心の風景 認知的体験

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寒い、寒いもあり、なんとなく不調

2020-06-22 | 癌闘病記
衣替えが終わったあとのこの寒さは、つらい。
明日からはまた暑くなりそうなので、我慢だなー

新抗がん剤5日連続服用一回目が今朝終わった。
おおむねもとの体調に戻ったものの、
食欲はまだまだ、でも毎食たべられるまでに回復、
でも元気なし
倦怠感強し
状態からは脱却できない。
服薬2日停止期間があるので、状況改善を期待しているところ。



6章 本を作るーー情報編集」認知と学習の心理学

2020-06-22 | 認知心理学
05/11/1海保博之
6章 本を作るーー情報編集  

  • 43冊の本を作ってきた
●本作りの内容
●本ができるまで

6.2 本作りは楽しい
●論文を書くのとの違い
●表現上の工夫をするのが一番楽しい
●あれこれ構想をめぐらすのも楽しい

6.3 本作りも苦労はある
●原稿が集まらない
●バグが消えない

6.4本が読まれない
●本が読まれない
●知識の体系度が低下する
●頭が馬鹿になる


6章 本を作るーー情報編集力

6.1 43冊の本を作ってきた

●本作りの内容
硬軟、大小とりまぜてこれまで自分の名前が表紙に入った本を39冊作ってきた。とはいってもそのすべてが自分一人で書いたものばかりではない。単著本は16冊である。あとは、二人、三人との共著本6冊、編集本、つまり、自分がプロットと執筆者とを決めて書いてもらう本が14冊、共翻訳三冊という内訳である。別格(はじめての仕事)で、現在、心理学講座全19巻の監修と、さらに、心理学総合辞典の編集もしている。
目的から分類すると、啓蒙書が17册、専門書が16册(うち翻訳書3册)、教科書が10册、である。
本の形態から分類すると、文庫本が2冊、新書本が5冊、その他が36册である。

コラム「自著のリスト」*******
筆者の知的なバックグランドを知ってもらえるということもあるので、やや気恥ずかしいところもあるが、自著のリストを公開しておく。*は絶版である。

単著本(*は絶版)
●ミスに強くなるーー安全のためのミスの心理学(中災防新書)
●ミスをきっぱりなくす本(成美堂文庫)
●集中力を高めるトレーニング(あさ出版)
●学習力トレーニング(岩波ジュニア新書 
●心理学ってどんなもの (岩波ジュニア新書  
●くたばれ、マニュアル 書き手の錯覚、読み手の癇癪(新曜社)
●一目でわかる表現の心理技法—文書・図表・イラスト(共立出版)
●自己表現力をつける(日本経済新聞社)*
 ●説明を授業に生かす先生(図書文化社)
●失敗をまーいいかとする心の訓練(小学館文庫)
●連想活用術—心の癒しから創造支援まで(中公新書 )*
.●パワーアップ集中術(日本実業出版社)*
 ● 読ませる・見せる表現のコツ—わかりやすい文章・図表の書き方からイラスト・地図の描き方まで(日本実業出版社)
●こうすればわかりやすい表現になる—認知表現学への招待(福村出版)*
●「誤り」の心理を読む(講談社現代新書)*
●東スポの技法(ワニ出版)

