協調「皆と仲良くは理想ではあるが、しかし、―――」
●皆と仲良く
人間は社会的動物ですから、周りと仲良くすることには長けています。だからこそ、仲間と一緒に協調して何かをするのですが、一方では、どういうわけか、仲間と喧嘩したり、仲間を裏切ったりもします。裏切り者を見わけるのも得意らしいのです。
不思議ですね。
人間、表裏一体、あるいはアダムとイブとで完全ということでしょうか。
となると、協調だけを取り上げてしまうのは、片手落ちになりますが、心の元気という点では、どうしてもこちらの話になります。協調の裏、攻撃や裏切りや孤立といったことにも配慮しながら話をすすめていきたいと思います。
● 日本社会は協調社会?
毛利元就の3本の矢の教えはご存知だと思います。3人の子どもに、協調してことにあたることの大事さを諭した逸話ですね。
日本の社会では、協調することの大事さが事あるごとに強調されてきました。村社会、あるいは、終身雇用制のもとでは、いつも周りに同じ人々がいるわけですから、そういう人々と協調しないとなにかと都合が悪いことが起こってしまうからです。
ところが、高度成長期あたりからでしょうか、日本全土、都市化現象で、協調化社会が崩壊しつつあるようです。お隣の人への関心が希薄になるほうを好むようになってきました。一人ひとりが孤立して好き勝手に生きるほうがよいと考える人々が大勢を占めるようになってきました。
なんと結婚観さえ劇的に変わってしまいました。総理府の最近の調査では、結婚しなくてもよいと答えた成人が70%にものぼっています。びっくり、というより日本、どうなってしまうのか心配です。
昔、NHKで「無縁社会」というシリーズが放映されて話題になりました。これまたびっくり仰天の無縁の現実が紹介されています。
不況や高齢者人口の増加、少子化、そして自殺者の増加傾向、不機嫌職場の増加など、あまりうれしくない状況があれこれ発生してきました。
しかし、希望的な見通しですが、もしかすると協調社会への揺り戻しがあるかもしれません。そうあってほしいものです。2010年5月10日のasahi.comにこんな記事が掲載されていましたので紹介しておきます。
「首都圏で「シェアハウス」が20~30代の社会人に人気だ。一人ひとりは個室に暮らすが、キッチンやリビングなどは共用。といって、一昔前の安下宿とは大違いで、ダーツ場やお姫様気分の味わえるバスルームがあったり。プライバシーを守りつつ、共同生活の楽しさも味わえる。「深くも浅くもない人間関係」を求める世代の感覚に合っているようだ。」
いずれにしても、ここでは、あくまで、個人の心の元気に焦点を当てますので、あまり大上段に振りかぶっての話はしませんが、こうした背景も承知はしておく必要があるように思い、ちょっぴり寄り道をしてみました。
● 周りを元気するための協調のコツ
① 無理はしない
社会的動物だからこそかもしれませんが、皆と一緒は、裏切られることへの警戒心からか、表向き協調、裏ではあれこれ、という面があることは否定しえません。
その「あれこれ」に負けてしまうこともあります。あるいは、それでも協調を装うという無理も必要なことがあります。そうなると、協調の場は、ストレッサーの発生源になってしまいます。
もしそういうことがあれば、バランスをとる必要があります。
時には、一人に、時には、いつもとは違った人々と一緒、といった機会も必要です。
② 周りに関心をもつ
KY(空気が読めない)という言葉がはやりました。本当のところはわかりませんが、ここでは、協調圧力の強い日本社会であるがゆえに、協調できない人が目立つにようになったことへの警鐘ととっておきます。
自分だけが可愛い、大事という自己愛の強すぎる人が増えているとの指摘もあります。
あからさまな協調、自分を抑えた無理な協調も困りますし、健全ではありませんが、かといって、これも困りますし、集団の雰囲気を壊します。
せめて、not―KYでいきたいものです。
③ 助ける
協調を強調すると、どうしても周りから同調への圧力がかかります。受身での協調ばかりしていると疲れます。それよりも、どおせなら自分から積極的に協調のための行動を起こすほうがストレスも感じないですみます。
その基本は、周りを助けるという気持ちと行動だと思います。困ってそうな人がいたら即座に気楽に手を貸してあげることです。
④ 人との協調よりも仕事の使命と協調する
人と協調すると考えると、裏もでてきます。協調することが自己目的化してしまうなんてことも起こってしまうかもしれません。
でも、よくよく考えると、人と協調するのは、何か目的があるからです。たとえば、
・チームを勝利に導く
・一緒に企画を完成させる
・家族一丸となって、苦境を脱する
そこで、事の使命と協調するのだ、と考えてみてはいかがでしょうか。
そうすれば、人との協調ができなくとも、あまり気にしなくとも済みます。人との協調は、あくまで手段の一つと考えるのです。そうれば、気楽になれます。その気楽さ余裕が、かえって人との協調をより良質のものにするということもあると思います。
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