06/3海保博之(このメールは無断での転送自由です。)
定年にあたり、ご挨拶![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_oro.gif)
筑波大学人間総合科学研究科(心理学専攻)海保博之
現在、東京成徳大学人文学部 福祉心理学科
●25歳で国家公務員・助手に
当時、徳島大学助教授の松田隆夫先輩からのお誘いで、東京教育大学教育学部の大学院博士課程を1年で中退して、25歳の時に徳島大学に助手として赴任したのが、大学教師としてのスタートでした。なんと、スキー骨折のため、杖をつき母親に付き添われての赴任でした。
徳島大学時代に、結婚もし子どももさずかりました。地方都市の豊かさのなかで生活をたっぷりと楽しみました。7年間、徳島におりました。すばらしい思い出ばかりです。
研究のほうも、それなりに成果があがりましたが、5年を過ぎる当たりからやや研究上の刺激がほしくなりつつありました。当時は、今と違ってインターネットもありませんでしたので、地方大学のアカデミック環境は都市部の大学とは格段の差がありました。
●創設直後の筑波大学に転任
そんな折、恩師の金子隆芳教授よりお声をかけていただき、筑波大学創設の翌年1975年7月に、体育芸術棟だけしかなかった時に、筑波大学に転任してきました。
それはもう言葉ではいいつくせないほど、ひどい環境でしたが、日に日に新しい建物や道路ができ、人もどんどん増えるのをみながらの辛抱ですから、耐えられないものではありませんでした。
しかも、こんな環境だからこそのお互いの助け合いも生まれました。大学の先生はもとより、事務の方々、他の研究機関の研究者の方々、さらにそれらのご家族とも幅広くおつきあいいただきました。そういう時期に親しくしていただいた方々がどんどん身の回りからいなくなりつつあるのを見ても、また、そんな時の生活のベースになっていた公務員宿舎の取り壊しも決まったりで、何かと自分の身の引き際を感ずる咋今でした。
●筑波大学とともに歩んだ30年
筑波大学の創設期、成長期、成熟期の30余年、筑波大学と共に歩んできました。とりわけ成熟期までの、あらゆることやものが成長する中での生活と仕事とは、厳しくもはりのあるものでした。
40歳代、50歳代と、研究面でも本当に我ながらいい仕事ができたと思っています。このあたりについては、付録のほうをお読みいただければと思います。
また、法人化という大学組織の大改革にも、心理学研究科長および附属高等学校の校長という立場からかかわることになり、いろいろと得難い経験をさせていただきましたのも、思い出に残っています。
19年度より人間学群、心理学類が新しく立ち上がるのを見られないままに去ることになるのがほんちょっと心残りですが、外から陰ながらその発展を祈念しています。
●これからは、若者の教育中心で
定年後は、大先輩の岡田明先生からお声をかけていただいた東京成徳大学人文学部福祉心理学科のほうで、教育・研究に携わる予定です。たくさんの知り合いがいる職場ですし、家から通勤できるところですので、安心です。
この年になれば、どうがんばっても、研究のほうで力を発揮しようとしても高がしれています。それでも、ヒューマンエラー、安全については、まだまだ社会的にお役にたてるうちは、老骨にむち打って、やっていきたいと思っています。
一番力を注いでみたいと思っているのは、やや遅きに失した感はありますが、若者の教育です。講義で演習で若者を引きつける授業をあれこれと工夫をしてみたいと思っています。若者に伝えたいメッセージもあります。さらに、若者の研究心にも、気持ち穏やかにしてつきあっていきたいと思っています。
●皆様のご活躍を祈念しております
今こうして挨拶原稿を書きながら、しきりに胸をよぎるのは、「よくぞ、ここまできたなー」という気持ちと、「ずいぶん、人に助けてもらったなー」という気持ちです。
「あの時もしあーなっていたら/あーなっていなかったら、今の自分はなかった」との思いも強くあります。
運の良さと人の助けにどう感謝したらよいか、天を仰ぐ気持ちになることしきりです。
この気持ち、思いを胸に秘めて、残りの人生をまっとうしていきたいと思っています。
