自分の不幸な境遇に悩んだり、苦しんだりするのではなく、容姿が醜くても、貧乏でも、頭が悪くても、重い病気に罹っていても、それをあるがままに受け入れて、そんな自分を愛して生きるべきだというのは、幸せな人生を送るための「究極の教え」ではありませんか。
(守一雄)
(守一雄)
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まさに「究極の教え」かもしれない。
結果として、究極の居直り人生になる。究極の自己愛人生になる。
これは、しかし、一人では難しい。
周りがそれを認める度量が必要。
大家族ならできる。
父母は認めてくれなくとも、おじちゃん、おばーちゃんが。
あるいは、いとこがめいが、となれば、生きていける。
さらに、政治と行政にも度量が必要。
ブータンをみならえは、守氏のさらなる提言。
タンザニアで商売をした経験を本にした小川さやか氏。
「あのブラブラしている人たちはどうやって食べているのか」
それでも食べている、生きていている、しかも、いきいき生きている。
生きるってどういうことなのか、奇妙に哲学的になってしまう。
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