難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

「目前に字幕?」文字浮かぶコンタクトレンズ

2008年01月20日 17時10分09秒 | 機器について
080120_1657~001.jpg080120_1700~001.jpgFujisankeiBusiness1月20日のトップページに「映像や文字浮かぶコンタクトレンズ」という記事が載っていた。

まだウサギの目に装着しただけだが、メガネ型のモニターディスプレイが聴覚障害者の情報保障の利用可能性について、脚光を浴びたばかりだ。
http://blogs.dion.ne.jp/rabit/archives/5944827.html


ラビット 記



「言葉を追うな、意味を追え。」 人工内耳と要約筆記 

2008年01月20日 16時22分32秒 | 要約筆記事業
080120_0837~002.jpg080120_0837~001.jpg右の補聴器と左の人工内耳ともTモードにして聞くと良く聞こえる。話し手の話し方もうまいが話がそのまま頭に書ける。
聞き取った言葉がタイプされて並んでいく。
「情報の過多の例を考えた時に最初に頭に浮かんだのがこのスリーマイル島の原発事故の例だったんですね。」

タイプでカナ漢字混じり文で、タタタと打ち出されて行くのはテレビや映画のシーンのようだ。


頭に浮かぶが、並んでいく時はその意味まで理解に至っていない気がする。
なんで理解出来ていないのか、考えたい。
乳幼児からの難聴で、14歳から補聴器を装用し始め、成人になり、20代、30代は職場では出来ないにしても難聴者の集まる場では、補聴器や磁気ループ、指向性マイクも使って聞き取れていたはず。40代後半から補聴器での聞き取りの力が低下していた。

聞き取りにくい耳で、端ばししか聞こえない言葉をなんだろうなんだろうと思いながら聞いているが、頭に言葉が並ぶというのは、その聞き取れていない虫食い状態の話が埋まって「聞こえている」かのようだ。

その聞こえた言葉の意味を考え、「成程。それなら今は事故対策はどうなっているのか」、「事故と言えば新潟の柏崎原発も危なかったな」とか、聞いて思考する作業が弱い。 

なぜ弱いのか。話を聞いて、それが自然に頭の中にイメージなり概念を構築することが出来ていないのかも知れない。

聞く機会、聞く時間が足りないのかも知れない。普通は小学校から高校、大学の授業、講義とかなりの時間を人の話を聞いて成長する。
知識として脳内に蓄積される他、音声データとしても大量に蓄積されるのだろう。
聞くことで、言語を獲得し、コミュニケーションと行動体験とともに成長する。人格が形成される。

乳幼児からの難聴の場合。聴者に比べてこの蓄積が知識も音声データとも圧倒的に少ない。
だから聞こえた言葉の音をカナ漢字混じり文に並べる(類推)ので精一杯なのではないか。


人工内耳で聞こえたオンは何の音かも最初は言葉かも分からない。聞こえたピーピーガーガーが時間とともに段々言葉に聞こえてくる。
しかし、人工内耳は補聴器で言葉を並べる上で良い効果がある。言葉の輪郭が明瞭になるからだ。


聞くのをあきらめ、文字で話を聞くようになって、話されたことが文字になったものを読んで、内容を理解するのはまた疲れることがわかった。
そこから、見てすぐ分かる要約筆記の必要性が生まれる。

「言葉を追うな、意味を追え。」というのは名古屋の登録要約筆者の会が通訳としての要約筆記を際履修する講座のテキストの中のフレーズだ。
話された言葉をそのまま文字化するのではなく、理解しやすいように、言葉を再構築する。そのために意味をとらえることが重要ということだ。
要約筆記が通訳である理由だ。


実際に頭に言葉がならんでも理解しにくいならと要約筆記を見ると分かるということが何度もあった。
人工内耳を装用するということは頭に音声データを今からでも蓄積したいということがある。


ラビット 記
写真は東大の側のお宮。「医王山」とある。





光る点字ブロック 見える人にも便利

2008年01月20日 09時44分20秒 | バリアフリー
080119_2049~001.jpg080119_1921~002.jpg昨日の講座の帰りにライトの付く点字ブロックがあった。
講座のあった大学には視覚障害者の学ぶ学科があるのだ。
点字ブロックに頼らない視覚障害者が夜遅くなって出入りするためかと思うが私たちが利用する際にも見易い。


講座は、全難聴の要約筆記指導者養成講習会の通訳課程後期のことだ。
難聴者も15人くらい参加し、要約筆記をはさんで指導案をグループ討議しながら作成していた。


ラビット 記