若い頃、地方の書店に就職した。店頭販売の担当に回された。ただ月に数回、外回りもしなければならなかった。婦人誌の新年号や新一年生の学習雑誌の発売にむけて、予約注文を獲得するために、連日飛び込みの戸別訪問に駆け巡った。ほかに百科事典や学習用教材ラボの売り込みといろいろあった。それらを販売するために懸命に回った。
外販の地区別担当者Tさんがいた。Tさんの指導を得て効率よく回った。さすが外回り十三年、ベテランの助言は適格だった。
「いいか、本を売りつけようと思うたら絶対あかん。お客さんに、その本の必要性を理解して貰うんが、僕らの役目や。だから、二度三度、無駄と判っていても足を運ぶ。お客さんが僕らの顔を覚え、僕らの心の中にある真摯な思いを感じて頂けるまで。そこからや、本を具体的に薦めるのは」
Tさんの意見に間違いはなかった。むしろわたしの販売に対する考え方と共通していた。
「まずボクのお得意さんのとこを回ってみたらいい。手慣らしのつもりでな」
Tさんのお得意さんは、誠実な彼の性格に似あう思いやりを持ったタイプの人が多かった。
「こんにちは。○○書店ですが、お時間よろしいでしょうか?」
「ああ、○○さんかい。今日はTさんと違うんやな」
「はい。紹介して貰って、今日は私が来させて頂きました」
「あの人の紹介やったら、間違いないわ。まあ入って話を聞かせて貰おか」
てな具合で、彼の仁徳はお得意さんの間には見事に浸透していた。
後はわたしの勝負だった。
世間話をする。といっても高校を出てすぐ就職した私に手持ちの話題は少ない。
「自分の方に話すことが思い当たらなかったら、お客さんに話してもうたらええ。聞き上手になるこっちゃ」
Tさんの教えだった。それにしたがって、「はいはい」とお客さんの話を引き出した。最初は冷や汗ものだった。世間慣れしていないと、聞き役に徹するのも、かなり大変だ。
それでも、相手の話に耳を傾けていると、不思議とお客さんの思いや希望が分かった。
「…実は、今回、学研からこども向けの百科事典が販売されることになったんですよ」
おかげでスラーッと切りだせた。
「へえ、こども百科ね。うちの子にも読めるやろか?」
そうなると、後はわたしの説明次第となる。もちろん売るべき商品の詳細はとことん勉強している。メリットもデメリットも隠すことなくお客さんの前に披露した。そして、お客さんの判断をじっくりと待つ。その間もお客さんとの雑談は続いている。カウンセラーでもあり友達のような感覚が生まれていた。
「ご注文有難うございました。さっそくお届けに上がらせて頂きます。また詳しいお話は、その時させて貰いますので。本当に今日は有難うございました。貴重なお話、大変勉強になりました」
言葉に嘘はない。情報に生活の知恵…いろいろ学ばせて貰った。
「おい、一セット売れたそうやな?」
「はい、おかげさまで」
「お客さん喜んでたで。素直で気配りの出来る若い店員さんやった言うてはったわ」
Tさんの報告に私は素直に嬉しさを噛みしめた。
その体験はわたしに訪問販売の何たるかを教えてくれた。その魅力も。外回りなら任せとけって感じのTさんのおかげだった。
「御免下さい。□□書店ですが」
玄関口に立ったのは、馴染みの顔だった。笑顔の絶えない年配者である。二百メートルほど車を走らせた町にある書店で外回りの店員だった。三年前から月刊誌の配達を頼んでいるが、配達がなくてもちょくちょく顔をみせてくれる。他愛もない世間話をして、「それじゃまた寄らして貰います」と帰っていく。
高齢者の仲間入りをしているわたしには、彼の突然の訪問が妙に待ち遠しくてならない。時々、彼が置いて行くチラシやパンフレットに目を通す。新しい情報がスマートなレイアウトでまとめてある。滅多に出歩かなくなったわたしには新鮮な刺激を与えてくれる格好のものだ。
「もしもし。○×の齋藤ですが、こちらを回ってはるSさん、お願いします」
「はい、Sです。いつも当書店のご利用ありがとうございます」
律儀な声に聞き覚えがある。ホッとする。