共著本
●「発想支援の心理学」(松尾と共著) 培風館 
●ワードマップ ヒューマンエラー(田辺と共著)  新曜社
●人を動かす文章づくり—心理学からのアプローチ(山本と共著)(福村出版)
●Q&A 心理データ解析(服部と共著)(福村出版)
●人に優しいコンピュータ画面設計—ユーザ・インタフェース設計への認知心理学的アプローチ(加藤と共著)日経BP社
●1認知的インタフェース—コンピュータとの知的つきあい方ワードマップ(黒須、原田と共著)(新曜社)
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●本ができるまで
  印刷技術や工程の話しではなく、出版社の企画会議のオーケーが出てから原稿を手渡すまでのプロセスについては、本書のケースでは、おおよそ次のようになる。
  • 執筆の依頼
本書はシリーズ企画なので、企画委員会が出来ている。そこからの依頼があっての執筆である。なお、すべての本が依頼執筆というわけではない。みずからが企画を立てて、出版社の編集者に売り込むこともある。筆者の場合はそのほうがずっと多い。言うまでもなく、持ち込み企画は、門前払いということもあるし、企画の修正もある。ちなみに、一般読者を対象とした新書などでは企画の段階ではねられることが多い。
なお、依頼された場合は、自分に書ける内容のものかどうか、執筆期間が大丈夫かが引き受けるかどうかのポイントになる。本書では、内容も執筆期間(足かけ2年)も問題ないので、タイトルの変更をお願いして引き受けることになった。
  • 構想を練る
おおまかな章立てを作るところが最初の難関である。本書の場合は、章間が独立しているので、それほど苦労しなかったが、多くの場合は、章間のつながりが一つのストリーになるようにするにはどうするかで苦労する。
3)執筆する
章構成が決まると、執筆しながらさらに細部にわたって構想を練り上げていくのが最近の自分のやり方である。ワープロが使えるようになってからは、ともかく、思い付いたことをどんどん打ち込んでいく。そうすると、次第に自分の考えもはっきりしてくる。書いては考え、考えては書くを繰り返すのである。
この段階で、章構成の変更もあるが、むしろ、節レベルへの細分化がおこなわれる。
昔は、こんなわけにはいかなかった。構想をきっちとさせてから、いざ正座でもして書き出すような感じだった。あげくに何枚も原稿用紙を無駄にしてなんとか完成にこぎつけるのが常であった。
  • 編集する
 出版社の編集者の側の仕事である。印刷に入る前に、編集者が入念なチェックをする。誤字脱字はもとより、文章表現のまずさ、さらに優秀な編集者になると内容の実質チェックまでしてくる。一度だけだけだが、あまりのチェックの凄さにおののいて、400枚の原稿を取り下げてしまったことがある。(別の出版社の編集にお願いして出版してもらい、今でも版を重ねている。)
  • 印刷校正をする
この段階が一番本作りでは楽しい。ここでも編集者や校正者とのやり取りはあるが、編集段階とは違って、穏やかなものである。
一番気を使うのは、ここでも誤字脱字である。ワープロ原稿なのでそのまま印刷に流れているはずなのだが、それでもかなりのミスが見つかるの常である。きちんと本の形にしてみると見えてくるミスもある。
余談だが、「ヒューマンエラー」の本で、どういうわけか、刊行後にミス発見が続出となってしまったことがある。なんと絵が1枚欠けてしまうお粗末まで。幸い、再版になったのでそこで訂正させてもらったが、「ミスの本でミス続出ではしゃれにもならないですね」とあちこちで言われ頭をかかえてしまった。

6.2 本作りは楽しい

  • 論文を書くのとの違い
20代後半から40代前半くらいまでは、もっぱら研究論文を書いていた。実験、調査をしてはそれを論文にするのである。「はじめに」「方法」「結果」「考察」「まとめ」の順に書くことが決まっているので、それにあわせて内容を書き込んでいくことになる。
話しの筋立てが決まっているし、表現のしきたり(リテラシー)もあるので、それに従えばよい点は楽であるが、問題は、仮説と実験、調査で得られたデータの質である。ここがつぼにはまっていれば多少は表現上のまずさは問題ではない。ましてや、読み手にとってわかりやすくするとか、読みやすいようにするとかいったことは、二の次である。
なぜなら、論文の読み手は、ごく限定された専門家である。日本で発刊される心理学の論文で、1編の論文が10人以上の専門家によって読まれるようなような論文はごくまれではないかと思っている。専門論文は、人数という点でも、また、多少の読みにくさやわかりにくさは自らで補ってくれるという点でも、読み手のことを想定しないで表現して良い文書の典型なのである。
  その点では、表現上の苦労はそれほどない。だから、学者の文章が外に出るとわかりにくいと思われてしまうのである。
しかし、本となると、たとえ専門書であっても、論文のような表現でというわけにはいかない。
専門書では、最低でも1000册程度の部数を発行する。新書や文庫になると万単位になる。当然、専門を同じくするような人々だけが読者ということにはならない。関連する知識が乏しい読者もいる。
想定読者を常に意識した表現を心がけなければならない。これが本の執筆と論文の執筆との際立った違いである。
ところが、編集本で何人かの方々に執筆を依頼すると、中には、論文まがいの原稿を送ってよこすことがある。相当しっかりした執筆指針や想定読者を執筆趣旨に書いて依頼しても、こういうことが起こってしまう。かくして、編集者泣かせ、読者泣かせの本ができてしまうことになる。

