今年度納める地方税がきた。
(所得税は、昨年分。還付もあった)
社会保険も入れると、年金生活者には、かなり重いものがある。
でも、
給付金を使って、がんばって納めます。
イオンモールで本を買いたかったので、
乗合タクシーを頼んだ。
なかなか充実した一巡だった。
これからもっと散歩のレパートリを増やすことにしよう。
3188歩だった。
300円+200円=500円の支出
母は直情的で
まっすぐな人間だった。
自分が「こう」と思ったら「こう」で、それがまちがっているかどうかは関係なかった。
その思い込みに理屈はなかったけれど、確固たる信念はあった。
(永田淳「文芸春秋7月号)
スマホが押せども引けども、反応しない。
画面が真っ暗のまま。
しかたなく、そしてあまり期待せず、どこもへ電話。
もしかして、電源ボタンをおしたのかも」とのアドバイス。
側面に小さい字で「電源」とある。
そこを長押ししたら、回復。
首にぶら下げて散歩中に写真撮りをするので、知らないうちに
ボタンをおしてしまったらしい。
よかった!
電話ですんだからまだよかったが、
ショップまで行こうとしていた。
恥をかかなくてよかった。
認知と学習の心理学 知の現場からの学びのガイド /培風館/海保博之
総合評価 3.00 (1件)
1,760円メーカー: 培風館 発売日
@@@@@@@@@@@@@@@
05/10。27
1章 記憶の衰えと馴染むーー記憶力
1.1 講義中の記憶障害に悩まされる
●一部しか思い出せない
●名前が思い出せない
1.2 ぼけに対応する
●認知症にはなりたくない
●ぼけに対応する
1.3 高齢者は結晶性知能で勝負する
●2つの知能
●一度覚えたことは忘れない
●高齢者の持っている暗黙知を活用しよう
●処理速度が落ちるので要注意
●高齢者は抑制が効かない
1.4 覚えられない
●覚える力も低下する
●さらにこんな記銘力の低下がある
●マクロ情報は大丈夫
1章 記憶の衰えと馴染む
1.1 講義中の記憶障害に悩まされる
●一部しか思い出せない
講義ではよく板書をする。「意識、英語でーー」と黒板に書こうとすると、最初の3文字conくらいは出てくるが、あとが続かない。「おせん」の「お」を漢字で書こうとすると、さんずいだけは書けるが、右のつくり(旁)のほうが出てこない。
いずれも部分再生現象である。誰にもいつでも起こるが、加齢とともに頻度は確実に増える。学生には、講義の開始時にこうしたことが起こるかもしれないのでお許しを、そしてできればお助けを、とここ5年くらいはあらかじめ宣言することにしている。しかし、学生はあまり教えてくれないので、最近では、電子辞書をかかさず教室に持っていくようにしている。
講義では、つい余計な事をしゃべってしまうことが多い。話しているうちに、どんどん余計な事が思い出されてしまうので、あらかじめ準備してないことも話してしまう。それが講義をする自分の楽しみでもあるし、聞いている学生諸君のほうも、そんな話しのほうにむしろ関心を持ってくれることもあるので、こうしたぶざまなことになってしまうリスクはあるが、やめられない。
●名前が思い出せない
もう一つ、授業に関連して困っていること。それは、学生の名前が覚えられないことである。
名前だけではない。場所名、物名など固有名詞が思い出せなくなると、まぎれもなく高齢者の仲間入りである。
1学期も終わり頃、ようやく学生の顔と名前が一致した頃、夏休み。2か月間の休みが終えて新学期。さすがに顔だけは馴染みのある学生がそろうが、肝心の名前が出こない。出てきても、別の学生の名前だったりしてしまう。
家では、家内も同じような状態なので、2人して、「あれそ
れこれ」会話になってしまうが、いつものことなので、それでとりたてて不便は感じない。
たとえば、「ほら、あの、自衛隊で切腹して死んだ作家の本で、
、なんとかの宴という本、どこにあるかなー」「あーあの本
ね。なんとかの宴ではなくて、宴のなんとかじゃなかったかなー。
えーっと、そうそう、その作家の名前、東海道の駅の名前にあったよね!」 そして、ややしばらくして、もう探すのを忘れた頃に「三島由紀夫の“宴のあと”」がふっとした拍子に思い出す。
喉まで出かかる現象(ど忘れ)である。
