「学力低下論争の背景にあるもの」
昨今の学力低下論争は、「ゆとり教育」を標榜する新しい学習指導要領に対して、「大学生の理数能力の低下」「大学受験での学力低下」「社会階層による学力2極分化」という3つの視点から挙げられた反対から始まった(市川伸一)。
いずれも、三者三様のデータに基づいた主張なだけに、それになりに説得力はあるが、不幸なことに、それが「論争」になっていまうのは、いくつかの理由がある。
最大の理由は、学力の定義が異なるからである。読み書きそろばん能力を最右翼とすれば、最左翼には問題解決能力がある。どのあたりを学力の定義に採用するかで、低下か否かが分かれる。
学力の定義が異なれば、学力を計測する検査問題も異なってくる。みずからの主張を支える学力データを提出しても、たちどころに定義問題で反論される。仮に定義問題を克服できたとしても、検査問題の妥当性や信頼性といった技術的な論争にさらされることもある。
さらに、論争に拍車をかける理由として、学力のアカデミックな定義問題と微妙に関係はしているが、産業界や学界などから期待される学力像が異なることを挙げることができる。
たとえば、産業界では「コミュニケーション能力」をトップに挙げるのに対して、理工系の学界では、基礎基本となる知識や技能を要求する。どんな学力像をイメージするかで、現状認識も改革の方向も異なってくる。
そしてとどめは、「政治不信と政治的閉塞状況が、常に、学力低下論争に火をつけてきた」(加藤幸次)ということもある。確かに、学力低下論争は、今回だけではない。十年ごとの学習指導要領の改訂をねらっての政治的な動きがあったことも周知の通りである。
昨今の学力低下論争は、「ゆとり教育」を標榜する新しい学習指導要領に対して、「大学生の理数能力の低下」「大学受験での学力低下」「社会階層による学力2極分化」という3つの視点から挙げられた反対から始まった(市川伸一)。
いずれも、三者三様のデータに基づいた主張なだけに、それになりに説得力はあるが、不幸なことに、それが「論争」になっていまうのは、いくつかの理由がある。
最大の理由は、学力の定義が異なるからである。読み書きそろばん能力を最右翼とすれば、最左翼には問題解決能力がある。どのあたりを学力の定義に採用するかで、低下か否かが分かれる。
学力の定義が異なれば、学力を計測する検査問題も異なってくる。みずからの主張を支える学力データを提出しても、たちどころに定義問題で反論される。仮に定義問題を克服できたとしても、検査問題の妥当性や信頼性といった技術的な論争にさらされることもある。
さらに、論争に拍車をかける理由として、学力のアカデミックな定義問題と微妙に関係はしているが、産業界や学界などから期待される学力像が異なることを挙げることができる。
たとえば、産業界では「コミュニケーション能力」をトップに挙げるのに対して、理工系の学界では、基礎基本となる知識や技能を要求する。どんな学力像をイメージするかで、現状認識も改革の方向も異なってくる。
そしてとどめは、「政治不信と政治的閉塞状況が、常に、学力低下論争に火をつけてきた」(加藤幸次)ということもある。確かに、学力低下論争は、今回だけではない。十年ごとの学習指導要領の改訂をねらっての政治的な動きがあったことも周知の通りである。