
国連障害者の権利条約の政府署名がなされ、間もなく国連総会で採択されて1年になる今、権利条約の内容とその批准が注目されている。
この権利条約の案となったのがメキシコ政府のといわゆるバンコク条約草案だ。
このバンコク条約草案は、2003年10月14日から17日、タイのバンコクで開催されたESCAPの地域ワークショップで検討されたものだ。
全日本ろうあ連盟の国連障害者条約の関連資料のサイトに詳しい。
http://www.jfd.or.jp/intdoc/unconv/
「障害者の権利及び尊厳の保護及び促進に関する総合的かつ包括的な国際条約」に向けての地域ワークショップ
2003年10月14日~17日、タイ、バンコク
バンコク草案:障害者の権利及び尊厳の保護及び促進に関する
総合的かつ包括的な国際条約に提案する項目
http://www.jfd.or.jp/int/unconv/escap-conv2003a-bkconvdraft-j.html
このバンコク草案を見ると、現在の障害者の権利条約のたたき台になっていることが分かる。
第2条のコミュニケーションの定義が含まれている。その他、アクセシビリティとか障害、差別、言語などの定義がある。
コミュニケーションの定義は以下のようになっていた。
コミュニケーション (Communication)
「コミュニケーション」方法には、音声によるコミュニケーション、手話によるコミュニケーション、指点字、点字、拡大文字、オーディオ、アクセシブル・マルチメディア、人による朗読支援、アクセシブルな情報通信技術を含むその他補完的あるいは代替的コミュニケーション方法が含まれる。
(引用:全日本ろうあ連盟の国連障害者権利条約関連資料サイトより)
2003年の条約案の時点で、全難聴が全力を傾注して、明記された文字の表記、文字通訳はない。
全難聴はこの会議のあることは、日本障害者リハビリテーション協会の河村宏氏からの参加を呼びかけられたことで知っていたが、当時は要約筆記奉仕員カリキュラムが出て、テキスト作成事業や字幕放送拡充の運動に傾注していたこともあり、参加の余裕がなかった。
世界ろう連は、当初から手話とろう教育等に何度も声明を発表しており、ろう者の権利を強くアピールしていた。
幾つかのヨーロッパの難聴者組織は取り組んでいたかも知れないが、国際難聴者連盟は、国際会議でADAの報告はあってもこの権利条約に組織としてはまだ関わっていなかった。関わるようになったのは国際障害同盟IDAに加盟した2005年からだろう。
全難聴と国際難聴者連盟が関わるようになったのは、2004年のフィンランド国際会議の後である2005年の第6回アドホック委員会からである。
第5回アドホック委員会に参加した我々は条約案にどう取り組むか分からないことばかりだったが、何としても難聴者、中途失聴者に関わるニーズを盛り込もうと意欲に燃えていた。
2004年10月に厚生労働省がグランドデザイン案を打ち出し、これに対する難聴者、中途失聴者のニーズを「4つのニーズ」としてまとめていたこと、パソコン要約筆記の普及の中で、要約筆記通訳者制度の確立のための事業に取り組み始めていたこと、情報通信のアクセシビリティのJIS化などに取り組んでいたことも背景にある。
ラビット 記