肝心の固有名詞は出てこないが、その周辺的な事柄は結構思い出す。よく知っているという感じが強くあるので、思い出せないと残尿感にも似た気持ちの悪さを伴う。
コラム「漢字のど忘れ対策」****************
漢字について自分で実行しているど忘れ対策は、以下のようなことである。ワープロを使うようになってかなりひどい状態になっている。
「ど忘れ状態に入ってしまった時の対策」
○思い出せることをどんどん書き出してみる
○一時的に思い出すのをやめる
「日常的など忘れ対策」
○画数の多い漢字は、細部まで正確に書いて覚える
○熟語で覚える
○手書きの機会を増やす
****************
1.2 ぼけに対応する
●認知症にはなりたくない
高齢者の記憶の衰えにまつわる自分の体験を2つ紹介してみた。記憶は、知性(認知機能)の中核である。これがやられると、知性全体の働きがおぼつかなくなる。
新しい名称として一般に使われるようになってきた認知症も、主訴になるのは、記憶障害である。家族の名前が思い出せない、食べたことを忘れてしまう、外出すると自分の家に戻れないなどなど。
その恐ろしさは、想像するだに恐ろしい。脳機能の障害であることはわかっているから、いずれそれなりの治療方法もみつかるはずであるが、今のところどうにもならない。
●ぼけに対応する
認知症は困るが、普通にぼけてもそれほど仕事に支障をきたすわけではない。衰えてきた能力をカバーする方策があれこれあるからである。
一つは、外部の記憶支援の方策を活用すること。
これは誰もがそれと意識せずともおこなっている、紙やノートに書く、整理の仕方を工夫するなども、これである。最近では、電子辞書やインターネットも加わった。「宴」と「自衛隊」と「作家」くらいを検索システムに打ち込めば、あっさりと「三島由紀夫」が出てくる。
2つは、やはりそれなりの認知的な努力と工夫である。
記憶の衰えを自覚したら、それを補う努力と工夫が必要である。無駄な努力や工夫もあることはある。しかし、最初から無駄と思い込んでしまって何もしないのは、ますます状況を悪くする。
記憶するための体験的なノウハウは持っているのだから、それをフル稼働させるのである。
頭は使えば使うほど、それも酷使すればするほど、良くなる。今はやりの小学生がやるような計算訓練や頭の訓練でもよい。自叙伝の執筆でもよい。ともかく頭を使うことである。
さらには、記憶力アップの工夫をあれこれしてみる。学生の顔と名前が一致しなくなったら、写真を撮らせてもらって覚える。折りにふれて思い出してみる。書いて覚える。場合には、語呂合わせ、意味づけなどの暗記術を使ってみる。
****コラム「暗記術」
2005年7月4日、原口證氏(59)が円周率83431桁の記憶を達成し、ギネスブックに載った。
円周率は、無限小数であることから、こうした暗記術の素材としてはもってこいのところがある。かつては、友寄英哲氏の4万桁の暗記がよく知られていた。
それにしても、こんなことをして何の得になるの、という疑問はつきまとうが、知的大道芸の一つと考えれ、それはそれで意味があるのだと思う。
自分では、円周率記憶術を携帯電話の番号を覚えるのに使っている。「縄で肉をしばって、婿が組に届ける」である。名詞部分が2桁の数字列の読みに対応するものとなっている。円周率記憶では、
これを延々とやるのである。
************
1.3 高齢者は結晶性知能で勝負する
●2つの知能
知能がどのような因子で構成されたいるかについては、いろいろの説があるが、最近よく使われているのが、結晶性知能と流動性知能という分類である。
結晶性知能とは、知識にかかわる知能、流動性知能とは課題解決にかかわる知能である。
知能のこの分類が便利なのは、両者が比較的独立していて、たとえば、高齢者の知能は、流動性知能に関しては劣化しているものの、結晶性知能のほうは、特別な記憶障害にでもならない限りそれほど劣化しない、というような話しができるところにある。
●一度覚えたことは忘れない
知能に関しては結晶性知能は高齢者でもそれほど劣化しないが、さらに、加齢とはほとんど無関係に高い水準に維持されている記憶の領域もある。