皆様の今後のご健康とご活躍を心より祈念しております。
またどこかでひょっこりお会いできるのを楽しみにしております。
なお、定年退職にあたり、とりたたててのセレモニーは企画しておりません。セレモニー嫌いのためです。
この書状/メールをもちまして、退職のご挨拶とさせていただきます。勝手をお許しください。
ありがとうございました。
●最後に一つ、心残りが
心残りが一つあります。学位も取得し、受賞するほどの優秀な論文もある若手ポストドクター2人の就職が決まりません。いろいろ努力してみましたが、人事は「ひとごと」でうまくいきませんでした。
心あたりがありましたら、是非、お声をかけていただけると助かります。
平成18年3月
連絡先
○自宅(昨年5月に引っ越しました)
○ブログのURLもあります。お暇な時にでもご覧ください。
http://ameblo.jp/hkaiho/entry-10007673894.html
○勤務先大学
276-0013 千葉県八千代市保品2014
東京成徳大学 人文学部 福祉心理学科
電話 047-488-7236(直通)
ファクス(間接) 047-488-7114
******
* *****![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_do.gif)
付録1*************************
定年あたっての挨拶(速報つくばより)
本学開学記念日10月1日は自分の誕生日でもある。そんなこともあり、勝手に筑波大学とは相性がよいと思いこんで、ここまで足かけ31年間にわたり居座り続けさせていただいた。
大学の草創期から成長期そして成熟期と、自らの研究者、教育者としての成長の段階とを同期させながら、ここまできた。無い物づくしの草創期、基盤整備が終わってからの遮二無二な成長期、あちこちにややがたがきてきしみが出はじめた成熟期。それは、筑波大学のことでもあり、自分のことでもあった。
しかし、時と法は無情である。自分は3月で筑波大学を去らざるをえず、新天地に放り出される。筑波大学は、法人化で新たな草創期へと入る。どこまでも、筑波大学と同期した人生になるようにもみえるが、さすがに、それもそろそろ終わりのようである。
新たな成長に向けて筑波大学の発展を衷心より祈念するものである。
付録2*************「筑波フォーラムからの転載」
「マニュアルとヒューマンエラーともに、20年」
●研究だよりでお許しを
平成18年三月末日で筑波大学を定年になります。
「定年まで5年を切った教官は大学院生をもたない」という専攻内の申し合わせのため、次第に院生が減りつつあり、現在は、日本学術振興会のPD1名と2名の院生、卒論生1名になりました。否が応にも、研究室の店仕舞いの態勢に入りつつあります。こんなときに研究「室」だよりはないでしょうというわけで、自分の研究だよりでお許しいただくことになります。
そうはいっても、ちょっとだけ、研究「室」だよりを。
これまでの研究室のポリシーとして、認知心理学という大枠は掲げてはいるものの、指導できる範囲内であれば、基本的に、「来る者こばまず、去る者大歓迎」「研究テーマはやりたいものをやってよい」ことにしてありましたので、今いる5名の院生の研究デーマは、次のようにかなりバラエティに富んでいます。
・人工物を介した対話の特性と最適化
・心的演算をめぐる諸現象とその認知メカニズム
・ワーキングメモり(作業記憶)の個人差と言語情報処理
・記憶検索における抑制と促進
・読書時のオンライン自動的情報処理
このうちのいくつかのテーマは、それなりに指導はできると思ってはいるものの、「そんなテーマで研究して何がおもしろいの?どんな役に立つの?」と思ってしまうようなものも実はあります。でも「やめたら」とまでは(できるだけ)言わないようにはしています。自分も30代終わりまではそんな研究をしてきましたし、もしかすると、彼らの中から第2の田中さんがでてくるかもしれないからです。研究評価は本当に難しいですね。
●マニュアルとともに、20余年
さてでは、「研究だより」それも「回顧(自慢話?)編」です。