  • 表現上の工夫をするのが一番楽しい
教科書となると話がまた違ってくる。
教科書は書くべき内容がだいたい決まっているので、あとは、表現上の工夫だけである。最近の大学の教科書は、競うかのごとく、読ませる工夫、考えさせる工夫が凝らされているものが多くなった。他本との差別化をはかろうということであろう。それはそれで面白いし、大事なことではないかと思う。
こうした表現上の工夫の基本的な観点をここで挙げておく。
一つは、理解支援である。わかってもらうための工夫である。
難しい用語が出てきたら、解説したり、時には用語解説を巻末に設けることもある。事例を入れて理解を補強したりする。
2つは、動機づけ支援である。読もうという気持ちにさせる工夫である。情報満載感を与えない、イラストで親しみを出すなど。
3つは、参照支援である。事項や人名の内容を知りたい、全体がどんな構成になっているかを知りたい時に、そこへガイドする。もっぱら、目次、索引に趣向が凝らされることになる。
4つは、記憶・学習支援である。覚えることを助ける工夫である。演習問題を入れたり、大事なところを強調したりなど。
 繰り返すが、こうしたことにまったく頓着しないでよいのが、論文である。したがって、論文しか書いたことのなり人が本を書くと、えてして読者泣かせになってしまう。
そんなわけであるから、日本4大悪ドキュメント(文書)の一つに専門論文が挙げられてしまってもいたしかたないところがある。なお、あとの3つは、裁判の判決文、マニュアル(取扱説明書)、官庁文書である。


  • あれこれ構想をめぐらすのも楽しい
  単著本でも編集本でも、当然、どんな内容、構成にするかを考えることになる。すらすらといく場合もあれば、四苦八苦、生みの苦しみを味わうこともある。
いずれの場合も一番参考になるのは、過去に出版された類書である。教科書の場合はよほどのことがない限り、内容は類書とほぼ同じ、あとは前述したような表現上の工夫が勝負所となる。
新書や文庫本では、表現上の工夫はむろんのこと、専門外の読者を想定した内容をいかに構成するかに腐心することになる。
こんな時に強力な助けとなるのが、ワープロ(パソコン)である。
昔は、KJカードを使っていたが、今ではもっぱらワープロである。思い付いたことを、どんどん打ち込んでいく。キーワードが多いが、文章の場合もある。

コラム「KJカード」****************
今では、付せん紙が普及したので、KJカードを見かけることはなくなった。**年代、川喜田二郎?氏によって開発されたKJ法は、発想管理の技術として一世を風靡した。筆者の研究室には、その残骸がまだ引き出しのあちこちある。
KJ法は、構想を外化し、それを動かしながらさらに構想を洗練していく技術である。その最終的な形を例示しておくが、ここに至るまでの過程では、幾多の苦労がある。
なお、現在では、KJカードより、手軽で安価なpost-it(商標)のほうがよく使われるようになっている。