たとえば、歩いたり自転車に乗ったりといった運動技能、あるいは、読み書きそろばんといった認知技能は、身体の機能障害を起こさない限り、かなり高齢になっても維持されている。
こうした運動技能や認知技能を支えている知識が、手続き的知識と呼ばれている。
手続き的知識の習得には、膨大な練習時間が必要とされる。しかし、ひとたび一定の段階まで出来るようになれば、その巧拙こそあれ、あとはほとんど一生できるのが普通である。シニアテニス大会などをのぞいてみると、びっくりするほど高齢の方々が楽しそうにゲームをしている。
手続き的知識の特徴は、最初こそ、あれこれと言語的な指示や手取り足取りによる教授が必要であるが、次第にそうした教授内容を意識せずとも、むりむだむらなく(3む)できるようになることである。これが知識の暗黙知化である。
こうした暗黙知に支えられた技能のレパートリをどれだけ若いうちに身につけたかが、老後の生活の豊かさを左右するといってもよいようなところがある。
●高齢者の持っている暗黙知を活用しよう
ここでやや話しが大いに飛ぶことになるが、リストラや団塊世代の退職の話題とからめて、高齢者の活用について一言。
うれしいことに、中高年者を対象としたリストラの嵐が吹きすさんだ5年前とは少しずつ情勢が変わってきたようだ。団塊世代の大量一斉退職の時期を迎えて、企業では、退職年令に近い高齢者の力量がようやくわかってきたらしい。なんとかもう少し企業にとどまってくれないかと言い出すようになってきた。高齢者がその企業の中で長年にわたり蓄えてきた暗黙知をもう少し活かしてほしいというのである。
暗黙知は、暗黙なので、言葉ではっきりと表現できないところがある。技能にはマニュアルとして残せる部分と、いわく言い難しの暗黙知の部分とがある。その暗黙知の部分はその人がいなくなると企業の現場からもなくってしまう。それは困るというのである。
コラム「現場力が落ちてきた!」****
日経ビジネス(04年3月8日号)による「製造業の工場長227人を対象にした調査」の一端を紹介してみる。
○「現場の力が落ちていると感じている」かと聞かれて
そう思うと答えたた割合が 54。2%。
その背景としては
○「技術の伝承や教育体制の不備で、働く人に充分な知識や経験を 与えられていない」を指摘する割合が 71。7%
*************************
工場火災、石油タンク火災など、信じられないような「想定内」工場災害が多発しているだけに、企業としては事は深刻である。
暗黙知の継承は、OJT(on the job trainng)しかない。その人と一緒に仕事しながら、見よう見まねで覚えていくしかない。その人がいなくなったら困る。そのことに企業が気が付いたのである。
現場力の再構築が焦眉の急であるとして、作家で元旋盤工の小関智弘氏は次のような味わい深い言説を披露している。
「大量生産の時代は、人間は”マイナス要因”でした。まあ、人間はなまけたがるし、不平は言うし、おしゃか(不良品)は出すし、できるだけ排除した方がいい。ーーーところが、多品種少量ですぐれた製品をつくるには人間の技と知恵が不可欠です。人間を”プラス要因”としてとらえ直す。町工場が持っていた”現場力”を見直す動きが、大企業の現場にも出てきています。」(朝日新聞朝刊、05年1月12日付け)
●処理速度が落ちるので要注意
高齢者の交通事故がどんどん増えている。若い頃に身につけた運転技能である。いつまでも運転できるはずとの思いは強い。この思いは、前述したように心理学的には間違いではない。しかし今度は、「ただし」と言う話しをしなければならない。
高齢になっても結晶性知能はあまり劣化しないのに対して、流動性知能は低下してくることはよく知られた事実である。
ところが最近の研究によると(ディアリ「知能」岩波書店の基づく)、これら2つの知能よりももっと根源に情報の処理速度の因子があるらしいことがわかってきたのである。そして、高齢者は、この情報処理速度が遅くなるがゆえに、知能全体、とりわけスピードを要求される流動性知能でより得点が低くなるらしいということがわかってきたのである。
言われてみれば当たり前のこの事実は、2つの点で重要である。
