわたしの舞台に参加し、いまは学校で歌舞伎だ。兄もさぞ苦笑しているだろう。
 それほど器用ではないが、誠実そのものの
オイだ。同じ演劇祭に参加し、芸を競い合えるのは願ったり叶ったり。頑張れとエールを送りたい。
 顔が見えぬ黒子役を務める本番でのオイの一挙手一投足、しっかりみせてもらい、兄の遺影に、「よくやっていたぞ」と報告したいものだ。
(神戸・1994・9・29掲載)
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TVないと困るのは父親

2015年07月14日 01時16分08秒 | 文芸
TVないと困るのは父親

 妻の友人のところへ、一家総出で出かけた。目的は妻の出産が近づいているので、赤ちゃん用品を借りるためである。
 隣の親の家でテレビを寝転んで見ていたのを駆り出されたわたしは、その番組に未練を残しながらだが、この事情では不満顔をするわけにもいかない。
「いいテレビがあるな」
 部屋に通されると同時に、私の目についたのは、最近流行のワイド画面のやつ。しかし、子どもらはてんで見向きもしない。
 子供向きのビデオが映っているにもかかわらずだから、相手の旦那さんが、
「アレ?見ないの。面白いよ」
 と木を使う。
「この子たち、あまりテレビ見ないから」
 なんて妻は弁解したが、真相はわが家のテレビ、それも白黒だったのが、全く映らなくなったのを、そのままにしておいて長いからである。
 不思議なもので、テレビがないと、子どもたちは本を読んだり、ブロック遊びをしたりで、結構充実した時間を送っている。時には親も子どもにせがまれて彼らの仲間入りをさせられる。
 たぶん、その状態が長く続いたので、テレビなんかより外のことをやる方が楽しいに違いない。
 おかげで、わが家のテレビは手つかず状態。わたしがテレビっ子で、テレビっ子じゃない子どもたち。何か逆になってしまっているが、もう自然に任せた近ごろだ。
(神戸・1988・11・4掲載)
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子どもは叱るより褒めようよ

2015年07月14日 00時13分26秒 | 文芸
子どもは叱るより褒めよう

 学級懇談会の席で、
「過程では子どもにどう接しておられますか?」
 の質問が出ると、お父さんのひとりが、
「わし忙しいて母親任せでっけど、よう怒ってるのを見ますわ。あれ、可哀想でんな」
 と正直な告白(?)。で、みんなドーッと噴き出したものです。でも、どなたも同じらしく、
「よく家で子どもを叱ってると思われる方は?」
 に、ほとんどの父母が手を挙げられました。
 わたしもそのひとりなのですが、
「最近の子どもも大変なんだな」
 と、つくづく同情を覚えたものです。
 私の場合、しかった後は、できる限り優しく抱いて話しかけるようにしていますが、よその親御さんたちがどんなアフターケアをなされているのか知りたいものでした。
 でも小学1年生でこうなのです。叱られるのに慣れっこになってしまうのも仕方ないようです。
 その上、「勉強!勉強!」とやられては、心の成長がおざなりになるのも当然のように思えます。すべては大人の責任です。
 褒めるのが教育とも言われます。まして小学1年生、叱る何倍か褒める必要があるに違いありません。
 心豊かな子どもに育って貰うためにも、褒め方をみんなで考え、実行しなければ。
(神戸・1990・12・19掲載)

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