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3章 書く」認知と学習の心理学より

2020-06-18 | 認知心理学
05・10/29海保博之


3章 書く

3.1 書くのが好き
●書けなくて七転八倒
●書くのが大好き人間に大変身

3.2 書くのがつらいのはどうして
●書くのは面倒
●思いの世界と表現の世界とのギャップが大きい
●書くことを制約するリテラシーが面倒
  • あらたまったお膳立てが必要

3.3 書くことが好きになるために
●書けなくとも困らない?
●ともかく書くこと
●自分を出す
●読み手を意識すること
●外的制約を課す

3.4 文章作成環境が格段に良くなった
●「原稿用紙」はまもなく死語
●ワープロがもたらしてくれたこと
  • 自己表現の場が広がった


3章 書く

3.1 書くのが好き

●書けなくて七転八倒
今でもしっかりと覚えているが、書けなくて七転八倒したのは、はじめての大作?「メッシュ化されたカタカナ文字の視認性」という卒業論文を書いていた時であった。
内容は、実験報告でごくオーソドックスなもので、大作とはいってもその当時の自分にとっては、ということで、400字詰原稿用紙でわずか50枚程度のものであった。にもかかわらず、机に向かってうんうんうなっていた。よほどつらかったとみえて、40年もたっているのに、その光景は今でも自宅の勉強部屋の状況とともにしっかりと目に浮かぶ。
フラッシュバルブ記憶である。

コラム「フラッシュバルブ記憶」******
自分自身の一生の記憶を自伝的記憶という。その中で、フラッシュバルブ記憶は、誰しもがいくつかはかかえているはずの記憶である。強い感情を惹起された場面が、あたかも写真のフラッシュをたいて写したかのように記憶されている現象である。
感情にはポジティブ(うれしい、楽しい)とネガティブ(悲しい、つまらない)があるが、いずれも、強い感情が惹起された時の場面が記憶に強く残る。
筆者のフラッシュバルブ記憶の例。
・大学入試の合格発表で自分の番号を見つけ、事務の窓口に手続の書類をもらいにいったら、その番号ありませんよ、と言われた瞬間。(実は相手のチェックミスだった。)
・祖母が亡くなったことを中学校の教室で担任からつげられた瞬間。
・アームストロング船長が月に第一歩を踏みだした瞬間のTV視聴をしていた場面
こうしたフラッシュバルブ記憶が、人が過去をふり返る時の里程標になっているのであろう。
******************************

●書くのが大好き人間に大変身
それが、書くのが大好き人間になってしまったのである。きっかけは、今にして思うと、23年前のアメリカでの在外研究ではなかったかと思う。
英語が聞き取れない、したがって話せないままの10か月はつらいものがあった。そのうさをはらすためであったのだろう。アメリカ滞在記録のようなものを書いては大学院生に郵便で送っていた。週に1,2回は書いて送っていた。それを保管しておいてもらい、帰国してから、それを掲載するための「Compter & Cognition」というA4の裏紙を使ったニューズレターを毎週発行するようにしたのである。そして、さらにその中に、「認知的体験」と称して、自分の頭の中で起こったことや考えたことなども短い記録として掲載するようにしたのである。2章にその一部を紹介した。
これによって、文章を書くおもしろさを知った。そして、書けば書くほど書くことが楽しくなることもわかった。
それで勢いがついて、これもアメリカ滞在経験の中で頭にひっかかっていた安全やヒューマンエラーに対する考えの我彼の違いを、講談社の現代新書に書くという冒険に挑んでみた。原稿用紙300枚くらい、研究論文のスタイルとはまったく違った表現への初挑戦をしてみた。
これで、人にわかってもらい納得してもらう表現とはどういうものかをしっかりと体得した。
これが、自分の表現のいわばブレークスルーになったと思う。まったく書くことが苦痛でなくなったのである。それどころか、書いていないと不安でしかたないような気分になることさえあった。それは今でも続いている。

3.2 書くのがつらいのはどうして

●書くのは面倒
書くのが好きか嫌いかと聞くと、どちらかの返事がただちに返ってくるほど、「書く」ということについての意識は一般には高い。そしてその意識の高さの多くは、自分が思うように書けない体験によるところが大きいように思う。さらに言うなら、圧倒的に、「書くのが嫌い」と答える人のほうが多いはずである。
コラムに一つの関連データを挙げておく。