一つは、時間さえかけることができるなら、高齢者の知能劣化という事実は消えてしまうかもしれないということ。じっくりと時間をかけて解いてよいなら、問題解決でも高齢者でも若者に負けないくらいの力を発揮できるのかもしれないのである。
もう一つは、逆に、即応が要求される状況では、高齢者は能力的に太刀打ちできないということ。瞬間の判断と動作が随所で求められる車の運転のような状況は、高齢者にとっては非常にリスクが高いことになる。
この点を自覚できれば、高齢者も能力に応じた生活を楽しむことができるし、そうすべきだと思う。
- 高齢者は抑制が効かない
高齢者の認知特性に関してもう一つ。2005年9月に開かれた慶応大学での日本心理学会のワークショップで、都立老人総合研究所の権藤先生からお聞きした話し。
それは高齢者の認知特性にはもう一つ、抑制力が下がってくるということである。何でも取り込んでしまったり、あれこれ考えてしまったり、思い付くものをどんどん口に出してしまう傾向があるらしいのである。
体験的には納得しがたいところがあるが、まわりの高齢者を見ていると思い当たるところがある。たとえば、
- しゃべりはじめると止まらない
- 用語や名前などの混同が起こす
- 行動する時にあれこれやってしまう
1.4 覚えられない
●覚える力も低下する
記憶には、覚え込む(記銘、符号化)と蓄えておく(貯蔵)と思い出す(想起、脱符号化)の3つの局面がある。これが三位一体で機能しているときに、記憶が十全に活動していることになる。
これまでは、もっぱら加齢に伴う想起機能の劣化の話しをしてきたが、さらにもう一つの難敵、記銘力の劣化とも馴染まなければならないという話しをここでは取りあげなければならない。
TVも新聞も比較的よく見たり読んだりする。時勢に遅れているという不安を感じることはあまりないのだが、それでもいつ頃からか、ニュータレントの名前はもとより顔も昔ほど鮮明には記銘できなくなってきた。音楽などは、いつ聞いても耳に新しい。
前向性健忘という記憶障害がある。たった今見聞きしたことをただちに忘れてしまう病気である。したがって、与えられる情報はいつもいつも新情報ということになる。
筆者の加齢に伴う記銘力の劣化といっても、そこまでひどくはならないが、加齢に伴って新しいことを覚える力が落ちるのは、筆者のような知識を売り物にして生活している人間にとってはつらいものがある。
●さらにこんな記銘力の低下がある
さらに、個人的な記銘力低下の事例をいくつか。
・電話番号を耳で聞いたあとメモしようとしても、うまくすべて の数字を再生できない。
・本を読んでいて、「前者はーー」と書かれると、もう一度1,2行戻って対応を確認しないとだめ。
・数品の買い物の合計の暗算ができない。
・TVのクイズで時間制限のあるものは、問題を理解することからして間に合わない。
いずれも、一時的な記憶(短期記憶)、つまり高々20秒程度の間呈示される情報の記憶の性能が落ちているためである。
●マクロ情報は大丈夫
一時的な記銘力の低下は確実であるが、しかし一方では、たとえば、本を読むことを考えてみると、記銘力の低下を補う機能がきちんと働いていることも実感できる。
本を読むには、本に書かれている内容を次々と取り込むことになる。その表面的な字義通りの情報の取り込みの効率は確かに悪くなっている。
しかし、それを補うかのような機能が間違いなく働いている。
その一つは、連想機能である。本の中の一つの言葉、文、あるいは、マクロな内容、いずれについても、関連知識が刺激されて連想が活発に起こり、字義通りの意味をはるかに越えた世界を味わうことができる。充分な関連知識のない若者にはこれは無理である。
もう一つは、マクロ情報についての取り込みと処理の効率は、かなり良いということである。
本で言うなら、概要、全体構成、主張のポイントなどについては、そうした情報を処理するノウハウも知識が豊富なので、それほど苦労しない。
たとえば、目次をじっとながめれば、概要や構成はつかめる。はじめにと終わりにや要約をしっかり読むと、著者の主張や言おうとすることがつかめる。いずれも、関連知識が豊富な高齢者ならではの認知方略の発揮である。