次の2冊の本の出版が、それまでのほぼ20年にわたる基礎的・実験室的研究から応用研究のほうに軸足を移すきっかけになりました。これは、自分の研究生活の上で、劇的な変化でした。
・1987年「ユーザ読み手の心をつか むマニュアルの書き方」(共立出版)
・1988年「こうすればわかりやすい 表現になる---認知表現学への招待」 (福村出版;絶版)
いずれも、ユーザ、読み手、聞き手の頭の働きのくせにあった表現とはどのようなものであるべきかを考えてみたものでした。
この本の出る5年前頃から、ワープロが急速に普及してきました。それに比例するかのように、そのマニュアル(取扱説明書)がわかりにくくて困るという苦情がメーカーに殺到してしまい、弱り抜いていたようでした。
そんな時でした。日本IBM(株)の大和研究所の人間工学のセクションでマニュアル評価の仕事をしていた加藤隆氏(現在、関西大学教授/総合情報学部長)から、認知心理学の立場から、これを解決する方策がないかと相談されたのがきっかけで、マニュアルの世界に足を踏み入れることになりました。
どんなことをしたかというと、認知心理学をベースにして、「ユーザはマニュアルをこんな風に読んでいる」「マニュアルを読んでいるときにこんなことを頭の中でしている」だから「こんなふうにマニュアルを書いてくれるとわかりやすくなるはず」という提言をしてみたのです。
上記の2冊の本は、それをまとめてみたものです。
これが大受けでした。打ち出の小槌か魔法のようにでもみえたのでしょうか、あるいは、わらにもすがる気持ちもあったのでしょうか、あちこちのメーカーなどから、共同研究やセミナー・講演の申し出が舞い込みました。
年齢も40代中頃、研究者として最も油の乗り切っていた時期でしたから、どんな依頼仕事も楽しく、しかも楽々とこなすことができました。人生で一番有能感を持てた時期でした。
●どんなことを提言したか
提言の内容をもう少し具体的に言うと、マニュアルのユーザ支援機能を5つ設定して、それぞれについて、たとえば、こんなことを提言してみました。
1)操作支援(操作を指示する表現はどうすべきか)
・1文1動作で
・操作ー結果ー操作のサイクルを示す
2)参照支援(情報を探しやすくする)
・出来上がり索引を使う
・目次はユーザのタスクを考えて作る
3)理解支援(わかりやすくする)
・操作の目標を先に示す
・専門用語の使い方を慎重に
4)動機づけ支援(読んでみたいと思わせる)
・出来上がりを最初に示す
・実益を感じさせる
5)学習・記憶支援(覚えるべきことを覚えやすくする)
・基本操作を習熟させる
・実用的な練習問題を提供する
さらに、こうした提言が実用的かどうかを検証するための実験・調査や、実際のマニュアルを使っての評価実践もやってみました。
そして、20年にわたるマニュアル研究の区切りの意味を込めて、昨年(2002年)、「くたばれ、マニュアル---書き手の錯覚、読み手の癇癪」(新曜社)を上梓しました。タイトルはかなり刺激的ですが、内容は至ってまじめなものです。
残念ながら、こちらの本への反響は前著にははるかにおよびませんでしたが---それでも、アマゾン・コムおおすすめ度5です---、自分の研究歴の中ではおさまりのよいものでした。
●研究室の外に出てみると
自分のやったことは、というよりやれたことは、認知心理学の基礎研究の中でつちかった「研究力」を、現実に発生している問題解決のために使うことでした。 ここで、研究力とは、一つは認知心理学の知識と研究技能、もう一つは、問題をとらえる感性や視点です。
幸いなことに、当時の自分の研究力と、現実世界で発生しているマニュアル問題の解決の要求内容と水準とがぴたりとマッチしていたのが、うまくいった--あくまで主観的ですが--理由だと思います。
これからの10年(くらいはまだ現役でいたいものです)。まだまだ残っている(と思い込んでいる)研究力を現実問題の解決に役立てるべくがんばりたいと思っています。
そのがんばるためのもう一つの隠れテーマについて、最後に一言。
●もう一つの隠れテーマ-----ヒューマンラーの心理学