コラム「書くのが好きな人と嫌いな人」*****

科学技術庁の調査 あり
*****

 

●思いの世界と表現の世界とのギャップが大きい
 では、なぜ書くのが嫌いになるであろうか。
/明日、東京に行く/という思いを文章で表現してみる。
「明日は東京に行く」「東京は明日、行く」「明日行くのは東京」「東京に行くのは明日」——————。
というように一つの思いにいくつもの文章表現ができる。逆に一つの文章表現でもそれが意味する思いの世界は必ずしも一つではない。思いの世界と表現の世界との間には、渡らなければならない川と、選択を求められる幾本もの橋がある。
この川の広さと、選ばなくてならない橋の数の多さに気が付くと、書くのがおっくうになったり、神経質な人では、書くのが怖くなってしまうことさえある。

●書くことを制約するリテラシーが面倒
 書くということは、書かれたものを他の人が読むことが前提になっている。そのため、膨大な守るべき規約(リテラシー)がある。
表現に自由度がある一方では、文法、語彙にまつわるリテラシーは膨大である。それを守らなければ、読み手には言いたいことが伝わらない。
ここで再び、別の形で思いの世界と表現の世界とのギャップに悩まされることになる。自分の思いを正確に伝えたいがそれができないもどかしさを痛切に感じてしまうことになる。
余談になるが、セミナーや授業で、アメーバーのような絵を見せて、これを一方向無線で相手に描かせるとするとどう表現するか、という実習を隣同士でしてもらうことがある。これをすると、いつまでたっても説明が終わらないペアーが多い。できるだけ正確に描いてもらおうとして詳細な情報をたくさん相手に伝えようとするためである。
正確さ中毒と呼んでいるのだが、このように、自分の思いーーこの場合は、説明するものが外にあるので、それほど多彩な思いがあるわけではないのだがーーを正確に相手に伝えたいとの思いが強すぎるのも、それが出来ないがゆえの表現嫌いを生む背景になっているように思う。

●あらたまったお膳立てが必要
書くためには、さあー書こうという気持ちになることからはじまって、最近はコンピュータが多いが、書くために必要な道具、さらに、書く内容によっては各種の資料が必要となる。
いずれもお膳立てをするには、それなりの努力が必要となる。その努力が書くことから人を遠ざける。
ところが、書くのが苦にならない人にとっては、このお膳立てが書こうという気持ちを高めるのに役立つのである。コンピュータを立ち上げ、ファイルを開けて、それまでに書いたものを眺めているうちに、次第に気持ちが乗ってくるのである。お膳立てが集中儀式のようなものになっているのである。

3.3 書くことが好きになるために

●書けなくとも困らない?
作家になるわけではない。論文を書かなければならない研究者になるわけではない。あらたまった手紙も書くことも少なくなった。あまり書くこと、あるいは書けることの必要性を感じないかもしれない。
しかも、高度情報化社会の特徴の一つは、あらゆる情報がビジュアル化されるところにある。文字より絵を使い、文章より図解を多用し、論理よりも感性に訴えることが優先される。
あれやこれや考えると、何も苦労して書けるようになるための努力は不要ではないか、と思ってしまうかもしれない。
しかし、文字が発明されたのが、紀元前3千年頃。それ以来このかた、文字を使った表現は社会の至る所に深く広く普及してきた。今コンピュータの出現で前述のような表現環境の激変にさらされているが、5千年もの文字使用の歴史を考えれば、高々50年のこの変化をあまり過大に考えてはいけないかもしれない。
話しがすっきりしなくて申し訳ないところがあるが、実は、高度情報化社会には、誰もが情報発信者になれる、というもう一つの特徴がある。それを手軽に?やるには、学校教育で長年の間培ってきた文字を使った文章表現である。
最近はやりのブログ。公開日記のようなものであるが、普及速度が凄い。これほどまでに自分を表現したい人が日本の社会にいたのか、と思ってしまう。しかし、まことに結構なことだと思う。これに乗り遅れないためにも、文章が書けることは強力な道具になる。
さらに、書くことは、書くことによる頭の陶冶という面もある。学校教育を考えても、文字、とりわけ、漢字習得からはじまって、どれほどの文章を書かされてきたことか。それは、書くことが世の中に出て大事という認識もあるが、書くことによって論理力を陶冶したいとのねらいもある。
さて、文章は、時間の流れの中で書かれる。その流れの自然さを支えるのは、論理とその表現である。たとえば、
「————。そして、−−−−」となれば、時系列。
「————。ゆえに、————」となれば、結論。
「————。しかし、−−−−」となれば、逆。
文章間のつながりを、こうした言語表現を活用して作り出したり、さらには、もっとマクロなレベルでは、事実を並べて、結論を引き出したりする。論理がしっかり表現されていれば、読む人を納得させることもできる。
論理は、頭の中での営みであるが、それを文章で表現することで、論理を明解なものにせざるをえなくなる。論理不明を意識させ、されに強固な論理構築の必要性を認識させるのも、書くことによってである。

