月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

自分がどう思おうと、、、、、

2006-08-13 20:54:00 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-
 とある縁で、小学生の体育指導について学生さんが発表する場に出ました。
 そこで、おなかに巻いたりできるくらいのゴムの輪をつけた鈴を、体育の教材として発明した方がいました。その鈴をおなかに巻いたり、振り回したり、足につけてみたり。小学生が個々の能力に応じて、いろんな音を出して遊ぶことが出来ます。非常に優れた教材だなと感じました。
 ただ、ひとつ気になったことがありました。
 それは、その鈴の命名です。
 外国で一般に使われてる人の名前と鈴を掛け合わせてつけたものでした。
 その名前を発表したときは、ほぼ全員が日本人ばかりのその場は笑いに包まれました。
 確かに、これがコメディアンのライブなら笑ってすませたかもしれません。
 でも、教員という国家資格をとろうとする者がその場において、外国の方の名前を洒落に使ってつけた名前の鈴を足につけてふりまわしたりするのは・・・・・
 少なくとも自分やその人の親の名前と同じだったらどう思うのか・・・?
 僕は、そのこと(「外国の方の名前を ある意味揶揄するような命名①に問題ないんでしょうか」といった内容)を発表者に質問しました。
 おおよその答えはこうでした。
 「親しみを持ってもらいたいと思ってつけた名前で、そのようなつもりでつけたんではありません。」
 ん百人いる人の中での発表だったし、時間が押していたこともありました。
 また、ん百人の中での好奇の目にも耐える自信がなかったし、大学の先生がそつなく答えてくれると期待して「分かりました。」と答えました。
 ところが、これは、あまり聞き取れなかったし、記憶もさだかではないのですが、おおむね命名者の意見を支持する形でまとめられたと記憶しています。正直、「なんでなんだ?」という思いでいっぱいでした。

 決して、僕は命名した人が悪意をもってつけたとは思っていません。
 また、教材も非常に素晴しいアイディアだとも思っています。そして、その教材に親しみを持ってほしいという熱意があるということも理解しています。
 ですが、いかに悪意をもっていなくとも、受け取る側は、どう思うかまで強制することは出来ないのです。少なくとも、自分や両親のなまえをこのような教材の洒落に使われたら、特に、それが外国での出来事なら、怒りを抑えきれないと思います。

①の箇所で「揶揄するとも受け取られかねない」という言い方をしていれば、もう少し違う反応があったのではないかと反省しています。



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