難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

権利条約の実現には障害者自身の理論武装が必要

2007年11月20日 14時34分47秒 | 権利
071113_1228~001.jpg障害者権利条約の実現には、社会の理解と障害者自身の「理論武装」が必要になる。
理論武装とは、自らの権利を自覚することだ、自分の人間としての価値に自信を持つことだ。

千葉県の障害者差別をなくすための条例が2007年7月から施行された。この条例の成立過程を学びたい。

ラビット 記
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【千葉の差別をなくす条令:21日夜のNHK教育テレビ】
共に生きる街を ~日本初!障害者差別をなくす条例~
11月21日(水)20:00~20:29
/(再放送)28日(水)13:20~13:49
http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/info/0711/71121.html

昨年10月、千葉県で日本初の「障害者差別をなくすための条例」が成立し、今年の7月から施行されました。以下は上記のNHKのサイトからの抜粋です。
「条例ができるまでの過程は、う余曲折の連続だった。まず29人の市民が参加してたたき台を作ったが、何が差別か、どうすれば差別をなくせるかを巡って
1年間の激論を交わした。県議会でも多くの反対にあい、何度も廃案の危機にさらされた。条例誕生までの過程と、施行から4か月の現状を見つめ、条例の意
義を探る」

条令成立までの時々刻々は、「えにし」のHP、http://www.yuki-enishi.com/ 「千葉ちいき発」をご覧ください。
気の短い方は、以下をクリックしてください。
http://www.yuki-enishi.com/chiba/chiba-00.html





人工内耳に積極的な意味を見いだす過程(2)

2007年11月20日 04時23分24秒 | 人工内耳
071118_1602~001.jpg071113_1306~001.jpg人工内耳で何を改善するのか 積極的な意味を見いだす過程
http://blogs.dion.ne.jp/rabit/archives/6072406.html

この記事を書いてからちょうど3ヶ月経過した今日は11月19日。
上記の記事の質問の結果を記しておこう。

1)裸耳の聴力検査の意味は余りないのではという指摘は理解され、その後補聴器を両方装用した場合、片方ずつ装用した場合の試験を純音の他、単語、文章
等何度も検査を行った。
その過程で、左耳の語音弁別率が文章で46%であること、両耳補聴器装用で4000Hz域がほとんど聞こえていないことなどが分かった。

2)100dB以上の聴力損失のある場合の補聴器の限界があること、聴力が低下しつつあること、片方を人工内耳にすることで今補聴器をしている右耳の負担を減らすことが出来るという説明があった。

3)ABRの検査の結果は、聴神経が反応しているということだった。医師の説明でも簡単で、余り重きを置いていないようだった。

4)人工内耳と補聴器の両耳で補聴することは今は世界的な趨勢とのことだ。ただ、リハビリテーションの方法についてはまだ模索状態とのこと。
人工内耳の調整をまず行い、これがある程度落ち着いてから、右耳の補聴器の更新、調整を検討する方針と聞いた。

5)人工内耳により、改善を一番希望するのは、数人から10人程度会議や騒音化での会話、様々な会話のシーンだ。
新しい人工内耳の機種でもあり、自分のような難聴者に対するマッピングは初めてでこれからの調整になる。当事者の自分の意欲が鍵になるとのことだ。

以上を了解して、人工内耳の埋め込み手術に至った訳だが、これらの説明を受けるには、難聴者側に聴覚と言葉の認識に対する一定の知識が必要だ。さらに難聴者のアイデンティティの確立を考えるならば、ろう者とろう文化の理解も必要だ。

これらを誰からどのようにどれだけ受けるべきかについては、難聴者の生活と文化様式に対する考えがまちまちであるので、いろいろなプログラムが検討されるべきだろう。
ただ、患者に対する説明の責任は医師とSTが持っている。


難聴者組織でも、人工内耳装用者が増えていること、全ての障害者の権利を守る障害者権利条約を政府が承認したので、様々な角度からの考察が必要な時期に来ていることは間違いない。

まだ音を入れていないので、その後の考えについては何も言えない。


ラビット 記




障害者権利条約の「コミュニケーション」の定義の背景など  

2007年11月20日 03時25分40秒 | 権利

会議のPC要約筆記2 =?US-ASCII?B?LkpQRw==?=国連障害者の権利条約の政府署名がなされ、間もなく国連総会で採択されて1年になる今、権利条約の内容とその批准が注目されている。

この権利条約の案となったのがメキシコ政府のといわゆるバンコク条約草案だ。
このバンコク条約草案は、2003年10月14日から17日、タイのバンコクで開催されたESCAPの地域ワークショップで検討されたものだ。
全日本ろうあ連盟の国連障害者条約の関連資料のサイトに詳しい。
http://www.jfd.or.jp/intdoc/unconv/

「障害者の権利及び尊厳の保護及び促進に関する総合的かつ包括的な国際条約」に向けての地域ワークショップ
2003年10月14日~17日、タイ、バンコク
バンコク草案:障害者の権利及び尊厳の保護及び促進に関する
総合的かつ包括的な国際条約に提案する項目
http://www.jfd.or.jp/int/unconv/escap-conv2003a-bkconvdraft-j.html

このバンコク草案を見ると、現在の障害者の権利条約のたたき台になっていることが分かる。
第2条のコミュニケーションの定義が含まれている。その他、アクセシビリティとか障害、差別、言語などの定義がある。

コミュニケーションの定義は以下のようになっていた。
コミュニケーション (Communication) 
「コミュニケーション」方法には、音声によるコミュニケーション、手話によるコミュニケーション、指点字、点字、拡大文字、オーディオ、アクセシブル・マルチメディア、人による朗読支援、アクセシブルな情報通信技術を含むその他補完的あるいは代替的コミュニケーション方法が含まれる。
(引用:全日本ろうあ連盟の国連障害者権利条約関連資料サイトより)

2003年の条約案の時点で、全難聴が全力を傾注して、明記された文字の表記、文字通訳はない。

全難聴はこの会議のあることは、日本障害者リハビリテーション協会の河村宏氏からの参加を呼びかけられたことで知っていたが、当時は要約筆記奉仕員カリキュラムが出て、テキスト作成事業や字幕放送拡充の運動に傾注していたこともあり、参加の余裕がなかった。
世界ろう連は、当初から手話とろう教育等に何度も声明を発表しており、ろう者の権利を強くアピールしていた。
幾つかのヨーロッパの難聴者組織は取り組んでいたかも知れないが、国際難聴者連盟は、国際会議でADAの報告はあってもこの権利条約に組織としてはまだ関わっていなかった。関わるようになったのは国際障害同盟IDAに加盟した2005年からだろう。

全難聴と国際難聴者連盟が関わるようになったのは、2004年のフィンランド国際会議の後である2005年の第6回アドホック委員会からである。
第5回アドホック委員会に参加した我々は条約案にどう取り組むか分からないことばかりだったが、何としても難聴者、中途失聴者に関わるニーズを盛り込もうと意欲に燃えていた。
2004年10月に厚生労働省がグランドデザイン案を打ち出し、これに対する難聴者、中途失聴者のニーズを「4つのニーズ」としてまとめていたこと、パソコン要約筆記の普及の中で、要約筆記通訳者制度の確立のための事業に取り組み始めていたこと、情報通信のアクセシビリティのJIS化などに取り組んでいたことも背景にある。


ラビット 記