実は、マニュアルの研究とほぼ時期的に並行して、ヒューマンエラーについても、研究と評論活動?をしてきました。
これも、マニュアルの本とほぼ同時期の1986年に出版した「誤りの心理を読む」(講談社現代新書;絶版)がきっかけでした。
その本は、アメリカでの在外研究の日常的な体験から、「誤り」についての文化差が気になり、それを心理学的に考えてみたものでした。趣旨は、「誤りながら創造的に生きる人間像」を浮き彫りにしてみたいというものでした。
それが誤読されてしまったのでしょうか、プラント(工場や発電所など)の安全管理や研究をしているところから声をかけていただき、あちこちの委員会や研究所やプラントに出入りしたして、大胆にも、認知心理学の立場からヒューマンエラー防止の提言などをするようになりました。
そうこうしているうちに、マニュアルの研究でつちかったものが、「わかりやすさ」をキーワードにすると、こちらでも活かせることに気がつきました。
つまり、わかりにくさがエラーを誘発するという問題です。
マニュアルのわかりにくさもそうですが、案内表示や危険表示などの各種の表示などが、エラーを引き起こしていることに気がついたのです。
そこで、人と機械/人工物との接点での情報交流、つまりインタフェース研究にも足を踏み入れるようになりました。
最近は、インタフェースについての興味関心は薄れてきて、「エラーと心的機能の自己管理不全」の問題のほうをやっています。「がんばればエラーをしない」という精神論になりがちな危ない話ですが、心理学を知ってもらうことが、自分なりにエラー防止の工夫をすることになるはずとの思いで、やっているものです。
最近は、もっぱら啓蒙的な活動になっていますが、応用心理学の大切な課題ですので、求められればどこにでも出ていくくらいの気持ちで取り組んでいます。
多分、これから数年くらいは、ヒューマンエラーの仕事のほうに軸足を移していくことになると思いながらも、文系と理系の心理学、心理学方法論などまたぞろ昔のアカデミック心理学の世界にもちらほらと関心を向けたりしている昨今です。
***
「筑波フォーラム第65号」(2003/7)「研究室だより」の転載
定年にあたり、ご挨拶
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_oro.gif)
筑波大学人間総合科学研究科(心理学専攻)海保博之
現在、東京成徳大学人文学部 福祉心理学科
●25歳で国家公務員・助手に
当時、徳島大学助教授の松田隆夫先輩からのお誘いで、東京教育大学教育学部の大学院博士課程を1年で中退して、25歳の時に徳島大学に助手として赴任したのが、大学教師としてのスタートでした。なんと、スキー骨折のため、杖をつき母親に付き添われての赴任でした。
徳島大学時代に、結婚もし子どももさずかりました。地方都市の豊かさのなかで生活をたっぷりと楽しみました。7年間、徳島におりました。すばらしい思い出ばかりです。
研究のほうも、それなりに成果があがりましたが、5年を過ぎる当たりからやや研究上の刺激がほしくなりつつありました。当時は、今と違ってインターネットもありませんでしたので、地方大学のアカデミック環境は都市部の大学とは格段の差がありました。
●創設直後の筑波大学に転任
そんな折、恩師の金子隆芳教授よりお声をかけていただき、筑波大学創設の翌年1975年7月に、体育芸術棟だけしかなかった時に、筑波大学に転任してきました。
それはもう言葉ではいいつくせないほど、ひどい環境でしたが、日に日に新しい建物や道路ができ、人もどんどん増えるのをみながらの辛抱ですから、耐えられないものではありませんでした。
しかも、こんな環境だからこそのお互いの助け合いも生まれました。大学の先生はもとより、事務の方々、他の研究機関の研究者の方々、さらにそれらのご家族とも幅広くおつきあいいただきました。そういう時期に親しくしていただいた方々がどんどん身の回りからいなくなりつつあるのを見ても、また、そんな時の生活のベースになっていた公務員宿舎の取り壊しも決まったりで、何かと自分の身の引き際を感ずる咋今でした。
●筑波大学とともに歩んだ30年
