月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

181.神武行軍伝説に見るアイヌ文化やアイヌ語?(月刊「祭」2019.9月8号)

2019-09-10 14:29:29 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-

●神武帝の熊野〜橿原への平定行軍伝説(詳しくはウィkペディaへ)

 古事記や日本書記の中で神武帝(神倭伊波礼毘古命)は熊野から橿原へ北上したと言われています。その間に数々の戦を経て、まつろわぬ者を平定します。まつろわぬ者とされた人の中には、先住民族がいたと考えられます。

 神武帝の行軍伝承の故地にアイヌ語やアイヌ文化を思わせるものがありました。


●熊野

 今や世界遺産となっている熊野街道。神武帝一行が熊野に差し掛かった時、大熊が現れ、一行は気を失います。太刀を受け取ることで、熊野の荒ぶる神達は倒され、気を失った一行は目をさまします。

 熊はアイヌ語で「山の神」を意味する「 Kimun Kamui 」となります。アイヌ民族においては熊が最も重要な神の一つと位置づけられており、「Kamui(神)」だけで、熊を意味することもあるそうです。

 その神が荒ぶる神の象徴ということから考えると、アイヌ文化が反映された記紀神話の記述なのかもしれません。さらに妄言を言うと、「kimun」 から 「Kumano熊野」に転化した??と考えるのは行きすぎでしょうか??


●兄宇迦斯(えうかし)弟宇迦斯(おとうかし)

 神武帝の征戦中で宇陀に差し掛かった時、兄宇迦斯(えうかし)弟宇迦斯(おとうかし)が出てきます。兄宇迦斯(えうかし)は神武帝に恭順せず、弟宇迦斯(おとうかし)に自ら仕掛けた罠に入るように詰められ、討ち取られると言う話です。 兄と弟をとった「宇迦斯(うかし)」と言う言葉ですが、「エカシ」という言葉があります。長老の尊称を意味するので、一族の長としてはふさわしい意味になります。しかし、本当にウカシが長老となると、長老が前線にたって戦うことになってしまい、その点は不自然さを感じます。しかし、エカシ、ウカシの意味が当時は一族の頭領的な意味で使われていた可能性も否定できません。

 最終的に兄宇迦斯(えうかし)は、死体を切り刻まればらまかれます。


●鷲家口

 宇陀のすぐ隣の土地です。バスでは鷲家口を「ワッカグチ」と発音しているように聞こえました。この地は、川が二つに分かれる水別れの土地でした。wakkaは、水をアイヌ語で意味します。

 ですが、実際は「ワシカ」と読むようです。他の地名は分かりませんし、管理人もはじめはアイヌ語が語源かなと思ったのですが、wakkaが語源ならば鷲ではなく、若など「ワカ」と読める漢字を使うと思われます。

 子音と母音の組み合わせで構成されるハングルでも考えてみます。

 오(オあるあはワ行子音) 

 ㅏ(ア段母音)

 ㅅ(サ行子音、下にくる場合、促音・小さい「ッ」)

 ㅣ(イ段母音)

 ㅋ(カ段母音)

これを組み合わせて、ワシカとハングルで書くと

         와시카 ワシカ

 三文字中、母音の仲間はずれはㅣ・イ段があるシ・시です。口の形を変えずに楽に発音するためにㅣ・イ段が脱落します。

 왓카 ワッカとなります。






●記紀神話にアイヌ語

 記紀神話に書かれるなど古くから使われている言葉などには、アイヌ語や文化の名残があってもおかしくはないと思われます。しかし、それっぽく見えて実は違う、全く関係ないように見えて実はそうということも頻繁にありそうです。

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180. 播磨国の西と摂津の東の太鼓(月刊「祭」2019.9月7号)

2019-09-10 10:31:00 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-
●遠く離れた地の共通点
 太鼓台や屋台の分布地域の離れたところに共通する文化が見られます。「カタツムリ、マイマイ、デンデンムシのように文化の中心地に新しい言葉が定着し、外側に古いものが同心円型に分布する、方言周圏論的な広がり方をしている」わけではなさそうです。
 必ずしも同心円状の文化の分布にならない理由としてあげられるのは、江戸期の瀬戸内海地域の海運業の発達や、今日のインターネットやSNSの発達が挙げられると考えられます。
 今回あげる二地域の共通点は、なにによるものかはわかりませんが、ただ似ているのを感じていただければと思います。
 
 
●網干型屋台の太鼓文化
 播州人には馴染みある分類ですが、神輿屋根屋台も大きく二種類に分かれます。一つが灘型(練り合わせ型・その中でも浜の宮型、恵美須宮型などに分類されます。)、もうひとつが網干型(チョーサ型)です。
 網干型は、かつぎ棒はしなりやすい杉でできており、前後の端は背の高い人が担げるようにできており、身長の違う人が担ぎやすくなります。
 チョーサと呼ばれる差し上げ(放り上げ)で一気に屋台を差し上げる(放り上げる)所作をします。太鼓打(乗り子)は子どもがつとめます。化粧を施した乗り子は祭期間中は地面に足をつけません。
 チョーサの基本リズムはドンドド ドンドドの繰り返しで締めはドンとなります。
 
 
・魚吹八幡神社() 毎年10月21.22日
冨島神社(アクセス) 毎年10月24.25か直前の土日
・春日神社(アクセス) 毎年10月8日
 
 
●大阪市平野区杭全神社の太鼓文化
  一方大阪市の杭全神社の太鼓台は布団屋根です。播州のチョーサが秋の祭であるのに対して、杭全神社は夏の祭で、担ぎ手は浴衣を着ています。
 しかし、太鼓打は子どもで化粧を施し、地面につけられることがなく、この点は播州のチョーサと共通しています。太鼓のリズムはドンドドを3回繰り返した後ドンで締めるリズムで練り歩きます。差し上げ時と練り歩きの時の違い、繰り返す回数の違いはありますが、ドンドドを繰り返しドンで締めるリズムも共通しています。
 
 

 

・杭全神社(アクセス)  夏祭7月11日〜14日
       太鼓、神輿11.14   だんじり12.13
 
●思わぬ遠いところで類似したリズム
 思わぬ遠いところでも類似したリズムや掛け声がこれからも見つかるかもしれません。
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