月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

236.徐福が求めた永遠の命-丹後新井崎(ニイサキ)の土-(月刊「祭」2019.11月20号)

2019-11-27 17:06:00 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
●新井崎神社
 丹後半島の新井崎神社付近にはざーーっくりいうと下のような伝説が残っています。
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秦の始皇帝の命令で永遠の命を保証する薬を求めて旅していた徐福が、このあたりに流れ着いた、それを地元の人たちが匿った
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といったものです。
というわけで、写真を見ていきます。

↑新井崎神社本殿

●西の異国から見た日本
 日本から見た西の異国

↑鳥居の向こうは日本海。そのはるか向こうは、朝鮮や徐福の故郷「秦」があります。
 秦からすれば、日本は永遠の命が保証される薬があるかもしれない国でした。
 一方で日本から見た異国はまさしく極楽浄土の象徴でした。丹後国の天橋立では、平安時代に迎え講という阿弥陀仏来迎を表す儀式が行われました。浦島伝説ものこり、いつの間にか数百年生きた浦島も永遠の命への信仰を連想させます。これらについての記事はこちらをどうぞ
 日本から見た極楽浄土への想い、異国から見た永遠の命への願いの交流点の一つが新井崎神社周辺だったと言えるでしょう。では、なぜ、その交流点に新井崎神社(にいさきじんじゃ)近くが選ばれたのでしょうか。

●徐福到来の地 -新井崎(ニイサキ)考-
 そこで、もう一度新井崎神社近くの徐福到来の地を見てみましょう。



↑隠れ住んだとされる岩の洞窟です。


↑海はすぐそばです。


↑足元を見ると土があかいですね。

↑落ちていた石を拾うと。。

 徐福到来の地だけに、海のそばなのは分かります。さらに、そこにある赤い土はおそらく水銀だと思われます。水銀は丹薬などとして中国などでは永遠の命の薬として研究されていたそうです(参考はもちろんウィキ●ディア)。
 こなような水銀のある地だから、徐福到来の地として伝わったものと思われます。そして「ニイサキ」は元々「ニウサキ・丹生崎」という意味合いがあったのかもしれません。



















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