筑波大学の創設期、成長期、成熟期の30余年、筑波大学と共に歩んできました。とりわけ成熟期までの、あらゆることやものが成長する中での生活と仕事とは、厳しくもはりのあるものでした。
40歳代、50歳代と、研究面でも本当に我ながらいい仕事ができたと思っています。このあたりについては、付録のほうをお読みいただければと思います。
また、法人化という大学組織の大改革にも、心理学研究科長および附属高等学校の校長という立場からかかわることになり、いろいろと得難い経験をさせていただきましたのも、思い出に残っています。
19年度より人間学群、心理学類が新しく立ち上がるのを見られないままに去ることになるのがほんちょっと心残りですが、外から陰ながらその発展を祈念しています。
●これからは、若者の教育中心で
定年後は、大先輩の岡田明先生からお声をかけていただいた東京成徳大学人文学部福祉心理学科のほうで、教育・研究に携わる予定です。たくさんの知り合いがいる職場ですし、家から通勤できるところですので、安心です。
この年になれば、どうがんばっても、研究のほうで力を発揮しようとしても高がしれています。それでも、ヒューマンエラー、安全については、まだまだ社会的にお役にたてるうちは、老骨にむち打って、やっていきたいと思っています。
一番力を注いでみたいと思っているのは、やや遅きに失した感はありますが、若者の教育です。講義で演習で若者を引きつける授業をあれこれと工夫をしてみたいと思っています。若者に伝えたいメッセージもあります。さらに、若者の研究心にも、気持ち穏やかにしてつきあっていきたいと思っています。
●皆様のご活躍を祈念しております
今こうして挨拶原稿を書きながら、しきりに胸をよぎるのは、「よくぞ、ここまできたなー」という気持ちと、「ずいぶん、人に助けてもらったなー」という気持ちです。
「あの時もしあーなっていたら/あーなっていなかったら、今の自分はなかった」との思いも強くあります。
運の良さと人の助けにどう感謝したらよいか、天を仰ぐ気持ちになることしきりです。
この気持ち、思いを胸に秘めて、残りの人生をまっとうしていきたいと思っています。
皆様の今後のご健康とご活躍を心より祈念しております。
またどこかでひょっこりお会いできるのを楽しみにしております。
なお、定年退職にあたり、とりたたててのセレモニーは企画しておりません。セレモニー嫌いのためです。
この書状/メールをもちまして、退職のご挨拶とさせていただきます。勝手をお許しください。
ありがとうございました。
●最後に一つ、心残りが
心残りが一つあります。学位も取得し、受賞するほどの優秀な論文もある若手ポストドクター2人の就職が決まりません。いろいろ努力してみましたが、人事は「ひとごと」でうまくいきませんでした。
心あたりがありましたら、是非、お声をかけていただけると助かります。
平成18年3月
連絡先
○自宅(昨年5月に引っ越しました)
○ブログのURLもあります。お暇な時にでもご覧ください。
http://ameblo.jp/hkaiho/entry-10007673894.html
○勤務先大学
276-0013 千葉県八千代市保品2014
東京成徳大学 人文学部 福祉心理学科
電話 047-488-7236(直通)
ファクス(間接) 047-488-7114
******
* *****
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_do.gif)
付録1*************************
定年あたっての挨拶(速報つくばより)
本学開学記念日10月1日は自分の誕生日でもある。そんなこともあり、勝手に筑波大学とは相性がよいと思いこんで、ここまで足かけ31年間にわたり居座り続けさせていただいた。
大学の草創期から成長期そして成熟期と、自らの研究者、教育者としての成長の段階とを同期させながら、ここまできた。無い物づくしの草創期、基盤整備が終わってからの遮二無二な成長期、あちこちにややがたがきてきしみが出はじめた成熟期。それは、筑波大学のことでもあり、自分のことでもあった。