●ともかく書くこと
何はともあれ、仲間ができて自分ができないことがあるのは気持ちが悪い。そこで、どうれば書けるようになるかを自分の体験を踏まえていくつか提案してみる。
まずは、ともかく何でもよいから、毎日、書いてみることである。ブログはその点で恰好の表現の場だと思う。
その日の出来事を記す。たったそれだけでも、最初は何を書いて何を書かないかで苦労するはずである。
最初は、メモ程度でもよい。ともかく毎日書くと決める。これによって、頭の働きの回路に「書くための回路」をあらたに作り込むのである。この回路ができてくれば、パソコンの画面が立ち上がったら書き出すようになる。立ち上がりの画面に、書き込むためのファイルが大々的に見えるように細工をしておくのも一計である。
習慣とは恐ろしいものである。ひとたびできあがってしまうと、それをしないと気持ちが悪くなる。しかも、最初はあれほど苦労したのに、習慣になってしまうと、ほとんど3む(むりなく、むだなく、むらなく)でできてしまう。こうなればしめたものである。
筆者のメール受信箱には、毎日更新するメルマガが送信されてくる。内容は、ビジネスマン向けの仕事術である。分量は1000字くらい。無料である。
「何を好き好んで、こんな苦労を」と思うが、書くことで自分を鍛えるための苦労なのであろう。

コラム「毎日配信される無料メルマガ」************
kougai氏のメルマガの一部である。

   ◇◇毎日スキルアップ通信☆彡 ◇◇
   ◇◇   2005.10.31         ◇◇


 先週、ある国際機関の職員と5日間一緒に仕事をした。
 仕事の合間に、その職員は国際機関の仕事の内容やこれまでの経歴をkougaiに話してくれた。

 彼の話を聞いているうちに、以前から気になっていた「大人のための
超スピード勉強法」が読みたくなった。

 どうしてその本が読みたくなったかを、ちょっと長くなるが説明した
い。

 まず、彼の話をしよう。
 日本に本部を持つ国際機関は少ない。
 彼が所属する国際機関は、東京に本部を持つ数少ない国際機関の一つ
で、彼はアジア各国から派遣されたスタッフとともに働いている。

 事務総長、部長など上役に当たるスタッフは日本人で、外務省など国
からの天下りまたは派遣で来ている。部長の下には、企画立案から事業
遂行まで実質的に業務を行うディレクターが配置されている。ディレク
ターは各国から派遣された職員で構成されている。その中で彼は唯一の
日本人だ。他のスタッフは、それぞれ自国のことを気にして仕事をすれ
ばよいが、彼は、上司の面倒から、国内関係機関との調整、総務、財務、
企画・立案と何から何まで背負わされ、毎日朝の3時から4時まで激務
が続いているという。

 以前は、石油の元売会社に勤めていた。
 彼は、系列会社の売上増につながる企画立案やコーチング等を行って
いた。
 ところが、旧態依然とした本社と系列会社のシステム、古い営業スタ
イルに限界を感じ、会社に勤めながら英会話や経営学などを猛勉強し、
MBAの資格をとる。その後、会社を辞め、現在の国際機関に転籍した
という。前の会社に在籍した頃も、仕事と勉強を両立させるため、睡眠
時間を毎日3時間程度までに削っていたという。