KJ法の例

*********

打ち込んだ用語や文章を見ると、また触発されて新たなアイディアが出てくる。同時に、章の構成もあれこれと考える。これをものによっては、1か月、2か月くらい繰り返すこともある。この期間の間に一週間くらいは集中的にやる。そして、ほっておく。
ほっておく間(孵卵期)が大事である。この時期には、無意識的な情報処理がなされていて、夜中や散歩中に新しいアイディアが出てきたり、雑誌やTVを見ている時に、新しい構想が閃いたりする。
最終的には、章構成を決めて、そこで書くことをざっとメモしたり、すでに打ち込んであるものを章ごとに分類して、構想は形のあるものになる。
しかし、これは筆者の場合に限るかもしれないが、いざ書き出してみると、また構想が変わることもある。というより、ともかく書いてみるのである。書くことによって思考が深まるので、また新たな構想が展開するのであるというようなこともある。
編集本の場合は、こういうわけにはいかないが、何冊かは、あとからしまった、これを入れておくべきだったとなったことがある。

コラム「本書の最初の章構成」********
本書は3度構想を練り直している。以下に示すのは、2度目のものである。本書の構成に活かされているところが随所にあるのがおわかりいただけると思う。。
目次 
1章 生活と社会の中の認知と学習
1ー1 家庭でーー習慣を作る
1ー2 学校でーー知力をつける
1ー3 会社でーー熟達する
1ー4 生涯でーー知性の劣化耐性をつける

2章 認知と学習の心理学
2ー1 認知と学習の心理学ってどんなもの
2ー2 認知と学習の心理学の実際
2ー3 他の心理学の領域との関係

3章 認知力をつける
3ー1 認知資源を蓄積する
3ー2 認知資源を節約する
3ー3 認知資源を活用する

4章 学習力をつける
4ー1 知識を高度化する
4ー2 動機づけを高める
4ー3 有効な習慣をつける
4ー4 熟達する

5章 認知と学習の心理学を世の中に役立てる
5ー1 わかりやすい文書を作る
5ー2 コンピュータとの交流を支援する
5ー3 エラー、事故を防ぐ
5ー4 学習する場と時期を設計する
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6.3 本作りも苦労はある

  • 原稿が集まらない
 本作りも楽しいばかりではない。とりわけ、編集本では、執筆者への依頼から、執筆主旨の理解、さらに、原稿集めまで、要所要所での気の抜けない仕事がある。
一番の難物は、締め切りまでに原稿を集めることである。
要するに、締め切り意識の欠如した執筆者の方々が多いのである。心理学研究者に特に多いらしい。社会に出て仕事をしている方々には、仕事をする上で納期は厳守である。ところが、大学で研究している我々には、自分も含めて納期意識を持って仕事(研究)をすることはあまりない。奇妙なことに、学生に対しては、レポート、卒業論文の締め切りはかなり厳格なのだが。
したがって、「いつまでにお願いします」とくどいくらいに言っても、まさに馬耳東風。締め切りまでに原稿がきっちりと届くのは3割くらい。あとは、催促に催促を重ねてやっと半年くらい遅れて、というようなことになる。最後の一人がいつ提出してくれるかで、以後の作業スケジュールが決まるのだから、最後の一人にはなるまい、との気構えで仕事をしてくれるば助かるのだが、最後の一人になっても悠然としている大物?もいる。
しかも、面倒なことに、締め切りを守るか守らないかは、原稿の質にあまり関係していない。図に示すように、締め切りを守る人(タイムリミット感覚のある人)と、仕事の完成度に腐心する人(ワークリミット感覚のある人)とがいる。それを組み合わせると、4つのタイプが出てくる。いずれのタイプが困ったちゃんかは自明であろう。
 