しかし、時と法は無情である。自分は3月で筑波大学を去らざるをえず、新天地に放り出される。筑波大学は、法人化で新たな草創期へと入る。どこまでも、筑波大学と同期した人生になるようにもみえるが、さすがに、それもそろそろ終わりのようである。
新たな成長に向けて筑波大学の発展を衷心より祈念するものである。
付録2*************「筑波フォーラムからの転載」
「マニュアルとヒューマンエラーともに、20年」
●研究だよりでお許しを
平成18年三月末日で筑波大学を定年になります。
「定年まで5年を切った教官は大学院生をもたない」という専攻内の申し合わせのため、次第に院生が減りつつあり、現在は、日本学術振興会のPD1名と2名の院生、卒論生1名になりました。否が応にも、研究室の店仕舞いの態勢に入りつつあります。こんなときに研究「室」だよりはないでしょうというわけで、自分の研究だよりでお許しいただくことになります。
そうはいっても、ちょっとだけ、研究「室」だよりを。
これまでの研究室のポリシーとして、認知心理学という大枠は掲げてはいるものの、指導できる範囲内であれば、基本的に、「来る者こばまず、去る者大歓迎」「研究テーマはやりたいものをやってよい」ことにしてありましたので、今いる5名の院生の研究デーマは、次のようにかなりバラエティに富んでいます。
・人工物を介した対話の特性と最適化
・心的演算をめぐる諸現象とその認知メカニズム
・ワーキングメモり(作業記憶)の個人差と言語情報処理
・記憶検索における抑制と促進
・読書時のオンライン自動的情報処理
このうちのいくつかのテーマは、それなりに指導はできると思ってはいるものの、「そんなテーマで研究して何がおもしろいの?どんな役に立つの?」と思ってしまうようなものも実はあります。でも「やめたら」とまでは(できるだけ)言わないようにはしています。自分も30代終わりまではそんな研究をしてきましたし、もしかすると、彼らの中から第2の田中さんがでてくるかもしれないからです。研究評価は本当に難しいですね。
●マニュアルとともに、20余年
さてでは、「研究だより」それも「回顧(自慢話?)編」です。
次の2冊の本の出版が、それまでのほぼ20年にわたる基礎的・実験室的研究から応用研究のほうに軸足を移すきっかけになりました。これは、自分の研究生活の上で、劇的な変化でした。
・1987年「ユーザ読み手の心をつか むマニュアルの書き方」(共立出版)
・1988年「こうすればわかりやすい 表現になる---認知表現学への招待」 (福村出版;絶版)
いずれも、ユーザ、読み手、聞き手の頭の働きのくせにあった表現とはどのようなものであるべきかを考えてみたものでした。
この本の出る5年前頃から、ワープロが急速に普及してきました。それに比例するかのように、そのマニュアル(取扱説明書)がわかりにくくて困るという苦情がメーカーに殺到してしまい、弱り抜いていたようでした。
そんな時でした。日本IBM(株)の大和研究所の人間工学のセクションでマニュアル評価の仕事をしていた加藤隆氏(現在、関西大学教授/総合情報学部長)から、認知心理学の立場から、これを解決する方策がないかと相談されたのがきっかけで、マニュアルの世界に足を踏み入れることになりました。
どんなことをしたかというと、認知心理学をベースにして、「ユーザはマニュアルをこんな風に読んでいる」「マニュアルを読んでいるときにこんなことを頭の中でしている」だから「こんなふうにマニュアルを書いてくれるとわかりやすくなるはず」という提言をしてみたのです。
上記の2冊の本は、それをまとめてみたものです。
これが大受けでした。打ち出の小槌か魔法のようにでもみえたのでしょうか、あるいは、わらにもすがる気持ちもあったのでしょうか、あちこちのメーカーなどから、共同研究やセミナー・講演の申し出が舞い込みました。
年齢も40代中頃、研究者として最も油の乗り切っていた時期でしたから、どんな依頼仕事も楽しく、しかも楽々とこなすことができました。人生で一番有能感を持てた時期でした。
●どんなことを提言したか
提言の内容をもう少し具体的に言うと、マニュアルのユーザ支援機能を5つ設定して、それぞれについて、たとえば、こんなことを提言してみました。
1)操作支援(操作を指示する表現はどうすべきか)