 彼が私の職場にやってくる直前まで忙しく働き、彼から届いた最終調
整のメールの日付は、当日の午前3時を指してあった。その日の午前中
に飛行機でやってきて、そのまま超ハードな仕事ぶりを間近で見ること
になる。おまけに、夜は1時まで一緒に飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ。
「メルマガ書いているので帰る」なんてとてもいえない。彼のみなぎる
ようなエネルギーに圧倒されてしまった。


 ずいぶん、前置きが長くなってしまった。

 先週紹介した「プロ経営者の条件」の折口雅博氏もそうであったが、
忙しい人ほど、将来のための投資に時間を割いているように思える。

 つまり、忙しいことを言い訳に、自己のスキルアップや独立のための
準備開始を先送りしていないということだ。

 本日、この特集の後に紹介するkougaiのメンタル面での軍師「和出博
さん」も、きっぱりと会社に見切りをつけ、これまでに習得した知識と
経験を活かして新しい世界で事業を展開している方だ。


******************************

●自分を出す
次にやるべきことは、表現の中に自分を出すことである。けんちゃんの絵日記に自分の気持ちや思いをちょっとずつ入れるのである。
自転車で転んだという出来事でも、いつどこでどのようにして転んだのか、それでどうしたのかを書くのは、けんちゃんの絵日記。 
自分を出すとは、たとえば、転んだ時にどういう気持ちだったか、さらに転んだ原因は何か、どうすればこれから転ばないで済むかにまで思いをはせて書くのである。
大げさに言うなら、これが自己表現である。この自己表現が、表現者として一人前になるためには、必須である。
 書いて自己を表現しようとすれば、自然に、自己そのものも芳醇なものになっていく。
野花を見ても、その美しさを言葉で表現する、あるいはしようとすることで、自然に野花に対する気持ちが豊かになる。自民党圧勝のニュースを聞いたときの思いを表現することで、政治に対する意識も深まってくる。

図 感性と信念と自己表現

よくある誤解は、「表現したい自己があっての自己表現」というものである。この誤解が、書くことにためらいのある人々を書くことから遠ざけてきたようなところがある。
自己は誰にもそれなりにある。すでに3歳頃から自己は形成されはじめるのである。そして、それを表現したい気持ちもまた誰にでもある。三歳児は反抗という形で自己を表現する。
それを書くという手段を使うことでやってみるのである。その時に、まず自分の気持ち、思いを書いてみるのである。書くことで、気持ちや思いがはっきりと形をなしてくるからである。書かないでいると、いつまでたっても自己が曖昧模糊としたままで、本当は芳醇な自己をもっていながら、それに気がつかないままになってしまう。

●読み手を意識すること
3つ目は、読み手意識である。
書くことは自己表現ではある。自分を外に出すことが大事である。ではなんのために。
それは、一つは、自分自身のためである。自分の気持ちや思いをはっきりさせるため、さらに論理力を鍛えるためである。
もう一つは、読み手への発信である。書くことに限らないが、表現は、結果として自分以外の誰かに届くことも前提にすることになる。
著名作家のメモ書きや執筆日誌が後世になって発見され公開されることになる。だから、あなたの日記も読み手を想定して書くようにとまでは言うつもりはない。
読み手を意識して書くのは、書く内容の質を高めるためと、表現効果を高める技法を高めるためとである。
いつまでもけんちゃんの絵日記ではだめ、自分を出すようにという話はした。その際に、誰に対して自分を表現するかを意識してみると、さらに、その内容にも表現の仕方にも磨きがかかる。
これは、自分を他人との関係の中で相対化すると言ってもよい。あるいは、自分の気持ちや思いをより社会的な文脈の中に位置づけるためと言ってもよい。
最初は、隣の友達を意識して書けばよい。それを時折、世の中一般や子供を読み手にしてみる。
今、認知心理学の授業で、学生に、中高校生用の認知心理学用語解説集を作らせる課題を与えている。あえて「中高校生」と読み手を限定することで、読み手によって表現内容や表現の仕方を変えることの大切さを実感してもらいたいとの趣旨である。学生の動機づけを高めるために、HPでも公開している。