       完成度が高い
    職人的仕事   完璧主義的仕事

  守らないーーーーーーーーーー守る

    稚拙仕事    やっつけ仕事
       完成度が低い

図 ワークリミットvsタイムリミットを組み合わせると

  これ以上、この項を書き込むと、以後、編集本に協力してくれる人がいなくなってしまうといけないので、止めておく。

  • バグが消えない
 出版社側のスケジュールが立て込んでいなければ、原稿をデジタルデータで渡すと、最近では、1月もしないで第一校が送られていくる。そこから、また別の苦闘がはじまる。原稿の校正である。
単なる字句の校正なら簡単なことと思われるかもしれないが、これが意外と最後の最後まで残ってしまうことがある。執筆者も含めて3人くらいが慎重なチェックをしても誤字脱字が1個か2個残ってしまう。
全体が整ってくると、意味読みがどうしても優先してしまい、一字一句チェックがおろそかになる。そこで、自分では、2つの工夫をしている。一つは、最後のページから逆に見ていく方式、もう一つは、見開き2ページのマクロチェック、つまり全体をざっとながめることによるチェックである。いずれも、意味読みを防ぐための校正である。
一字一句チェックで泣かされるのは、日本語の2つの特性、一つは同音類義語の多さーー同音異義語も多いーー、もう一つは類似形対の多さである。

コラム「同音類義語」******
 次の文中にあるカタカナ語を漢字に直せ。昔、ワープロの変換精度をチェックするのに巷で使われていた。
「すばらしいキコウ記事を書くことで知られているキシャのキシャは、港にキコウして雑誌にキコウにする行政キコウについての原稿を郵便で送り、キシャせずにキシャでキコウのよい土地に住むキコウを訪ねるために出かけた。」

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もちろん、こうした一字一句チェックのほかに、もっと本質的なチェックとして、内容、構成チェックもある。
第1校あたりでは、追加削除、構成の大幅な変更は可能である。最近はワープロで執筆しているので、かなり出来上がりイメージに近い形で原稿を渡せるのであるが、それでも本の完成イメージで校正原稿が出てくると、直したくなるところが出てきてしまう。
それは、執筆して終わった段階では、自己陶酔に陥ってしまい、チェック機構がうまく働かないためである。頭がホットになっていて、書いたものすべてがすばらしく思えてしまうのである。それが、1、2か月して読まされると、あらが見えてくる。冷静になれるからである。
ここで対応は二手に別れる。自分の場合のように、編集者の作業量が増えるのは気の毒という気持ちから、「まーいいか」精神を発揮して最小限の訂正にとどめる人と、徹底的に納得できるまで訂正を加える完璧主義者とである。だいたい、後者は、締め切りも守らない人であるが、しかし、皮肉ではなく、ワークリミットぎりぎりでの仕事の迫力ぶりは尊敬に値するところはある。

コラム「手書き原稿の校正のものすごさ」******
公開されている作家の生原稿を見る機会がある。その校正の凄まじさに圧倒される。
これは、司馬遼太郎氏の生原稿である。ワープロを使っての執筆とはまったく違った世界があるようだ。

サンプル  なし
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  • 本が読まれない
本を作る話から一転して読書の話になる。
折しも、「文字・活字文化振興法案」が05年7月20日に国会で成立した。読書週間の初日10月27日を「文字・活字文化の日」と定め、「言語力」を育むための各種施策を実施していこうとするものである。こんな法律を成立させなくてはならないほど、日本の言語環境は貧弱化してしまっているらしい。

コラム「文字・活字文化振興法案の条文を読む」********
 パラドックスなのだが、法律文章は、文章としては最も質が悪いことで定評がある。良い機会なので、ここで、法案の条文の一部(目的)を紹介しておく。

(目的)
第一条 この法律は、文字・活字文化が、人類が長い歴史の中で蓄積してきた知識及び知恵の継承及び向上、豊かな人間性の涵養並びに健全な民主主義の発達に欠くことのできないものであることにかんがみ、文字・活字文化の振興に関する基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、文字・活字文化の振興に関する必要な事項を定めることにより、我が国における文字・活字文化の振興に関する施策の総合的な推進を図り、もって知的で心豊かな国民生活及び活力ある社会の実現に寄与することを目的とする。




