1983年 帯広ユースの朝の集合写真
HPやブログに1980年代の旅の記録を書いていると、それについてメールをいただくことがある。昨年、私と同じように80年代に北海道を旅されたSさんという方からおたよりをいただいた。Sさんは周遊券とヒッチハイクで旅をされたそうだ。私の古い放浪の記録をよんでなつかしんでくれているとのこと。その後の私の2001年の北海道ツーリングでは、あまりにも観光地化されてしまった神威岬や、たてかえられた札幌駅を惜しむ記述がある。Sさんも北海道の変貌や発展について私とおなじようなことを感じていらっしゃるようだ。そのSさんからのメールをここに転載させていただいて、神威岬や札幌駅のことなどにふれたいとおもう。そしてSさんのかかれれている、1983年のカニの家についての文章も紹介したいとおもうのだ。
1983年 函館のユース・北星荘の朝。
以下Sさんのメールを抜粋。
ーー『1983年北海道ツーリング』には、懐かしい場所の記述も出てくるのですが、昨今の開陽台の変わりぶりと、『2001年ツーリング』の神威岬と札幌駅の変化には、読んでいて心に来るものがありますね。
私の記憶の開陽台は何もない丘の上に粗末な八角形の展望台があっただけの場所。神威岬は手彫りのトンネルを通って、風の吹き抜ける草むす土手の上から神の岩を眺める場所。札幌駅は色とりどりの寝袋と自転車とバイクが壁沿いにずらりと並び、いつ行っても若い旅人が集まっている場所。ーー
念仏トンネル 昔日の神威岬
1980年代の札幌駅での野宿風景
ーー私はもう30年以上も北海道には足を踏み入れておりません。バブルを挟んで人の心も変わり、その後、地域経済を支えていた北海道拓殖銀行もなくなり、かの地がどのように変わってしまったのか?
かつての想い出が、かの地の今の姿で上書きされるのではないか、という漠然とした不安を持っています。ーー
ーー「地元の方は近代的な施設と発展を望んでいる」というのは、学生の時からよく見ていた現象です。結論から言えば私たち旅人は土地の利害関係者ではないので、口を出すべきではありません。そして田舎の人には、残念ながら手が加わっていない自然の大切さは分かりません。利害関係者が選択したのなら、我々がどう思おうと失われるのは仕方のないことなのです。そのはかなさを前提に、私たちはその時間のその場所を旅していたということなのだと思います。ーー
そのSさんが書いた帯広のカニの家を追憶する文章がある。それがあるのはカニの家OB会公式ホームページで、カニの家の歴史を記録するために運営されているそうだ。
カニの家 Sさんの文章
カニの家OB会公式ページ
私はカニの家にとまったことはないのだが、当時のようすをつたえる貴重な文章だとおもう。Sさんの作品にはもっと素敵なものもあるのだが、それはある方のブログにのっているので、転載するのははばかられる。いずれにしても追憶はあまく、せつない。