コラム「認知心理学の用語を中高校生用に解説する」***
比較的よく知られている用語「****」を学生が解説したものを挙げてみる。「具体例を挙がる」「日常用語で解説する」「たとえを活用する」とよいことを指示してある。なお、ビジュアル表現は今回は使わないことにした。
以下、「アイコニック・メモリ(iconic memory)」を3人の学生が解説したものを紹介する。どれがベストの解説か。

○HA君の解説
 友達と話をしている時に、全く意味のわからない単語が出てきたらどうしますか?大抵の場合、その単語を鸚鵡返しにして意味を尋ねると思います。考えてみると不思議な事で、どうして意味も分からない単語を喋る事が出来るのでしょう。
 私たちは、ほんの短い間であれば、色や音などの外部からの刺激を、意味も何も関係なくそのままの形で自分の中に留めておく事ができるのです。これを認知心理学では「感覚記憶」と呼んでいます。アイコニック・メモリーは、視覚情報の感覚記憶です。
 スパーリング(1960)が行った実験の中で、いくつかの意味の無い文字列をごく短時間被験者に見せてその直後に復唱させたところ、一部の文字だけ復唱させる方が、全部の文字を復唱させるよりも正解率が高い事が分かりました。これは、全部の文字を復唱する場合、復唱している間にどんどん文字を忘れていってしまう事を示しています。更に、文字を見せてから復唱させるまでの間の時間が0.5秒を超えると両者の正解率に差が無くなる事が分かり、この事からアイコニック・メモリーは1秒以内に消えてしまうものである事が明らかになりました。

○PK君の解説
 アイコニックメモリーとは、感覚記憶(知覚された情報が短期記憶として次の処理を行うため選択されるまでの間、一時的にその情報を保存しておくこと。視覚、聴覚、触覚、嗅覚など、各感覚ごとに保存様式は異なっている。)のうちの、視覚情報(目から入ってくる情報)に関するもののことであり、容量は大きいのだが保存される時間が短く、約500ミリ秒しか保存できないといわれている。また、聴覚的な情報(耳から入ってくる情報)はエコイックメモリー(聴覚的感覚記憶)といい、処理容量は小さいのだが、保存時間がアイコニックメモリーより長く、約4秒から5秒の保存が可能であるとされている。これらの保存された情報がアイコンと呼ばれている。しかしこのように一瞬で消えてしまう情報でも私たちは、興味を引くものには眼を向けるし、その結果、注意をむけられた一握りの情報だけが短期記憶として保存される。
 これはナイサー(Neisser,U)による用語で、スパーリングは視覚的情報貯蔵(visual information storage)と呼んだ。

○YM君の解説
 記憶には大きくみて短期記憶と長期記憶があります。短期記憶をつかさどるのは、アイコニックメモリとワーキングメモリという2つのメモリです。見たり聞いたりしたものは、そのままの生の記憶として、アイコニックメモリにはいります。しかし、ここに入った記憶は、数百ミリ秒という、一桁以下の短い時間しか貯蔵できません。これは次々に新しい事象が目・耳・鼻・口・皮膚といった五感を通じて入ってくるので、長く貯蔵する必要のないものが多く、記憶内容はすぐ次々に揮発することが必要だからです。なので、アイコニックメモリはとてもこわれやすいものであるということができます。ここが強い人は、一瞬見たものの細部を言い当てられます。この、アイコニックメモリという考え方は、スパーリングという人が、実験をして、1960年に打ち出したものです。スパーリングの実験では、観察者へ、短い時間に、3〜16字で構成されている英数字が、提示されます。そして観察者はその後、提示された、目に見える表示の中の、文字の部分集合(3つか4つの連続した文字)を特定する報告を行います。この実験によって、スパーリングは、短い間隔の追提示において、提示された文字の全体から、何の関連もなく無作為に思い出すよりも、このように部分集合的に思い出す方法の方が、観察者はものごとをよく覚えているのだということを明らかにしました。この記憶が、アイコニックメモリです。
*********