「日本浮世絵体系のパンフ見たんやけど、ちょっと説明によって貰えるかな」
「はい!すぐ伺わせて頂きます。いつも有難うございます」
Sさんの対応に、自分の昔の姿がダブった。
外販の地区別担当者Tさんがいた。Tさんの指導を得て効率よく回った。さすが外回り十三年、ベテランの助言は適格だった。
「いいか、本を売りつけようと思うたら絶対あかん。お客さんに、その本の必要性を理解して貰うんが、僕らの役目や。だから、二度三度、無駄と判っていても足を運ぶ。お客さんが僕らの顔を覚え、僕らの心の中にある真摯な思いを感じて頂けるまで。そこからや、本を具体的に薦めるのは」
Tさんの意見に間違いはなかった。むしろわたしの販売に対する考え方と共通していた。
「まずボクのお得意さんのとこを回ってみたらいい。手慣らしのつもりでな」
Tさんのお得意さんは、誠実な彼の性格に似あう思いやりを持ったタイプの人が多かった。
「こんにちは。○○書店ですが、お時間よろしいでしょうか?」
「ああ、○○さんかい。今日はTさんと違うんやな」
「はい。紹介して貰って、今日は私が来させて頂きました」
「あの人の紹介やったら、間違いないわ。まあ入って話を聞かせて貰おか」
てな具合で、彼の仁徳はお得意さんの間には見事に浸透していた。
後はわたしの勝負だった。
世間話をする。といっても高校を出てすぐ就職した私に手持ちの話題は少ない。
「自分の方に話すことが思い当たらなかったら、お客さんに話してもうたらええ。聞き上手になるこっちゃ」
Tさんの教えだった。それにしたがって、「はいはい」とお客さんの話を引き出した。最初は冷や汗ものだった。世間慣れしていないと、聞き役に徹するのも、かなり大変だ。
それでも、相手の話に耳を傾けていると、不思議とお客さんの思いや希望が分かった。
「…実は、今回、学研からこども向けの百科事典が販売されることになったんですよ」
おかげでスラーッと切りだせた。
「へえ、こども百科ね。うちの子にも読めるやろか?」
そうなると、後はわたしの説明次第となる。もちろん売るべき商品の詳細はとことん勉強している。メリットもデメリットも隠すことなくお客さんの前に披露した。そして、お客さんの判断をじっくりと待つ。その間もお客さんとの雑談は続いている。カウンセラーでもあり友達のような感覚が生まれていた。
「ご注文有難うございました。さっそくお届けに上がらせて頂きます。また詳しいお話は、その時させて貰いますので。本当に今日は有難うございました。貴重なお話、大変勉強になりました」
言葉に嘘はない。情報に生活の知恵…いろいろ学ばせて貰った。
「おい、一セット売れたそうやな?」
「はい、おかげさまで」
「お客さん喜んでたで。素直で気配りの出来る若い店員さんやった言うてはったわ」
Tさんの報告に私は素直に嬉しさを噛みしめた。
その体験はわたしに訪問販売の何たるかを教えてくれた。その魅力も。外回りなら任せとけって感じのTさんのおかげだった。
「御免下さい。□□書店ですが」
玄関口に立ったのは、馴染みの顔だった。笑顔の絶えない年配者である。二百メートルほど車を走らせた町にある書店で外回りの店員だった。三年前から月刊誌の配達を頼んでいるが、配達がなくてもちょくちょく顔をみせてくれる。他愛もない世間話をして、「それじゃまた寄らして貰います」と帰っていく。
高齢者の仲間入りをしているわたしには、彼の突然の訪問が妙に待ち遠しくてならない。時々、彼が置いて行くチラシやパンフレットに目を通す。新しい情報がスマートなレイアウトでまとめてある。滅多に出歩かなくなったわたしには新鮮な刺激を与えてくれる格好のものだ。
「もしもし。○×の齋藤ですが、こちらを回ってはるSさん、お願いします」
「はい、Sです。いつも当書店のご利用ありがとうございます」
律儀な声に聞き覚えがある。ホッとする。
「日本浮世絵体系のパンフ見たんやけど、ちょっと説明によって貰えるかな」
「はい!すぐ伺わせて頂きます。いつも有難うございます」
Sさんの対応に、自分の昔の姿がダブった。