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以下、インターネットから統計数値を拾いながら少しこのあたりの事情を調べてみることにする。こんな時のインターネットは強力な道具である。
さて、不思議なことに、本や雑誌の出版の勢いは相変わらずなのである。一日150册もの新刊が発刊され、出版社の数もここ10年ほぼ4千社で横ばい、という具合である。新聞には本や雑誌の広告がない日はない。
ところが、本が読まれなくなったのである。年々、出版総額は下がり続けている。全国の本屋の数も減り続けて9千軒くらいにまで落ち込んでいる。
また、1か月で一冊も本を読まない子供が、小学校で7%、中学校で19%、高校生で43%(全国学校図書館協議会、04年度調べ)、読売新聞調査でも、50%となり、10年前より10%増となっている。
また、00年と03年に行われたOECDの大規模な学力調査によると、日本の高校生1年生の文章読解力が8位から14位に低下しているという結果も出て、教育関係者を不安がらせている。
情報化社会のまっただ中での活字文化のこうした貧弱化は、言語環境をいびつなものにしてしまう。とりわけ本を読まないとどういうことになるかをあらためて確認しておく必要がある。

●知識の体系度が低下する
まず第一に挙げておきたいのは、知識形成への影響である。
情報化社会である。本を読まなくとも、「知識らしき」ものは簡単に得られる。とりわけ、さきほ示したデータのように、インターネットに蓄積されている情報は、「苦労なく」得ることができる。
また、「さまざまなメディアを通して」世の中のこと(情報)をいながらにして手に入れることもできる。
本が知識獲得の特権的かつ効果的な手段である時代が終わったことは確かである。だから本が読まれなくなったのである。
しかし、これで良いのか。
  まず問題にしたいのは、「知識らしきもの」である。
本に書かれている知識が唯一知識に値するというつもりはまったくない。みずから心とからだを動かして獲得するエピソード知識や手続き的知識も立派な知識である。さまざまな知識がバランスよく頭の中に格納されているのが望ましい。

コラム「4つの知」**********

頭能知 身体知 感情知 世間知
すみ
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インターネットで得られる「知識らしきもの」も、その意味では貴重である。しかも、最近では、インターネット経由での出版物(電子本)も出てきたので、話しがややこしくなるが、今は、これは考慮の外におくことにする。
インターネット上の情報を、あえて「知識らしきもの」としたのは、知識にとって必要な体系性が、本——ここでは、教科書あたりをイメージしているー−—とは比較にならないくらい低いことがある。Bookは、 Basic  Organization   Of  Knowledge(A.ケイ)なのである。
  それは端的には、長さに現れている。インタネットで一冊の本の長さに匹敵するものが公開されているものをみたことはない。インターネット上では、知識の断片しか公開されていない。
それらを自分にとって意味のある体系だった知識にするには、どうしてもあらかじめ体系だった知識を本から仕込んでおく必要がある。体系だった知識があってはじめて価値が出てくるのが、インターネット上の情報なのである。
とりわけ、高校生くらいまでは、本を通しての体系的な知識の取得が必須である。それなくしては、より高度に体系化された知識の形成は無理というものである。
  次は、「さまざまなメディアを通して」である。これは読書にとって大敵である。
  情報化社会は、ビジュアル化優位の社会である。テレビ、DV、さらにインタネットによる動画配信など、目で見て楽しんだり、直感的に理解したりする情報が家庭に押しているのが現状である。
 
コラム「若者は映像志向」**************
  やや古いデータであるが、1986年——日本での情報化社会への入り口あたりの時期になる−—新入社員1400名に「あなたは、文字志向ですか、映像志向ですか」「理論的ですか、感性的ですか」と問うたら、次のようになった。(旧・太陽銀行調べ)
    文字志向  映像志向     理論的  感性的
男性  20。9% 79。1%   20。9% 70。1%
女性  31。7% 68。3%   18。9% 81。1%
***************************

