月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

<月刊「祭」2013.7月 第16号> 天から下りた天の川 -川を隔てる男女の神々- 

2013-06-06 19:02:52 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-

 管理人の事情により、月刊祭の6-8月号を6月中に発刊します。
 今回は、7月号。7月といえば七夕ですが、地上に七夕をおろしたような所が何箇所かみつかったので、紹介します。

●福岡県宗像市宗像神社湍津宮(中津宮)
 まず一箇所目は福岡県宗像市の海上の島・宗像大社の湍津宮の中にある織姫社と牽牛社です。
 二人を隔てるように、小川がながれていました。
 
宗像神社中津宮                   織女社と牽牛社の間の小川

 
織女社                      牽牛社


●滋賀県高島市水尾神社
 二箇所目は、滋賀県高島市の水尾神社ですが、その前に「宗像神社」のお話をしなければなりません。
 先述の宗像神社は、九州本島にある辺津宮、上記の大島にある中津宮、海の正倉院で知られる沖ノ島にある沖津宮に三姉妹のそれぞれの神さまがまつられます。辺津宮、中津宮、沖津宮は直線に並び、辺津宮を拝むと、沖津宮も拝めるように背面軸は沖津宮を向いています。
 同じように、滋賀県の近江八幡市の陸側に大島神社、別名奥津嶋神社が鎮座し、湖上の島・沖島にも奥津嶋神社が鎮座します。この二社は名前からも分かるように、宗像の神が祭られます。そして、この二社を結ぶ線をさらに北に行くと、湖上の鳥居で知られる白鬚神社にたどりつきます。
  島と陸の奥津嶋神社の鎮座は、白鬚神の末裔が釣りをしているときに現れて、鎮座したと「大島神鎮座記」に残っています。

 
陸の奥津嶋神社(大嶋神社)                 湖上の島・沖島の奥津嶋神社

 
 白鬚神社の鳥居。その向こうには、奥津島が。      白鬚神社


 そして、この線をさらにさらに延ばすと行き着くのが水尾神社です。祭神は白鬚神社と同じく猿田彦の神です。この猿田彦神の妻が、天岩戸伝説で知られるアメノウズメですが、この神さまもこの神社にまつられています。
 が、この夫妻の神の配置が興味を引きます。「近江国與地史略」によると、この神社の中を水尾川が流れており、河南社と河北社に分かれていたそうです。で、どちらかが猿田彦(多分南)、どちらかがアメノウズメ(多分北)が奉られていました。このように、愛し合う男女が河を隔てて祭られる配置が、宗像伝説の神社で残っているのは興味深いものです。
関係地図はこちらへ↓
http://batchgeo.com/map/d3be12be7f9624e2fa887a0b6a0aa47c


●加古川市養田神社と高砂市高砂神社

 高砂の翁と姥は、イザナギとイザナミとも言われており、神社の主祭神であるスサノオの父母(父のみが産んだのですが、母も認知したということで^^; )にあたります。
 高砂神社は加古川の河口西側に位置しています。そして、昔の御旅所は、川を渡った加古川河口東側の崎宮神社だったといいます。
 この神社の摂社である養田神社に興味深い伝説が残ります。
 スサノオは旅の途中、この付近で涙に暮れる老夫婦をみかけます。名をアシナヅチ、テナヅチというこの夫婦(どちらがどちらか忘れました。)にその理由を尋ねるに、大蛇に娘の稲田姫(確かこんな名前だったはず^^;)を食われるかもしれないとのこと。スサノオは大蛇を退治します。

 大蛇をヤマタノオロチに、稲田姫を櫛稲田姫に変えれば記紀神話のお話になります。そして、スサノオと櫛稲田姫は結婚します。
 となると、加古川河口東側の養田神社は稲田姫・新婦側の家族の神社となり、西側の高砂神社はスサノオ・新郎側の神社となるようです。

  
 高砂神社                                高砂神社のお神輿


このような感じで、川を隔てた夫婦の神社仏閣というのは、他にも見られるのかもしれません。

編集後記
 
今回は、高島の白鬚神社や水尾神社、奥津嶋神社、養田神社など撮ったはずの写真をとうとう見つけ出せないままの掲載となりました。(2013.06.29 白鬚神社、奥津嶋神社の写真追加)
 その一方で、地図を掲載してみるなどの新しい試みも行いました。
 今回の記事は、近江の学友が某SNSで沖島の話題を出したのがきっかけです。Rさん、おおきにさんでした。
 琵琶湖の話題を出すと、学生時代を思い出します。
 
 


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