こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

国の正常運営に税金を利用して

2015年07月19日 21時42分46秒 | 文芸
国の正常運営に税金を利用して

 気の遠くなるような多額の金が動いた政治献金疑惑。
 談合などを助長する形のこの金は、結果的に税金の無駄遣いにつながった。
 いろんなところで徴収されるわたしたちの税金。やはり国の正常な運営に使われてほしい。
 税金は国民の平和な生活維持のために投じられて当然なのだ。
 それが当然に思えない現状……。
 だから、地元の利益や自分の利益しか顧みない人を国会に送りたくない。
 国本位の考え方が出来る候補者選びのためのわたしの一票だ。
(讀賣・1993・7・18掲載)
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食事もおやつも今年こそ手作り

2015年07月19日 20時33分55秒 | 文芸
食事もおやつも今年こそ手作り

 今年は仕事その他を主人にまかせ、子育てに集中する決意です。
 上の二人の子どもの場合は、、仕事に追いまくられてロクロク母乳もやれず、人工乳で育てたためかどちらもよく病気になり、後悔しっ放しです。
 今度ばかりは、、母親の役目をどうしても果たさないと気がすまない。
「オレが頑張るから、できるだけ子どもたちを甘えさせてやれ」
 と主人も理解を示してくれる。
 そんな主人のためにも、今年からいい母親にならなくてはと、何度も言い聞かせて新年を迎えたのです。
 おやつも食事も今年は絶対に手作り、寝る前に絵本を読んだり、お話をします。
 赤ちゃんのおムツに紙オムツは使わない!ちょっと誓いが多すぎるかな…。
(産経・1989・1・4掲載)

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投票所の空気もっと明るく

2015年07月19日 19時26分57秒 | 文芸
投票所の空気もっと明るく

 先日、知事選挙の投票に行ったが、あの立会人に見守られる中での投票は、いつもながら気分のいいものではない。何か悪いことをしているような気にさせられてしまう。
 わたしでさえそう感じているのだから、若い有権者たちにはなおさら歓迎されにくいのではないか。
 そうだとすれば、近年の記録的な投票率低下の一因に投票所のあの異様なムードも挙げられてしかるべきだろう。
 確かに投票時の不正を防ぐためには、現状の形式が理想的なのかも知れないが、それが有権者の投票意欲を鈍らせているとすれば考え物だ。放っておいていい問題ではない。
 投票率の低下を若者の政治参加意識のなさとか、社会構造の変化とか安易に理由付けする前に、こういった投票方式の再考も時代の要請として真剣に受け止めるべきだろう。
 コンピューター時代にふさわしい投票方式への移行が投票率を上げ、若者たちの政治意識を育てる早道になるかもしれない。
(神戸・1994・11・7掲載)

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親子で徒歩通園を

2015年07月19日 18時16分55秒 | 文芸
親子で徒歩通園を
 
 今年から末っ子が幼稚園に通い始める。それをきっかけに新たな誓いを固めている。
 家から幼稚園までは歩いて40分の距離だ。夫の子供時代は、幼稚園に隣接している小学校へ徒歩で通ったという。上の二人は車での送迎を余儀なくされた。どこの親もそうらしく、園の前の狭い道は、終園時間になる前からずらりと車が並んでいた。
 それを今年は末っ子の手を引いて徒歩通園を実行しようと思う。
 夫も賛成で、全面的に協力の姿勢だ。
 二番目の子どもの時に、一度挑戦したものの、寒さや面倒くささに負け、3ヶ月で挫折した。
 同じ轍を踏むぐらいなら、最初からしない方がまし。だから相当な覚悟を決め、計画を練っている。
 健康と親子のきずな作りに有効なのは、一度目の体験でいい感触を得ている。車社会に背を向けた挑戦ではあるが、必ず成功させたいと思う。
(讀賣・1994・1・1掲載)

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菜の花

2015年07月19日 09時55分28秒 | 文芸
菜の花料理食べ子供時代を思う

 朝早くに田舎の父が、
「ほら、春の味や。料理して食べろ」
 と、いっぱい菜の花を積んで来てくれた。
 ところが、さて調理の段になって、菜の花を手にひと思案した。夫婦そろってお互いに菜の花を食べたことが無い殻、調理法に見当がつかないのである。
「まずアク抜くのね」
「ワラビと一緒だろ」
「でも灰がないし」
「油で揚げたらどうだ。精進料理の天麩羅みたいに」
 ケンケンガクガクの末に、料理書を引っ張り出してみたりしたが、結局父に電話で訊いてみた。
「う~ん?わしもよう知らんけど、そうやな、まず湯がいて水にさらしたらどうだ」
 案に相違して自信なさそうな口ぶり。それでも、野菜づくりに長年親しんできた父の言葉だからと、早速実行した。
 しばらく冷水にさらした菜の花を、おひたしと胡麻和えにした。結構いける味である。ちょっぴり残る苦味も、春の味わいと考えれば気にならない。
「菜の花が、こんなふうに食べられるなんて知らなかったわ。これが本当の季節の味…旬の味なんだね」
 都会育ちの妻は、はしゃぎながら食べている。
「オレも知らなかったなあ…」
 言いかけて、ハッと気づいた。
 知らなかったわけじゃない、忘れていたのだ。
 口の中に広がる自然の味わいが、懐かしく子供時代を思い出させてくれた。
 タンポポ、ツクシ…いろんなものを口にしたっけ。そう菜の花も……!
(産経・1988・4・14掲載)