机に座って頭を使っての知識獲得よりはるかに楽である。最後に問題にしたいのは、「苦労しなくとも情報が手に入る」ことである。
レポートでも、インターネットから情報を拾ってきてそれを編集することで(カット&ペーストすることで)仕上げるようなことがかなり普及?しているらしい。
  この点は、頭の能力陶冶の観点からもさらに考えてみる必要がある。

●本を読まないと頭が馬鹿になる
  読書することは、本(の著者の知識)と読者(の知識)とが知的に格闘することである。「苦労なくして」勝てるわけがない。
読めない字や意味不明の単語があれば、辞書に頼ってでもなんとか自分でわかろうとがんばる。納得がいかないことが書かれていれば、疑問の声を挙げる。そして、別の本などにあたってみることもある。
 このような本との知的格闘は、頭の中での総合的な情報処理を要求する。
持てる知識のフル動員、さらにイマジネーションや推論の自在な展開、時間を忘れての集中などなど、知的資源を十全に出しきっての情報処理が行われるのが読書である。
これが頭を鍛える。ぼんやりとTVドラマを見ている時の頭の活用と比較してみてほしい。イマジネーションを働かせるまでもないし、使う知識は断片的でよいし、集中しなくともよいし、という具合で頭を鍛える情報環境にはほど遠い。こんなものを相手に一日中時間を潰していたら、頭はどうなるか。押して知るべしであろう。


















嘘がつける自由

2020-06-22 | 教育
「参考」AERA。dotより

『去年の5月〇日の何時何分に広島市内のどこどこにいて克行容疑者にあってないか』と検事に聞かれた。手帳を見たら、確かに克行容疑者と一緒になったことがある日だった。『よくわかりますね』と言うと、検事はアプリの履歴から、2人の位置情報が一致したと説明した。アプリで克行容疑者から『もらっても困らないでしょう』などと言われて、カネを押し付けられた日が特定された。履歴を辿ると一緒にいたのは5分間もなかった。そこまで検察はよう調べとった。びっくりした」
@@@@@@


元法相の逮捕で、わかったこと
1)携帯を分析するとどんぴしゃり、いつどこへ行ったかがわかる
 うーん、すばらしい技術だと思うが。
2)携帯履歴を削除しても、復元できる
 うーん、すばらしい技術だと思うが。

こうした嘘はとんでもない嘘。
でもねー、うそなしの人生なんてありえないのも事実。
嘘をまったく許さない社会なんてのも、ありえないと思うが、お隣の国あたりだとどうかなー

私は、嘘つきではないとは思うが、これまでついた嘘は大小とりまぜれば
どれくらいの数になるだろう。
それによって、救われた対人関係や生活はまた数多いと思う。

嘘も方便。
子どもにはおしえたくないねー
でも結構、子供も早くに嘘の効果を知るようになる。
しかし、いやだからこそ
嘘つきには、はり千本、のまーす」と噓の負の面も教えられる。

噓は、じつに微妙な2裏表の面を持っているのだ。
だからこそ、大事にせねば、人生も社会も窮屈になる。






都知事選の不思議

2020-06-22 | 社会
その1 22人も立候補しているのに、ニュースではいつも5人だけの演説や動向が紹介される5.どういう基準で「5人」が決められたのかなー

その2 供託院300万。当選するつもりもない?候補者に
とっては、はした金なのかなー
立候補者に
「参考」Yafooニュースより
都知事選の場合は300万円。しかも、候補者の得票数が有効投票総数の10分の1に満たないと、このお金は没収されてしまいます。
 前回の都知事選では、有効投票総数が486万9098票だったので、供託金の没収ラインは48万6909票となり、舛添氏(211万2979票)、宇都宮氏(98万2594票)、細川氏(95万6063票)、田母神氏(61万865票)の4人はクリア、家入氏(8万8936票)以下の12人は、供託金が没収されることになります。