 
 実は、大学に入るまで、学生の書くものは、試験の答案はもとより、感想文にしても研究レポートにしても、先生が読み手である。ひたすら、先生のためだけの表現をしてきたのである。そこから解き放されて、もっと広く、社会に向けて自己表現を展開していくことが学生には必須である。

●外的制約を課す
最後は、書くに当たって、字数、タイトル、図表の有無、締切など、外的な制約を課すことも大事である。
制約があってはじめて内容の厳しい精選ができる。書く前にこうした制約を自分に課すのである。自分はこれまで、依頼されたら、かなり無理そうな内容であっても、ともかく引き受けて頑張って書いてきた。それがよかったと思っている。
表現はそれが頭の中に留まっている限り、自由奔放に展開される。そういう一時期が表現には必要であるが、それにまかせていては、いつまでたっても、まとまった表現として具現化しない。400字で明日までという制約が課せられて、ようやく表現が形になる。
一番のおすすめは、新聞や雑誌などへの投稿である。もっと大規模になると、各種懸賞論文などへの応募もある。
なお、今年の総合科目で出した試験問題は、「21世紀の知的挑戦のための教育的課題」というタイトルで、新聞の論説欄に原稿を求められたら、という前提で1500字程度で書け、というものであった。

3.4 文章作成環境が格段に良くなった

●「原稿用紙」はまもなく死語
 25年前頃、論文執筆のために、図に示すような大量の400字詰の原稿用紙を自分用に作成した。その残骸がまだ研究室に大量に残っている。ワープロで原稿を書くようになってからは、まったく使用していない。

図 400字詰原稿用紙のサンプル

 原稿用紙こそ使用しないものの、昔の習慣とは恐ろしいもので、今でも、「原稿用紙何枚」という換算の仕方を使っている。たとえば、自分の感覚として、「原稿用紙10枚なら軽い」「原稿用紙20枚はややきつい」、本となると、だいたい原稿用紙300枚が目安という具合である。
最近増えているのは、「10000字でお願いします」のたぐいである。ただちに、原稿用紙25枚、うーん、ちょっとしんどいなー、となる。
それでも、さすがに、最近は、ワードの標準仕様が単位になりつつある。この原稿は、1行30文字、1頁38行で書いているが、10000字だと、これで何頁か、と考えるようになってきている。
不思議に、原稿用紙25枚だと、うーんとなるが、ワードの標準仕様だと、8.8頁とぐっと数値が減るので、これならなんとかなるかなー、と考えてしまうことが多い。馬鹿げたこととは思うが、数値感覚とはこんなものである。
いずれにしても、あと5年もすれば、「原稿用紙」という言葉は死語になっているであろう。

●ワープロがもたらしてくれたこと
27年前の1978年東芝の森健一氏のグループがはじめて今のワープロの原型になるものを製作して世に出した。筆者36歳の時である。もちろん、当時は100万円以上の高額機器で手が届かない。しかたなく、タブレット入力式のコマスという、少しはワープロ機能が組み込んであった電子タイプライターのようなものを使って、学位論文を執筆した。
ワープロが自分のまわりで一気に普及したのは、それから5年後くらいである。
英文タイプが打てるようになっていたので、ローマ字入力で日本語文章を作成した。これは実に楽しかった。ミスタイプしてもカーソルを戻して打ち直せばよい。段落の入れ替えも、カット&ペーストで一瞬のうちにできてしまう。
なによりうれしいかったのは、原稿をかく前の構想段階。いつもはここであれこれ逡巡したり、あーでもない、そして、あれこれ参考資料をぱらぱらめくりしたりしながら、悩んだりするのだが、これがワープロの画面に思いつきや資料をどんどん打ち込んでいくうちに、自然に構想が形になってくるのである。構想のかなり初期のうちから、進歩感をもって原稿の執筆ができるようになってきたのである。
もっともコラムのような問題もあるようだが。

