●令和初の曳き車の運行宮入
播州の北条節句祭りでは、令和初の屋台宮入りをはたしました。令和時代は五月から始まり、令和2年、3年はコロナ禍により屋台の宮入が中止されたことによります。
愛知県の半田市の業葉神社も同様で、中組・祝鳩車、南組・護王車、北組・唐子車、東組・山王車が令和初の運行・宮入を果たしました。
愛知県の曳き車は地方によって、山車と書かれたり、御車と書かれたりしているそうです。管理人は半田市業葉神社のものをどちらで呼ぶべきかわからないので、便宜的に「曳き車」とします。しかし、各組の曳き車にはその彫刻などの特徴から祝鳩車などの愛称をもちます。これは愛知県やおそらく岐阜県の曳き車文化にもみられる特徴だといえるでしょう。
●写実的な彫刻
彫刻は精巧かつ播州のものより写実的なものが多くみられます。江戸時代の唐子や江戸時代のものを復元したとされる鍾馗はデフォルメ要素が見られます。
しかし、文明開化の明治期以降につくられたものは、より写実的なものになっています。これも西洋的な手法を取り入れたともいえるのかもしれません。
唐子
唐子
鍾馗
手長脚長
神代
神代
神代
鎮西八郎強弓
鎮西八郎強弓
●一番
鎮西八郎強弓
●一番
念願の運行であったのは、祭りが好きな人にとっては用意に想像できることだと思います。
宮入後などには、それぞれの若者集団のリーダーを称えていました。祭が少しずつできる風景は、やはりいいものです。
●祝われるべきは亀崎でなく○○
半田市の曳き車の祭礼のうち、亀崎のものが世界遺産に指定されています。半田市ないの祭りの素晴らしさを考えると妥当な評価だとおもわれます。しかし、本当に祝われるべきは亀崎の祭り関係者ではありません。
亀崎の祭りの素晴らしさにようやく気づくことができたユネスコこそが祝われるべきです。
謝辞
祭り見聞に誘ってくれたD君、同行してくれたA君、そして、案内してくださった地元研究者の祭り魂氏に感謝申し上げます。
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