・1文1動作で
・操作ー結果ー操作のサイクルを示す
2)参照支援(情報を探しやすくする)
・出来上がり索引を使う
・目次はユーザのタスクを考えて作る
3)理解支援(わかりやすくする)
・操作の目標を先に示す
・専門用語の使い方を慎重に
4)動機づけ支援(読んでみたいと思わせる)
・出来上がりを最初に示す
・実益を感じさせる
5)学習・記憶支援(覚えるべきことを覚えやすくする)
・基本操作を習熟させる
・実用的な練習問題を提供する
さらに、こうした提言が実用的かどうかを検証するための実験・調査や、実際のマニュアルを使っての評価実践もやってみました。
そして、20年にわたるマニュアル研究の区切りの意味を込めて、昨年(2002年)、「くたばれ、マニュアル---書き手の錯覚、読み手の癇癪」(新曜社)を上梓しました。タイトルはかなり刺激的ですが、内容は至ってまじめなものです。
残念ながら、こちらの本への反響は前著にははるかにおよびませんでしたが---それでも、アマゾン・コムおおすすめ度5です---、自分の研究歴の中ではおさまりのよいものでした。
●研究室の外に出てみると
自分のやったことは、というよりやれたことは、認知心理学の基礎研究の中でつちかった「研究力」を、現実に発生している問題解決のために使うことでした。 ここで、研究力とは、一つは認知心理学の知識と研究技能、もう一つは、問題をとらえる感性や視点です。
幸いなことに、当時の自分の研究力と、現実世界で発生しているマニュアル問題の解決の要求内容と水準とがぴたりとマッチしていたのが、うまくいった--あくまで主観的ですが--理由だと思います。
これからの10年(くらいはまだ現役でいたいものです)。まだまだ残っている(と思い込んでいる)研究力を現実問題の解決に役立てるべくがんばりたいと思っています。
そのがんばるためのもう一つの隠れテーマについて、最後に一言。
●もう一つの隠れテーマ-----ヒューマンラーの心理学
実は、マニュアルの研究とほぼ時期的に並行して、ヒューマンエラーについても、研究と評論活動?をしてきました。
これも、マニュアルの本とほぼ同時期の1986年に出版した「誤りの心理を読む」(講談社現代新書;絶版)がきっかけでした。
その本は、アメリカでの在外研究の日常的な体験から、「誤り」についての文化差が気になり、それを心理学的に考えてみたものでした。趣旨は、「誤りながら創造的に生きる人間像」を浮き彫りにしてみたいというものでした。
それが誤読されてしまったのでしょうか、プラント(工場や発電所など)の安全管理や研究をしているところから声をかけていただき、あちこちの委員会や研究所やプラントに出入りしたして、大胆にも、認知心理学の立場からヒューマンエラー防止の提言などをするようになりました。
そうこうしているうちに、マニュアルの研究でつちかったものが、「わかりやすさ」をキーワードにすると、こちらでも活かせることに気がつきました。
つまり、わかりにくさがエラーを誘発するという問題です。
マニュアルのわかりにくさもそうですが、案内表示や危険表示などの各種の表示などが、エラーを引き起こしていることに気がついたのです。
そこで、人と機械/人工物との接点での情報交流、つまりインタフェース研究にも足を踏み入れるようになりました。
最近は、インタフェースについての興味関心は薄れてきて、「エラーと心的機能の自己管理不全」の問題のほうをやっています。「がんばればエラーをしない」という精神論になりがちな危ない話ですが、心理学を知ってもらうことが、自分なりにエラー防止の工夫をすることになるはずとの思いで、やっているものです。
最近は、もっぱら啓蒙的な活動になっていますが、応用心理学の大切な課題ですので、求められればどこにでも出ていくくらいの気持ちで取り組んでいます。
多分、これから数年くらいは、ヒューマンエラーの仕事のほうに軸足を移していくことになると思いながらも、文系と理系の心理学、心理学方法論などまたぞろ昔のアカデミック心理学の世界にもちらほらと関心を向けたりしている昨今です。
***
「筑波フォーラム第65号」(2003/7)「研究室だより」の転載