コラム「思考の想起固定化の問題」*********
  原稿書きや研究の構想を練っている段階では、論理的思考よりは、連想思考のほうが大事である。連想思考は、だいたいは、頭の中で展開される。あっちに飛んだり、まったく同じところを堂々巡りをしたりで、とりとめがない。
ワープロが出てきて困ったことは、こうした連想思考をワープロを目の前にしないとやらなくなってしまったことである。形にならない頭の中での連想思考より、ワープロにどんどん打ち込んで思いを固定していけば、いずれそれらが活かせるという気持ちが強くなる。
悪いことではないのだが、目に見えるものに思考が固着してしまい、発想が自由奔放に展開しなくなってしまうのである。
時にはパソコンを離れて、自由に連想を楽しむことも大事である。
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●自己表現の場が広がった
webで誰もが簡単に情報発信者になれる時代になった。本当に驚きである。小学生でも自分のHPを作成して公開している。自分もアクセス数10万を超えたHPを公開している。
そして、今、ブログ。自分ではやっていないが、すでの膨大な数のブログが公開されているらしい。話題のブログ、ベストテンなどもある。
情報発信環境、さらには自己表現の発信環境がこのように格段に良くしてくれた技術者には心から感謝しておきたい。あとは、これをどう活かしていくかである。
 


三密

2020-06-18 | 社会
乗客の密接状態を少しでも防ごうと、鉄道大手は混雑状況を可視化してインターネットで配信するサービスを始めている。 
(日経6月18日)
@@

飲食店や学校などでの3密対策がメディアで紹介されるたびに、
おいおい、電車など交通機関ほうは、ほっておいていいのかなー
といつも疑問におもいつつも、車内感染の事実がいまだ一件も
報告されていないのも妙だなーともおもっていた。

密ではあっても、会話などがなければ(飛沫が飛び交わなければ)
大丈夫なのかなー。

ならば、学校なども、その点に気を付ければ、あえて、ディスタンスをとらなくともいいのかも。

だんだん、コロナ前に戻す努力、工夫もあってよいころ合いかも。

宅食便

2020-06-18 | 
週日毎日11時ころに届く。
すでに2か月くらいになるかなー
これまで一度も残したことがない。
おいしくはないけど、まずくもない。
不思議な宅食便である。
とても助かっている。
5食で3200円。
国会議員をやめて仕事に専念したワタミ氏効果かも。
がんばってほしい。



5万円の薬

2020-06-18 | 癌闘病記
いつもは、あまり神経質にならずに、
こちらのスケジュールに合わせて服薬している。
たかが便秘薬、たかが前立腺肥大防止薬、という気持ちもある。
それに薬価も驚くほど安い。 笑い

ところがである。
昨日からはじまったあたらしい抗がん剤のうち服薬する薬は、
ロンサーフ配合剤T15と
       T20
10日分で、30錠。
なんと5万円を超える。
これでワンクール、1月分である。



となると?一錠も無駄にできない。 笑い
テーブルの上に薬と、ノートとペンをおいて
指示通りの服薬をすることになる。

2度目をおえたところだが、なんとなく薬効、ではなく副作用か、
食欲が落ちてきた感じがする。

うーん、しばらくは、お金、薬効、体調の3すくみバランスに留意しながら
闘病することになる。



攻撃性(aggression)」心理学基本用語

2020-06-18 | 心理学辞典

●攻撃性(aggression)
攻撃性は、誰の心にも潜んでいる人間の本性の一つである。しかしながら、攻撃性を行動として発現することは、多くの場合、厳しく抑制されてきた。なぜなら、攻撃性に源を発する行為は、他人への身体的あるいは心理的暴力、果ては社会的紛争や戦争さえ引き起こしてしまうからである。

しかし、攻撃性が人間の本性の一つだとすると、それは、常に抑制すべき心の機能と考えるのは適切ではない。進化論的にみれば、攻撃性は自分の身を守るための最後の砦として機能してきたはずである。したがって、過度の抑制は、身の破滅をきたすこともありえるし、また、攻撃性の暴発を招くこともある。

大事なことは、攻撃性の存在と意義を認めた上での、状況に応じた攻撃性のコントロールである。抑制もその一つであるが、たとえば、対抗スポーツ競技での発散、さらには、言葉による知性化などもある。
とりわけ、幼児期の対人関係の中での攻撃性の適切なコントロールスキルを体得させることは大事になる。