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ゴミ戦争

2015年07月19日 09時11分16秒 | 文芸
ゴミ戦争で生活の見直しを

 週初めの朝、1週間分の家庭ごみを地区の収集場所まで運ぶのがわたしの役目。
 そこで日曜夜にごみの分別をして置くことになるが、いつも気になるビニール袋やパックケースの多さ。スーパーで買い物をすると、必ず付いて来る便利この上ない容器類である。
 しかし、捨てる段になると、処理に頭を悩ませられる陽気なのも確か。燃やすにしても、化学製品だけに何とも不気味。捨てるのもカサが張って仕方がない。
 ふっと昔を思い出す。買物には風呂敷とか買い物かごをを必ず携帯した。商品もあまり放送に重きを置いていなかった気がする。
 味もそっけもない粗雑な紙袋をバリッと開いて、裸の商品を放り込んだ。それで何の不自由もなかったはず。家庭ごみもそう目立って多く出なかった記憶がある。
 いまや日本はゴミ戦争と称せられるほどあらゆるごみが氾濫して、その処置に頭を悩ませているのが現状。何とも不便な話である。
 利便性、合理性を追求して生まれたものが、結果的に邪魔者になるこの矛盾。
 人間って元来楽天的な動物だから、さほど気にしていないようだが、本当にそれでいいのだろうか。
 地球環境の悪化急変が叫ばれている今、わたしたち一人ひとりが生活を見直し、便利さの陰に潜んでいる恐怖を直視することで反省をしなければ!?
(神戸・1989・11・30掲載)

 

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いのちを軽視する映画界

2015年07月19日 01時36分33秒 | 文芸
いのちを軽視する映画界の姿勢

 ロケーション中、真剣による事故で入院していた俳優が亡くなると言う悲報。
 遺された家族は悲痛の思いであることは想像に難くない。だのに、監督主演の有名スターが、
「故人の意に報いるためにも撮影を続け、立派な作品にしたい」
 と記者会見した。何とも非常識極まりない話である。
 一般社会で、もし業務上過失致死事件となれば、何もかも自粛するのが通念であろう。それが映画界は、そのスターは特別なんだと言いたげな姿勢を見逃すわけにはいくまい。
 もちろん、映画制作のための費用やスタッフのことを考慮する必要はある。しかし、最優先されるべきは、故人への哀悼であり、家族への謝罪と罪滅ぼしに、社会的に罪を償うことであろう。
 人間のいのちの重さは金で換算されるほどチッポケなものではない。このまま撮影を強行続行するなら、社会に与える悪影響は計り知れないものがある。単なる映画界のアクシゼントとは違うのだ。
 昨今は、社会全体が人間よりも金や物の方に価値を見いだすと言う悪い風潮に流れている。
 今度の事件に対する関係者の態度に、なんらけじめが見られないのも、その線上と考えていいだろう。警察や検察の犯罪としてのしっかりした取り組みを望むとともに、関係者の強い自省を願いたい。
(朝日・1989・1・19掲載)
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気取らないで飲めるぞ!

2015年07月19日 00時03分30秒 | 文芸
気取らないで飲めるぞ

 なんといっても日本酒が最高である。日本人の体質にあってるし、何よりも気取らなくて飲めるところが好きだ。
 よく「無礼講」で飲もうやなんてやるが、ブランデーやウイスキーではサマにならない。もちろん、ビールもあるが、あれは洋酒と言うより、すでに日本が誇る大人の清涼飲料水になっているから論外だろう。
 それに日本酒は、夏によく飲まれるビールと違い、一年中通用する。熱燗、人肌、冷やな…など、これだけいろんな飲まれ方をする酒は、たぶん洋酒にないはずである。日本酒のこの応用性は、たぶん洋酒にないはずである。日本酒のこの多様な応用性は、庶民の酒といっても過言じゃない。
 しかし、その日本酒が、どうも日本の若者たちに人気がないらしい。特有な匂い(におい)があるのも嫌われる一因であろう。
 だが一番の理由は、やはりそのファッション性のなさではないかと思う。伝統を売り物にしても、若者をふり返させる魅力には成り得ない。
 といって、最近見られる日本酒の若者向け戦略は苦々しい限りだ。ネーミングに容器の形と、軽い世代に合わせようと躍起になっているではないか。
 これでは本当に日本酒を愛飲する層への冒涜(ぼうとく)である。まずは美味い中身の充実に、より力を注いでほしい。
 忘年会シーズンがやって来た。思う存分に酒が楽しめる季節である。屋台でおでんを肴に熱燗でキュッとやるなんて、想像するだけでこたえられない。洋酒じゃこうはいかない。
 パーティ会場でシャンパンの乾杯、ワインの香りや味を愉しみながらスマートな会話。とてもじゃないが、わたしのガラじゃない。誘われても出来たら御免だ。
 バンカ気分で飲める日本酒。これこそ日本人の酒である。日本酒よ永遠であれ!
(讀賣・1988・12・17掲載)

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