難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

秋深し、隣は何する人ぞ。 難聴者の社会福祉学習

2010年10月19日 22時06分36秒 | 日記(つぶやき)
勤務が終わると会議がなければ駅前のマクドナルドへ行く。閉店になるとスーパーのフリースペースに行く。

今晩はドトールにした。
テキストを広げてノートを取るが、気が付けば右隣の人はTOEICの受験らしく英語の勉強。左二つ隣の人も厚いテキストを開いてノートに余念がない。

介護の学習は幅が広い。記憶しなければならない科目と理解しなければならない科目がある。医学概論、高齢者介護など今記憶を中心にしてその後心理学、社会福祉概論など。
初めはノートを取っていたがペースが間に合わない。マーカーで線を引く方法に変えたが果たして大丈夫か?


ラビット 記

手話通訳者団体と社会福祉

2010年10月19日 20時48分08秒 | 福祉サービス
支援費制度がスタートした2000年の2年後、2002年に手話通訳士協会は厚労省担当者を招いて、支援費の学習会を開いている。

その時の厚労省の説明は、支援費制度だけでは聴覚障害を持つ支援費サービス利用者はコミュニケーションが出来ないとサービスが受けられないので手話通訳のサービスを使うことになると言うことだった。
学習会では、社会参加促進事業の手話通訳派遣事業を支援費制度の給付に使うことが妥当なのかという疑問も出されて、他のサービスが有償化されるのに通訳サービスが無償であることの理論補強も指摘されていた。

要約筆記者が社会福祉を目的とする事業に従事するという認識は、2000年の社会福祉事業法などが改訂された社会福祉基礎構造改革の頃はなかった。

このことに対する集団的な検討と理解は、2004年の全難聴の要約筆記通訳者制度のあり方に取り組んだ時まで待たねばならない。

要約筆記者が社会福祉を学ぶ必要があることは、社会福祉を学ばなければ気付かない。


ラビット 記

乳児期からの失聴が人格形成になぜ影響を与えるか(2)

2010年10月19日 20時47分51秒 | エンパワメント
本考察は、メモとしておく。

【展開】
学童期は、図書館の本を借りまくって読んでいた。中学校の図書館には「言語生活」があり、ちまたの言葉のエピソードが載っていて、むさぼるように読んだ。

漢字や熟語の読みは正しいとは言えない。記号のように視覚的シンボルだったのかもしれない。
高校受験時の音楽の試験に出る楽譜は音符のパターンで曲を覚えた。音はイメージできないからだ。

「トム・ソーヤの大冒険」、「ドゥリットル先生と愉快な仲間たち」、「シャーロックホームズの冒険」、「海底8万マイル」、「地底大旅行」、「24の瞳」、「千夜一夜物語」(大人向け)、国民大百科事典(平凡社)、「南総里見八犬伝」・・・
タイトルは定かでないのもあるがわくわく、どきどきはらはらは覚えている。

【結論】
本から得た言葉は書記言語であり、会話文であっても声の抑揚も調子もない。生の会話で得られる脳への刺激とは違ったものだろう。

家庭や学校、地域の中で音声によるコミュニケーションがほとんど成立していなかった期間が長いと、自己洞察力、自己表現力、寛容性、忍耐力、その他の能力が十分に身につかず、人格形成が歪んだ。


ラビット 記

乳児期からの失聴が人格形成になぜ影響を与えるか(1)

2010年10月19日 20時47分28秒 | エンパワメント
【命題】
乳幼児期から感音性難聴でしかも進行性で、親、家族、教師、学友の声が聞こえないまま学童期、青年期を過ごしてきた。
このことは、人格形成に大きな影響を与えるという。

【推理】
なぜか。
人との会話は、相手との人間関係も含めて、豊かな内容を持つので、その有無や量、質ともに人格形成に大きな影響を与える。

この時期に生きた会話が脳にインプットされていなかったということは言葉や知識の蓄積もさることながら、感情や感性の発達、思考の訓練が出来ていなかったことになる。

言葉を受け取った時に、そのメッセージは意味の伝達だから、メッセージの意味理解を通じて、自身の中に思考が生じる。
自身の中に新たな理解や知識が追加されることで脳細胞は興奮する。喜怒哀楽につながる。

【検証】
乳児期に高熱が元で難聴になり、学童期にタ行、サ行の発音が不明瞭だったということはその頃までも難聴だったことが伺われる。これは感音性の難聴だ。

親や兄弟の語りかけもほとんど理解できていなかったのではないか。補聴器をしていた時でも隣で交わされている会話が分からないということは、聴力が今より良かったとしても感音性の難聴であれば虫食い状態にしか聞こえていなかったはずだ。

確かに親や兄弟、親戚、教師、学友の顔は思い浮かべても声や言葉がまるで浮かばない。
いわゆる心に響く言葉を聞いた記憶がない、人に何か言われて怒ったり、喜んだりした経験はほとんどない。
(続く)


ラビット 記